藍の一日
私の名前は花咲藍。
自分で言うのもなんだけど、私は中々、不思議な存在だ。
なんたって、私は本当なら、もうこの世界にいるはずがないんだから。
あの日――いつだったかなぁ。まぁ、昔――私はたしかに死んだんだ。
なんの変哲もない事故。不幸な不幸な水難事故。
なんでもこの国では1年に4万人くらい、1日に平均でだいたい100人くらいの人間が事故で命を落としているらしい。
そんなに沢山、って思っちゃうけど、この国に住む人間の数を考えれば、事故に会う方が珍しいことに代わりはない。
事故に会った人間よりも、会わなかった人間の方が圧倒的に多いんだから。ホント、事故に会うって、運がなかったんだろうなぁ。なんて、不幸な偶然だろう。
その不幸な偶然が私にも訪れてしまった。それだけの話。
私は事故で死んだ。死んだはずなのだ。
しかし、どうしたことだろう。私は今でもこの世界にいる。
生きている――かどうかは哲学的な話になっちゃうんだけど、自覚と体感では生きていると思う。
幽霊? ちょっと違うかな。似たようなものだとは思うけど。
っていうか、自分でも自分のことよくわかってないんだよね、正直。
死んじゃったはずの私の意識はどうしたことか、私の姉の身体に宿ることになった。
そう、血をわけた姉妹である、花咲茜。
今の私は彼女と二人で一つの身体を共有している。所謂、二重人格とか、解離性なんとか症ってのに近い状態だ。そんなの漫画かアニメの中だけの話だと思っていたんだけど、本当にあるもんなんだねぇ。
ああ、共有しているって表現もおかしいか。私が勝手に茜ちゃんの身体を間借りしてるだけなんだから。
私は居候、居候。心の居候なんて言葉、聞いたことないけど。
かんわきゅーだい、っと。
とにかく。死んじゃったはずの私は何故か心だけ生きていて、何故か茜ちゃんの身体に宿っている。
自分でも思う。なんて、奇妙だろう。なんて、不思議なんだろうって。
でも、実際にそんな状態になってるんだから、仕方がない。
むずかしいことは深く考えない。それが私の基本スタイル。
こうなったからには、こうなったらで、この不思議な日々を思う存分にエンジョイさせてもらおうと割り切ってる。
もうすぐ日はあけて、一日が始まる。
今日は週末というわけでもなければ、祝日でもない。学園で何かの行事があるわけでもない。
至極、普通の一日だ。でも、きっと楽しい日になると思う。
なんで、そう思うかって? 体感論だよ、体感論♪ 茜ちゃんや、その友達のみんなと一緒に過ごす日々はそれだけで楽しいってわかっているから。
窓の外から響くスズメの鳴き声。朝のお約束。そのBGMを耳にしながら、私は心だけで背伸びをした。

(茜ちゃん。早く起きないと遅刻するよ!)
「うーーん、あと五分……」
(それ、さっきも聞いたよ〜)
冬の朝、布団の中というのはたしかに気持ちがいいものだ。
周りは身も凍える寒さの中、そこだけが別の空間のようにあたたかい。体中であたたかさを感じることができる。
しかし、そのあたたかさ故に、人の眠気を倍増させ、目が覚めた人間に対して、二度寝という悪魔の誘いを行ってしまう。
茜ちゃんは、今、まさにその悪魔の誘いを受けてる真っ最中――というか、もう承諾してしまっているような……いけない、いけない!
(もう、杏ちゃんを待たせちゃっていいの!?)
枕元から転がり落ち、足元に転がっている時計が目に入る。その二つの針が指し示す現在の時刻は、そう余裕がないことを示している。
ちなみに、先ほどまでこの時計は賢明にもねぼすけの主を起こそうと努力を続けていたのだが、茜ちゃんの「うるさい」というパンチ攻撃を食らって、現在に至る。哀れ。まぁ心だけの今の私にはそれを元の場所に戻すこともできないのだが。
「あ、杏ちゃん……ん〜」
あ、反応した。
流石に十年来の友人に迷惑をかけるのは気が重いのか、茜ちゃんはもぞもぞと布団の中で動き、そして、起き上がった。
「ふぁ〜〜あ。おはよ、藍ちゃん」
(おはよ。茜ちゃん)
「いま、何時〜〜」
(だいたいわかってるでしょ。もうほとんど余裕がないよ)
「ふぇ……」
間の抜けた声。茜ちゃんの瞳はとろんと、まどろんでいて、どうやらまだ夢の景色を見ているみたい。
私は頭を抱えた。この分だと、確実に遅刻コース一直線だよねぇ。
(……仕方がないなぁ。それじゃ、交替、いい?)
「おねがいしま〜す」
(はいはい)
マイント゛チェンシ゛
人格交替! ……ってヤツ?
茜ちゃんに代わり、身体の主導権を握らせてもらう。すると、全身に蔓延している眠気が私にも回ってきた。
「ふぁ……たしかに、眠たいねぇ」
(でしょ〜)
けれど、耐えられる。茜ちゃんと違って、私は随分前から意識だけは覚醒していたのだ。
身体の眠気に引っ張られるけど、意識の方ははっきりとしてる。
(………………)
茜ちゃんはどうやら奥に引っ込んだのをいいことに、眠りこけてしまったみたい。もう。なんてだらしないお姉ちゃんなんだ。
私がいなければ、きっと、遅刻の常習犯で知られていたに違いない。
「それじゃ、さっさと支度しますか」
誰に言うこともなく、ひとりごちると――茜ちゃんには聞こえたかもしれないけど――私はパジャマから制服に着替えるため、クローゼットに向かった。

風見学園。
それが茜ちゃんの通っている学園の名前だ。
半世紀も前からの伝統である中高一貫の六ヵ年教育を実施しており、本校と付属をあわせた在籍生徒数は初音島の教育機関の中でも随一。事実上、初音島に住む大半の青少年や少女たちはこの学園に通っている。
とはいえ、島といっても結構な広さを誇る初音島。
その内訳は大雑把に言って、徒歩で通うことのできる生徒とバスを使わないといけない生徒に分かれる。
茜ちゃんは後者だ。私たちの家は三日月形状の初音島の先っちょの方にある住宅街の中で、三日月の中心に位置している風見学園とは桜公園を挟み、結構な距離がある。徒歩で通えないこともない距離だけど、そんなことしようと思ったら毎日の起床時間を30分くらいは繰り上げないといけない。
まぁ、バス通学なんていって面倒くさそうだけど、案外楽なもので、家からバス停まではたいした距離はないし、バスの中も混んでることもあるけど10分そこいらの辛抱で済むし、バスを降りれば後はちょっと歩くだけで学園に到着♪
……なんて思うのは私が基本的に後ろで見ている立場であって、実際に身体を動かしている茜ちゃんは違うのかもしれないけど。
「それじゃ、行ってきまーす」
(私の尽力により)寝坊することもなく起きて、身支度を整えた茜ちゃんは、一応、いつも通りの時間に家を出ることができた。流石に、お弁当を作る時間はなかったから、今日は学食か購買かな。
「今日も寒いねー」
玄関先で見送ってくれていたお母さんの姿が見えなくなった頃、茜ちゃんが口を開いた。
周りに人はいない。この声は私に向けられたものだ。
(まぁ、12月だしね〜。きっと、これからどんどん寒くなってくるよ)
「まさに冬本番か〜。勘弁願いたいなぁ……今でさえ参っちゃうのに」
これみよがしに身震いしてみせる茜ちゃん。気持ちはよくわかった。私も寒いのは苦手。暑いのも苦手だけどね。
奥に引っ込んでいればそこまで気にならないけど、やっぱり寒いことは寒い。ほら、そこの枯れ木とか、落ち葉を巻き上げる風とか。見ているだけで寒くなる。
うーん。「見ているだけでなんとやら」私以上にこの表現が当てはまる人は多分、いないだろうな〜。
(しかし、改めて見ると、枯れ木と花びらが満開の木が並んでるのってシュールだよね〜)
見慣れちゃったといえば、そうなんだけど。
初音島の枯れない桜と、普通に枯れている他の木が並び立っているその姿。色んな意味で異質だと思う。
この寒い冬の中、他の木々は四季の規則に則って、常識通りに花も葉も落としているのに、桜の木だけが、例外。なんていうんだろうか、まるでそこだけ世界が違うように。
(ね、茜ちゃん?)
あれ、返事がない?
どうしたんだろう、と私が前を見ると。
「茜、おはよう」
「うん、おっはよ〜♪」
そこには小柄な影。
小さな身体で可愛らしく着こなした風見学園付属制服。ゴスロリ調に綺麗に編み上げられた髪――杏ちゃんだ。
杏ちゃん。彼女は茜ちゃんとは所謂、親友の間柄にある。
クールなように見えて、中々にしたたかでお祭りごとが好きな杏ちゃんと、私と一緒で根っからの騒がしいもの好きの茜ちゃん。二人一緒に悪さばっかりしてきたものだ。
5年くらい前だったかな?それくらい前からの付き合いだ。
そして、茜ちゃんにとって親友なら、茜ちゃんと二心同体の私にとっても親友であるわけで。
(おはよ〜、杏ちゃん)
私もご挨拶。
まぁ、届くはずもないし、私のことを認識しているはずもないんだけど。
「それにしても、さっむいね〜」
「ふふ、辛抱なさい。それに、茜は私よりは寒さに強いはずよ」
「ええ〜、どうして〜?」
どうしてだろう?
いつも冷静沈着な杏ちゃんは、実は寒さに弱かったとか?
茜ちゃん(と私)の疑問の視線に対し、杏ちゃんは困ったようなバカにしたような笑みを浮かべると。
「いっぱいエネルギー、溜め込んでるじゃない」
目だけで、茜ちゃんの胸を示した。
ああ。なるほど!
「私にも少しわけて欲しいわ。それだけの量があれば、さぞかしあったかいんでしょうね」
「も〜、人を動物みたいに言わないでよ〜。そんなわけないよ〜」
胸が熱エネルギーを溜め込むなんて初耳〜。
何かの動物は体内に貯められるだけの脂肪を貯めてあったまるとか聞いたことあるけど……って違う?
「でも、何事も適量ってものがあるからね。あまりにいっぱい、貯めすぎると後が悲惨よ。将来はきっと見るも無残な垂れ乳に……」
「うわーん、杏ちゃん。ひどーい」
まぁ、いいや。
基本的に会話において弄られるより、弄ること専門の二人だけど、弄られる対象がいない二人だけの時とかはこういう風に茜ちゃんが弄られ役になることがほとんどだ。茜ちゃん、実はああ見えてシャイなところがあるからね〜。こんな風に言われた時は、こうやって返す……の!
(わ!)
茜ちゃんのびっくりした声が脳裏に響く。ちょっとお借りしまーす。
「フッフッフッフ……」
「……茜?」
急に目の色を変えた私(茜ちゃん)に杏ちゃんが不思議そうな目をする。反撃開始、いっきまーす♪
「そんなこと言っちゃって〜♪ 杏ちゃん、羨ましいんでしょ〜」
「羨ましい?」
「そうそう。これが〜」
これみよがしに胸を張って見せ付けてやる。杏ちゃんになくて、私(茜ちゃん)にあるものを。
「ふふ、いきなり何を言い出すのやら……」
「またまた〜。妬ましいんだよね〜、羨ましいんだよね〜。自分にないものが〜」
「そんなわけないじゃない。何事も大きければいいってものじゃないわ」
そう言う杏ちゃんの目に少しだけの羨望の色が混じるのを、私はしっかりと見た。私の胸元と杏ちゃんの胸元のソレには、まさに天と地と言ってもいいくらいの差。
達観した風を装っても。やっぱり女の子だもんね。気になっちゃうよね〜。
そんな杏ちゃんの顔があまりに可愛らしくて……。
「ま、価値観の違いね。茜にとっては誇るものでも、私には大した価値を感――――わぷっ」
ぎゅーっと。
抱きしめてちゃった。
その小さな頭を私の胸の双眸で包んであげる。
「意地をはっちゃう杏ちゃん。かわいい〜〜」
「むぎゅ……」
「ご褒美に私のあたたかさをどーぞー♪」
ほらほら。あったかい? あったかいでしょ〜。ボリューム満点だからね〜。
(あ、藍ちゃん!)
杏ちゃんを愛でて贅に浸っていた私の意識を引き戻したのは。茜ちゃんの声だった。
傍に杏ちゃんがいる以上、声に出して答えるわけにもいかず、意識だけで返答する。
(どうしたの。茜ちゃん)
(その〜、ちょっとは周りを見た方が〜)
(周り……? あ)
そう言われて、はじめて気付いた。
うあちゃー。
人通りが少ないと思っていた朝の住宅街。通学、通勤のピークの時間帯になってのか。いつのまにかそこには、多くの人々が溢れていて、そのほとんどがこちらに視線を送ってきていた。
突き刺さるような視線とは、まさに、こういったものか。
これはさすがに、ちょびっと、はずかしい、かな……。
「あ、茜……」
胸の合間から聞こえる杏ちゃんの声。
私は自分の行動をちょっとだけ反省しながら、彼女を解放した。
「ふぅ、苦しかった」
「あはは、ごめんごめん〜」
何事もTPOは弁えないとね。肝に銘じておこう。
「ま、茜が自分の体に絶対の自信を持ってるのは知ってるけど、そういうことは私じゃなくて、渉あたりにしてあげたら?
きっと、血の涙を流して喜ぶわよ」
「渉くんに〜? あはは、ちょっとご遠慮、願いたいかな〜」
(うんうん。渉くんにはね〜。義之くんなら……)
「義之くんなら、考えてもいいけどね〜♪」
相変わらず本気か冗談かわからないような、際どい会話をしながらバス停へ。こういうのは茜ちゃんも好きなことだけど、私はもっと好きだ。
「義之はだめね。義之がどうこうの前に、そんな光景見たら小恋が卒倒しちゃう」
「ああ、確かに……。
じゃあ、小恋ちゃんが義之くんにやってあげる方向で……あ、バス!」
私の声に、杏ちゃんがバス停の方を見る。あとちょっとでたどり着けるそこには丁度、バスが止まっていた。
ナイスタイミング。けれど、それは最悪のタイミングとも紙一重。乗り過ごしてしまえばたっぷりと次のバスまで待たなければならないからだ。
(藍ちゃん! 早く早く〜、バス出ちゃうよ〜)
わかってるよ、茜ちゃん。
私と杏ちゃんは頷き会うと、バス停に向かって、走り出した。あと一歩のところでバスに乗りそこなうなんて、漫画的展開はご勘弁。
大丈夫!向かってくる客らしき人を見ながらアクセルを踏むKYな運転手なんて、この初音島にはいないはず!
その証拠に、バスの運転席。人の良さそうな初老の運転手がガラス越しにこちらを見て苦笑いをする。
すみませーん、と私たちは少しだけ会釈して、バスの中に滑り込んだ。
「ふぅ、危ない危ない」
(なんとか間に合ったね)
私たちが乗り込むのを待っていたかのように――いや、事実待っていたのだろう――バスは耳心地の良いエンジン音を響かせ、発進する。
窓の外に見える景色が後ろに流れていく。その速度はどんどん速くなっていった。
「開いてる席はないかしらね」
杏ちゃんがそう言い、バスの中を見渡す。私も彼女の視線を追って、辺りを見た。その時。
「杏先輩!」
キーン、と。耳に響く高い声。
「こっちだ、こっち! 開いてるぞー!」
私は苦笑いをし、杏ちゃんは少しだけ顔をしかめた。
(あはは……天枷さん、相変わらず元気だねぇ)
茜ちゃんが少しオブラートに包んだ感想をもらす。
元気なのはいいんだけど、ね。
「杏先輩、おはようございます! それに花咲も」
「おはよう」
「うん、おはよう。天枷さん」
声の主、天枷美夏が座っていたのは最後尾の席。列席だった。
半分くらいは埋まっていたが、隙間は残っていて、あと二人くらいは座れそうだった。お互いの体が擦りあうのを我慢するという条件付きだが、その辺りは身内で、しかも同性。問題はない。
私と杏ちゃんは二人して天枷さんの隣に腰掛けた。
「美夏。少し声が大きいわ。周りの迷惑でしょ」
やんわりとした、それでもはっきりとした叱責の言葉。
それを聞いた天枷さんはその時はじめて気付いたのか、ハッとして、申し訳なさそうに言った。
「え、あ……す、すまない。杏先輩を見かけて、嬉しくなってしまって……」
つい……、と頭を垂れる。その仕草は叱られた子犬のよう。
天枷美夏。どこに住んでいるかは知らないけど、彼女も私たちと同じバス通学組だ。
天枷さんはつい先日、風見学園に来た転入生であり、学年で言えば付属2年生。私――茜ちゃんや杏ちゃんの1学年下に当たる。
転入したてということで緊張があるか、彼女は誰に対してもつっけどんな態度を取る。その評判は転入して数日だというのに、学園の違う私たちのところまで届くほどだ。
しかし、何故か杏ちゃんには心を開いている。その慕いっぷりは半端なく、懐いている、と言ってもいいかもしれない。
「それより美夏。この間言っていたことなんだけど……」
「この間……ああ! 例の件だな!持って来たぞ!」
「あ、天枷さん。声、声……」
「うっ。す、すまん。 ……はい、杏先輩」
天枷さんは杏ちゃんに何かのノートを手渡し、杏ちゃんはそれをパラパラ、と流し見すると自分の鞄を開き、その中にしまった。
なんだろう?気になるな〜。でも、女の子同士の秘密。首を突っ込むのは野暮ってもの。私は興味なさそうに装い、流れていく風景に視線を移した。
「わかったわ。明日までには添削しておく」
「うむ。頼む、杏先輩。
杏先輩の慧眼にかなうほどのものではないが、今回のプランは結構なデキだと自負しているぞ」
「ふふ、慧眼だなんて。大げさすぎよ」
「いや、杏先輩は稀代の傑士。そう並ぶ者はいないほどの大器。この程度の褒め言葉では全然足りないぞ」
杏ちゃんと話す天枷さんは本当に楽しそうで。人当たりが悪い、なんていう評判が嘘のよう。
(天枷さんって、本当に杏ちゃんのことが好きなんだね)
(うん。そうだね)
多分、不器用な娘なんだろうな、と私も茜ちゃんも思う。
「次ね」
ふいに杏ちゃんが言う。
見ればバスはまた別のバス停を出たところで、次のバス停が私たちの目的地だ。
「よしっ。美夏が押すぞ!」
天枷さんが意気揚々と停車ボタンに指を伸ばそうとした――瞬間「ピンポーン」という音がバス内に響き渡り、ボタンが発光する。
ああ、誰かが先に押しちゃったか。
「む……」
大仰に構えた手のおろしどころがわからず硬直する天枷さん。うん、あるある。なんともいえないんだよね、こういうのって。
「残念だったわね、美夏」
「う、うむ……だが、次は負けん!」
「ええ。頑張って」
「あはは……わ、私も応援してるよ」
何を頑張るのか。バスの停車ボタンの早押しは果たして勝負なのか。
色々な疑問が胸を横切ったけど、とりあえず、私も笑っておいた。

バスを降りて、桜並木を歩く。ここまでくれば学園まであと少し。
桜並木と銘打たれるだけあって、一面に咲き乱れる桜の花びら。その薄桃色の輝きを見ていれば今が冬だってことも忘れそうになって、少しは寒さも和らぐ……気がする。
結構、長く分岐も多い、この並木道。
出口が風見学園前に繋がっているということもあり、バス通学組、徒歩通学組問わずほとんどの生徒はこの道を通ることになる。
「そういえば、今日は渉くんはいなかったね」
「どうせ寝坊でもしたんでしょ」
「フン。だらしのないヤツだ」
「まぁ次のバスに乗ればギリギリで間に合うだろうし。気にする必要はないわ。最も、気にする義理もないんだけど」
聞こえてくるのは茜ちゃんたちの会話。
今は身体のコントロールは茜ちゃんに返している。外に出ていると寒いしね。私はこうしてみんなの会話を聞きながら、朝の登校光景を観察させてもらっているわけだ。
この道を真っ直ぐにいけば、徒歩通学組との合流地点。今、私たちの周りを歩いている生徒たちは全員がバス通学組ということになる。
茜ちゃんたちみたいに仲間内での談笑に花を咲かせているグループもいれば、難しそうな本と睨めっこして歩いている生徒もいる。まだ年度末テストには早いけど、受験生の人かな? 単に日頃から勤勉な人かもしれないけど――って。
(えええっ!!?)
そんな中にありえないものを見つけて、私は素っ頓狂な声を上げた。
勿論、その声が聞こえたのは茜ちゃんだけだけど。茜ちゃんは目を白黒させて、
(あ、藍ちゃん。どうしたの?)
私の方を見て、問いかけてきた。
(え……あ、その……)
どうしたの、って言われても、なんていうか……。
もう一度、先ほどの方を見る。しかし、そこには何もない。通学中の学生たちの姿が見えるだけだった。
(……う、うん。なんでもない。見間違いだったみたい)
(そう?)
(そうそう♪ 大声だしてごめんね)
心の中だけで叫ぶのは、大声というのだろうか。そんなどうでもいいことを思う。
ほら、茜ちゃん。急に会話から外れて、変な方向を向いてる茜ちゃんを、杏ちゃんと天枷さんが怪訝そうな目で見てるよ。
「茜?」
「え、あ。ううん。なんでもない、なんでもないよ♪」
「あらぬ方を向いて硬直して、どうしたんだ。花咲? ……ん?」
じろり、と。
天枷さんが私の方を見る。
――キュイン。
どこからか、そんな電子音が聞こえた気がした。
天枷さんはまるでそこに何かを見つけたかのように目を凝らし――いや、そんなはずはない。茜ちゃん以外には私は認識できない。茜ちゃんが見ていた方向に何かがあるのか、気になって見ているだけだろう。そうだよね?
「……センサーが何かを捉えた気がしたが……気のせいか」
天枷さんはぼそり、と。誰にも聞き取れないような小さな声で何事かを呟くと、再び杏ちゃんたちの方に向き直った。
ふぅ……。
別に私のことを見たわけじゃないだろうけど、ちょっと緊張しちゃった。
それっきりで三人はいつものように、和気藹々とした談笑に戻る。
私はもう一度、後ろを振り向いてみたものの、そこには何も不思議なものはなかった。
(やっぱり、目の錯覚……だよね〜)
通学中の学生たちの中に混じって、ピンクの熊が歩いていたなんて。私の目の錯覚に決まっているよね。
……疲れてるのかな、私。
並木道の中央、枝分かれしていた道の合流地点。ここで徒歩組の生徒とバス組の生徒は丁度、かち合う形になる。
「いよっ、お三方。奇遇ですな〜、おはようでござる」
そこに待ち構えていたように立っていたのは、杉並くんだった。――ござる?
「おはよう」
「やっほ〜、杉並くん。おっはよ〜」
「ふむ、杉並か。おはよう」
おはよう、杉並くん♪
私もご挨拶。なんだかんだで彼とも風見学園入学当初からの付き合いだ。
「こんなところでアンタと会うなんて、珍しいわね」
「ふふ、そうか? まぁ、全ては星の巡り合わせよ」
相変わらずの意味深な笑いを浮かべて腕を組む杉並くん。
たしかに、杏ちゃんの言うように珍しいことだと私も思う。
不思議の塊みたいな私が言うのもなんだけど、杉並くんは不思議な人だ。
バスで一緒になることもあるから、バス通学組なのかと思えば、平然と徒歩通学組の中に混じっていたりするし、朝、まるで姿を見かけなくてもホームルームが始まるときにはいつの間にかクラスにはいる。
神出鬼没。その単語は彼のためにあるんじゃないかってくらいに。
彼の不思議で変わったところを上げればキリがないから、今回はこのくらいにしておくけど……とにかく、こんなところでごく普通に登校している最中の彼と出会うのは、たしかにレアなことだ。
まるで杉並くんが普通の生徒になったみたい……って、こんなこと言うと失礼かな。本人は自分が普通じゃないなんて言われても、逆に喜びそうだけど。
「みんな、おはよ〜」
そこに小恋ちゃんがやってくる。うん、これで雪月花勢ぞろい♪
月島小恋。
彼女と茜ちゃんは杏ちゃんと風見学園入学以来の付き合いで所謂仲良し三人組として知られている。それぞれの名字の頭文字をとってついたあだ名が「雪月花」だ。
「グッモーニン。月島」
「あ、杉並くん。珍しいね、こんなところで」
誰に対しても人当たりがよく、細かな気配りもできる。それでいておごったところのない。クラスの人気者。
しかし、何か思っていることをハッキリ言えないところや、押しの弱いところもあり、そのせいで雪月花の中での彼女のポジションは「弄られ役」。
私や茜ちゃん。杏ちゃんは彼女を色々からかってやることを至上の喜びとしていたりするのだ。
「今日も寒いね〜」
「ふふ、そうかなー? 私は寒くないよー」
「私は寒いはね。まぁ、小恋はあったかいでしょうけど」
「ふぇ? なんで?」
早速、仕掛けますか。
私が自分の心が弾んだのを感じた、その時。残りの徒歩組も合流したようだった。
そう、茜ちゃんたちにとっては大本命の、彼のご登場。
「へぇ。これはまた珍しい組み合わせだな」
「先輩方、それに天枷さん。おはようございます」
茜ちゃんたちも答えて、それぞれ挨拶を交わす。
並んで登校してきた二人の男女。桜内義之くんと、その妹の朝倉由夢さんだ。
「ったく、それにしても今日は寒いな。まだ12月だってのに」
お、チャンス。
茜ちゃん、杏ちゃん。ここで「寒いなら、あっためてあげようか」なんて切り出して――。
「天気予報でも言ってましたからね。今年はいつもよりも冷気の訪れが早いって」
「マジかよ。昨年の寒さでさえ、俺はいっぱいいっぱいだったんだぜ?」
「兄さんはだらしないですね。寒い寒い言っていたら余計に寒くなっちゃいますよ?」
「何、お前ほどじゃないさ」
「む……」
…………。
うーーん。いつもなら、義之くんと小恋ちゃん。どっちかをダシにどちらかを色々とからかっちゃうんだけど。
杏ちゃんは少しだけ考え込む素振りを見せたものの、
「今年はなんでも雪が降るかもしれないらしいわよ」
「わー、それじゃあホワイト・クリスマスになるかもしれないんだ〜」
切り出したのは当たり障りのない言葉だった。
隣に妹さんがいる手前、さすがに自重ですよね、まぁ。私、花咲藍個人としてはこの状況でも色々と強行してやりたいところだけど。
(藍ちゃん)
(はいはい。わかってますよーだ)
釘を刺されちゃった。
わかってるって。私もそこまでKYじゃないよ。

チャイムの鐘の音が全校に響き渡る。
これで、授業が全部終わり! だったら、すっごく嬉しいんだけど。生憎と、これは昼休みのチャイム。
それでも、一日のインターバルの突入ってわけで嬉しくないことはないんだけどね〜。
「お昼どうしようかなー」
茜ちゃんの声。
今日の朝は結構、ギリギリだったから、お弁当を作っている余裕なんて当然なかった。
購買に行くか、学食に行くか。その二択で迷っているのだ。
「なんだ。茜は今日、弁当じゃないのか」
そう言って声をかけてくるのは、茜ちゃんの後ろの席に座っている義之くん。自分の鞄からお弁当を取り出しながら、意外そうな目で茜ちゃんを見ている。
なんと、彼は男の子でありながら料理ができる。料理だけじゃない。洗濯もお掃除も。ようするに家事万能というやつなのだ。
「うん……今日は時間がなくて」
しょんぼりと肩を落とす茜ちゃん。時間がないどころか私が起こしてあげなきゃ遅刻確定だったしね〜。
「奇遇ね。私も今日はお弁当じゃないの」
「杏ちゃんも?」
「ええ」
「あ、私もなんだ〜」
杏ちゃんが茜ちゃんのもとに来ると、小恋ちゃんが挙手するような勢いでそれに加わった。
(ふーん。それじゃあさ。三人で学食に行ったら?)
女三人での昼食っていうのも気楽でよさそう。そう思い私は茜ちゃんに提案する。最も、私が言わなくても自然とその流れになっていただろうけど。
茜ちゃんは声には出さず目線だけで私の方を向き、頷いた。
「それじゃあさ、みんな。一緒に学食行かない」
「そうね」
「うん。月島的には賛成〜」
小恋ちゃんがそう言いながら、義之くんの方を見て、すぐに思い出したように残念がった。
「義之は――あ、そっか。お弁当だったね……」
「ああ。今日は珍しく早起きしたんでな。ま、俺はここで渉とでも食ってるから適当に……」
「月島ー! 俺、実は学食にしようと思ってたんだー!」
バタン! と音がなるくらいの勢いで渉くんが立ち上がる。妙に気合入ってるね〜。
「お前、さっき今日は購買って……」
「いや〜、なんていう偶然! ってわけでさ。俺も月島たちといっしょに」
「ダメよ」
ぴしゃり。
容赦もなにもない、杏ちゃんの鋭い言葉が。渉くんの勢いを制した。
「女三人の会合に、一人だけまじるつもり?」
「そうそう。私たちはこれから第30回雪月花定例会議を行うんだから」
そんな定例会議、あったっけ?
三人で集まって適当にだべることは何回もあったけど。
「じゃ、じゃあ、なんで義之は誘おうとしたんだよ〜!」
「え……そ、それは、義之だから」
「うん。義之くんだから」
「義之だからね」
「俺はダメで、義之はいいのね! やっぱり、そーなのね!」
血の涙を流し、吼える渉くん。
私もなんで渉くんはダメで義之くんはいいのか、と聞かれたらそれは、義之くんだから。としか言えない。まぁ義之くんは義之くん。渉くんは渉くん、ってことで。
咆哮する渉くんを差し置いて、茜ちゃんたちは教室を出た。向かうは先は学食、一直線だ。
「でさあ。小恋ちゃんはいつ義之くんに思いを打ち明けるの〜?」
開口一番。
学食でうまい具合に4人席を確保できて、各々が好きなメニューを頼み、さあ、食べるか。というその時。
茜ちゃんは言った。
「ふぇっ!?」
案の定、小恋ちゃんは、その顔を真っ赤にそめて裏返った声を出す。
「な、な、な……茜〜、いきなり何を言い出すの〜」
「だって〜。いつまでたっても小恋ちゃん。何もしないんだもーん。見ている側としていい加減やきもきしちゃって」
「べ、別に私は義之に対してそういうわけじゃ……」
しどろもどろになりながらの言い訳。
本人は否定しているが、小恋ちゃんと付き合いのある人で彼女の義之くんに対する思いを知らない人は果たしているのだろうか?
それくらいに小恋ちゃんの行動は、あからさまで、健気で、真摯だ。それに全然気付かない義之くんに少しだけやきもきした気持ちにもなる。
「甘いわね、茜。今時、ストレートに告白なんて、古いわ」
「ほほう。……と、いいますと杏ちゃん」
にやり、と企むように杏ちゃんは笑う。
「ここはアレよ。既成事実作戦よ」
「え、え、え〜!」
「方法としてはまず義之に大量のお酒を飲ませることが前提ね。記憶も動作も何もかも曖昧になるくらいまで飲ませて」
「ふむふむ」
飲ませて、飲ませて……?
「そのまま一緒にベッドイン。翌朝、義之が目を覚ますと隣には着崩れた姿の小恋が……」
うわー、いいアイディア。それなら、もう義之くんに選択肢なんて残ってないよね〜。
「幸いなことに義之の家、芳乃さんの家は家主である、園長先生が不在なことが多いみたいだし、その気になればいつでも……」
「実行できるというわけですな〜」
「もう! 杏も茜も〜、そんなのダメに決まってるでしょー!」
「え〜、いい案だと思うんだけど〜」
「全然良くないよ!」
真っ赤になって怒る小恋ちゃん。でもさ〜。
「うかうかしていると義之くん。誰かに取られちゃうかもよ」
茜ちゃんから身体を借りて、私はわりと真剣そうに、言った。
といっても日頃からそういう発言ばかり繰り返す、私&茜ちゃん。どれだけ真剣そうに言ってもなかなか伝わらないだろうけど。
だけど、今回はわりと、本気。
常に茜ちゃんの後ろで、一歩、離れたところで見ているだけに色々とわかることがある。
「取られちゃうって。そんなこと〜」
彼に限って、そういうことはありえない。小恋ちゃんはそう思っているのだろう。
しかし、
「…………」
杏ちゃんの方を見る。彼女は私の言葉に含まれた響きを読み取ってくれたのか。少しだけ深刻そうに目を細めていた。
(藍ちゃん? どうしたの?)
茜ちゃんが問いかけてくる。答えは返さない。
そう。先ほどの言葉は何も小恋ちゃんだけにかけた言葉じゃない。
この場にいる全員に向けた言葉だ。
「想ってることは、できる限りは素直に伝えた方がいいんじゃないかな? そうしないと、きっと後悔するよ」
なんでこんな言葉が出てくるのかな、と自分でも思った。私はそういうキャラじゃないだろう、って。
でも、言わずにはいられない。
この場にいるみんな。
茜ちゃん、杏ちゃん、小恋ちゃん。みんな良い人だ。
良い人だからこそ、たとえ、自分に想い人がいたとしてもその想いを伝えることができないでいる。
何故なら、みんな、知っているから。
想い人に想いを伝えることが、誰かの涙を呼ぶことを。
「あ、茜っ?」
「どうしたの。急に真面目モードになっちゃって」
「ふふ、どうしてかな。急に気になっちゃってね」
――ううん。前言撤回、私だから。かな。こんなことを言うのって。
私は不条理の上に成り立っている存在だ。
私の存在は不条理だ。明らかなるイレギュラー。原理も不明、理屈も不明。明日には消えてしまうかもしれないそんな曖昧な存在。それが、私。
だからこそ、自分のできることは全てやっておきたい。できる限り悔いはなくしておきたい。
「ま、あれだよ。小恋ちゃん、杏ちゃん」
「……?」
ああ。全く。
彼って本当に罪作りな人だよね。
「お互い、悔いが残らないように頑張ろうね♪」
勝利の女神が誰に微笑むのか。
ま、誰が勝とうとも、私の知ったことじゃないけどね♪

結局。
あれから、なんの因果か。
「それじゃ、みんなで義之の家にお邪魔することにしましょう」
杏ちゃんはそんなことを言い出し。
あれよあれよという間に、次の休日。義之くんの家でお泊り会が開催されることになってしまった。
「なーんか、すごいことになっちゃったね」
茜ちゃんの言葉に同意する。
うーん、色々とお節介だったかな? でも、見てられなかったのよねぇ。
自分の想いを自覚しているのに、恐れか、遠慮からかそれを伝えられないでいる小恋ちゃんも。自分の想いを押し殺して、友人の恋路を応援している二人も。
ほら、あるじゃない? 友達が何かのゲームをやってるのを隣から見ていると必要以上にあーだこーだって口出しちゃうことって。それに近い、かな?
「お泊り会かー、楽しみだな〜」
(うん。楽しみだね〜)
夕焼けの帰り道。
相変わらず、寂しげに全ての葉を落とした枯れ木と桜の花を満開にさかせた桜の木の競演が目に入る。なんていうチグハグさだろう。
そりゃ、わかってるよ。私もあの桜の木と同じ。チグハグで異質な存在だって。いつ崩れてもおかしくない不安定な足場の上に立っているんだって。
それでも――
「藍ちゃん、どうかした?」
(ううん。別にー。ちょっと考え事♪)
「ふぅん?」
――私は幸せだ。
本当に幸せな日々を送れている。この日々は本来なら有り得なかったもの。
たとえ、不条理が消えてしまって。チグハグが元に戻って。
私が消えてしまう時が来るとしても。
(…………)
その日が来るまでこの日々を。
(そんなことよりさー、茜ちゃん。明日のことなんだけど……)
不条理の上に成り立っている、この幸せを。
できる限りは、満喫してやろうと思うのだった。