続くドリーム・スクール・ライフ(後半)


 つくづく、この学園はお祭り好きだ。義之は窓の下、並び立つ露店を見ながら息をついた。

 今日は風見学園文化祭の日。
 クリスマスパーティーや卒業パーティーなどと違って、どこの学校でも行われる珍しくもなんともない行事だ。
 しかし、それでも、特殊な行事のように思ってしまうのはパーティー慣れ(あるいは飽き?)した風見学園の生徒ゆえか。

「委員長ー。そろそろ俺、上がっていいかー?」

 クラスの奥に向かって声をかける。
 クリスマスパーティーなどと同様に文化祭も各クラスごとに催し物が義務付けられているが、今回の義之のクラスの出し物はやきそば屋だった。
 出店といっても、素手で調理をする料理を出して「美少女が手で握った」などと怪しげな謳い文句をつけるわけでもなく、お客に対応するスタッフに変な服を着せることもなく、ましてや学園のアイドルを看板に掲げたショーを開催するわけでもない。
 至極、普通のやきそば屋だ。

「そうね。次の担当の人も帰って来たし……いいわよ。桜内、お疲れ様」
「ああ。そんじゃ、後はよろしく」

 義之はエプロンを脱ぐと、委員長を含む引継ぎのクラスメイトたちに手を振り、教室から出た。先ほどまで調理を担当していただけあり、その手には汗が溢れている。
 廊下に出て、自らの教室を見ると、やはりそこには普通のやきそば屋があった。出している物も普通ならば、客入りも普通。多いわけでも、少ないわけでも、特殊な趣向の客ばかり集まっているわけでもない。
 何気なく眺めているつもりで、それにどこか物足りなさを覚えている自分に気が付いて、義之はハッとした。

(……たしかに俺って不真面目なのかもな)

 とはいえ、これでいい。
 自称、真面目な生徒としては毎回毎回、妙な出し物で学園を騒がせるわけにもいかず、また今年に限っては仮に義之が何か特殊な出し物を考えても、それが実行できたかと聞かれれば難しい。
 なにせ、学年を代表するトラブルメーカーが集まっていた昨年とは事情が違う。
 杉並や杏が同じクラスだった昨年ならば、彼らが中心となることで委員長を言い包めて好き勝手な行いをすることができたかもしれないが、二人とも茜とも渉とも違うクラスになってしまった今、義之一人でそれを行うのは少し荷が重い。

 それでも、やろうと思えばできた。

 昨年のクラスは徹底的にバラバラにされてしまったとはいえ、今のクラスにも何人か、昨年同じクラスだった人間はいる。そして、なによりも今年、一緒のクラスになったななかの存在がある。
 義之とは友人といっていい関係の彼女はなんだかんだでそういうことが好きそうだし、『白河ななか』を味方につけることは、彼女を支持するクラス中の男子生徒の支持が得られることと同義だ。
 そうなれば委員長一人が反対しようともどうしようもない。自分の好きに采配を振るい、いくらでも派手なことをすることができた。
 しかし、義之がそれをしなかったのは、たった一つ。

「兄さん!」
「よっ」
「すみません、遅れました。交替の人が遅れちゃって……」

 息を切らせて走ってくる由夢。義之は気にするな、というように片手を上げた。

「俺の方も次の当番のヤツがなかなか帰ってこなくてさ。ついさっき解放されたところ」
「そうなんですか?」
「ああ」

 普通の出し物をしていれば生徒会に目をつけられることもなく、妙なことに時間を取られることもない。
 そして、決まった仕事さえこなしてしまえば自由な時間が保障される。
 義之が普通の出し物で満足した、いや、普通の出し物であってほしかった理由。それは由夢との時間を。彼女と共に学園を見て回る時間を、確実に確保したかったからだ。

「んじゃ。行くか、由夢」
「はいっ」

 聞くところによると杉並や杏は今年も、今回も妙な催し物を企てているらしい。
 戦力をズタズタに分散されたというのに、相変わらずそのバイタリティはある意味尊敬に値するし、義之の方にも「自分のクラスを放っておいて、こちらを手伝わないか」という悪魔の誘いがあった。
 しかし、一年前ならともかく、今の自分にとっては。

「〜〜♪」

 満面の笑みで手を引く由夢。その幸せそうな顔を見ていると自然と頬が緩む。

「楽しそうだな」
「兄さんだって、すっごく楽しそうな顔してるよ」
「はっ、馬鹿言え」

 学園をひっくり返すような大騒ぎをするよりも。

「硬派で有名なこの桜内義之。この程度のことで緩む頬なんてもってないわ」
「兄さんが硬派? それ本気で言ってるの?」
「ああ」
「…………」
「含み笑いはやめい。笑うなら堂々と笑いやがれ」

 恋人との二人っきりの時間。
 こちらの方が、よっぽど大事なことだった。



「そういえば兄さん。知ってる? 天枷さんのこと」

 外に広がっている出店を見て回っている時だった。由夢がそんなことを言ったのは。

「天枷?」

 言いながら手に持ったチョコバナナ・イチゴ味にかぶりつく。トッピングこそ違うが、由夢の手の中にもあるチョコバナナ。急に美夏の話題が出たのはこの存在あってこそだろう。

「あいつがどうした?」
「うん。なんでもね。ミスコンに出るらしいよ」
「へぇ、ミスコンにね」パクリ、と。口の中にいれたチョコバナナを噛み砕く。この大雑把な味が実に「――ってえええ!?」

 イチゴの風味を纏った食感を飲み込む寸前、義之は盛大にそれを噴出した。ミスコンだって?あいつが!?

「うわっ! 兄さん汚いっ」
「す、すまん……。しかし……それ、マジ?」

 あの天枷美夏がミスコン?
 信じられない、とばかりに義之は由夢に訊ねるも、返ってくるのはやはり肯定の声。

「は、はい」
「嘘だろ? あいつが〜?」
「もう、ホントだってば。や、そりゃ私も驚いたけど……」

 口ごもりながら由夢はあたりを見渡す。ややあって、校門の付近、『受付』と記されたテントの近くに目を止め、そちらに走り出した。
 義之はチョコバナナの最後の一部分を口の中に放り込み、いまだに信じられない気持ちを抱えつつも、彼女の後を追う。
 由夢はテントの隅で一枚の紙、チラシを抱えていた。

 外来客のため『受付』の隣に設置された簡易机。そこには風見学園の全体図を始めとして、どこのクラスがどんな出し物を出しているか、特殊なイベントは何時に行われるのか、緊急の際の相談所、怪我をした時の治療所といった案内の冊子やチラシが置かれている。由夢が手に取ったのはその中の一枚のようだった。

「ほら、これ見て」
「なんだ、このチラシは。えーっと……何々……」

 差し出されたチラシを受け取り、目を通す。

 ――ミス風見学園付属コンテスト開催! 新たなるアイドルは誰だ!?

 デカデカとしたゴシップ体で。目が眩むような鮮やかなグラデーション彩色された文字。
 なんていう俗っぽい煽りだろう。センスの欠片も感じられないその中身に義之は軽い眩暈を覚えた。

「兄さん。これこれ」
「ああ……わかってるよ……」

 しかし、眩暈の原因はそれだけではない。一体何があったんだあいつ。いや、あいつ『ら』。
 チラシは結構、手の込んだもので出場予定者全員が顔写真付きで載っていて、誰が書いたのかそれぞれの魅力を解説した小文までついていた。中でも最も注意を惹くのは。

 ――ツンデレ頂上対決! 天枷美夏VSエリカ・ムラサキ

 そんな馬鹿馬鹿しい見出しと二人して映っている、しかめっ面の少女の顔だ。

「天枷のヤツ、本当に……っていうかムラサキのヤツまで」

 なんだこれは?天変地異の前触れか?明日は空から槍が降ってくるのか?
 義之は頭を抱えた。
 美夏も勿論そうだが、美夏と共に昨年の冬に転校してきたエリカ・ムラサキもこのようなことと縁のあるようには到底、思えない。義之はあまり接点はないが、何度かの接触で彼女という人間がどういう人間かは大体わかっているつもりだ。
 ミスコンなんていう俗世に染まりまくりの行事。あの自尊心の高い外国のお姫様ならば、ばかばかしいと一言で吐き捨てそうなものだが。それが、何故。

「どういうことだ?」

 上ずった声で由夢に聞く。
 それは、摩訶不思議なことを目の当たりにし、オーバーヒートしそうな自分の脳を覚ますための独り言に近いもので、返事は期待していなかったのだが。

「説明しよう!」

 意外な方向から飛んできた、返事。
 そのハリのある声に義之も由夢もギョッとして、振り返ると。

「す、杉並……」
「杉並先輩……」
「フフフ。久しいな、桜内。そして朝倉妹」

 腕を組み、相変わらずの不敵な笑みを浮かべて、杉並がそこに立っていた。
 たしかに今日、彼の顔を見るのは初めてだが、義之の記憶が確かならば、昨日の帰りに会っているはず。由夢と二人して帰るところに今のようにどこからともなく現れては冷やかしの言葉を浴びせて、去っていったはず。それでいて「久しいな」とはいかに。
 そんなことを心の中で思いつつも、義之は口に出さなかった。この男の言うことに一つ一つ突っ込んでいては日が暮れてしまう。

「風見学園においてミスコンとは半世紀以上も前から続く伝統行事であることは二人とも知っての通りだが」
「はぁ」
「今回のミスコンは近年においても、特に大きな意味を持っている」
「……どうしてですか?」
「別にいつもと変わらない普通のミスコンだと思うが」

 チラシをひらひらとさせながら義之は言った。たしかに、天枷美夏とエリカ・ムラサキが参加しているという点においてはたしかに異例中の異例と言えるが、それ以外は至って変わらない、至極普通のミスコンだ。
 そんな義之を杉並は虫けらを見るようなあきれ果てた目で見た。

「フッ、考えてみろ。ここ数年の風見学園のミスコン。その内容を」
「ここ数年の内容……?」

 相変わらずのもったいぶった話し方。そう思いながらも義之は自分が風見学園に入学してからのミスコンのことを思い返してみた。

「……白河さん、ですね」

 しかし、それよりも早く、おそらくは杉並の望んでいた答えに辿りついたのは由夢だった。杉並は由夢を感心するように見ると、次に義之の方をやはり見下したような目で見た。

「フッ、その通りだ。さすがは朝倉妹。頭が切れる。……それに比べて桜内は。やれやれ」
「白河? ななかがどうしたんだ?」
「ここ数年のミスコンにおいては常に彼女が絶対者として君臨していたわ」
「っ!?」

 唐突に会話に割り込んできた抑制のない声。

「杏……」
「雪村先輩……」
「その通りだ、雪村嬢。彼女の人気は今更、語るまでもない。ミスコンに出場してしまえば、勝利は確定。ここ数年のミス風見学園コンテストは消化試合とでも言うか、実質的に、白河ななかの人気を再確認するためのものだった」

 どうしてお前達は、そうどこからともなく現れるんだ。
 義之の中で色々と突っ込みを入れたい気分が溢れかえったものの、杉並の言いたいことはおおまかには理解できてきた。

「参加者を付属生徒に限定したのは、つまり、そういうことか?」

 新たなるアイドルは誰だ、とか言ったふざけた煽りもつまりはそういうことだ。
 本校に進級したななかに代わり、付属の中でアイドルとして君臨できる人材。それを抜擢することがこのミスコンの目的、いやお題目だろう。

 誰が企画したのかは知らないが(目の前で不敵に笑う男かもしれない)うまく考えたものだ。全てはななかの入学以降、その絶対的な人気のせいで『白河ななかの人気を確認するための消化試合』(こういってしまうと色々と語弊が生じる。その消化試合をみんなして楽しんでいる感はあった)と化したミスコンをそれとは違った形で盛り上げようと頭を捻った結果なのだろう。
 付属生徒だけでミスコンを行うといえば、盛り上がらないかもしれないが、それを『白河ななかに次ぐニューアイドルの誕生をその目で見届けろ!』と宣伝してしまえば話は別だ。
 話題事があればつい乗ってしまうのが人間の心理。たとえそれがポーズに過ぎないとしても、だ。

「いや、ミスコンに関してはわかったけどさ」

 今回のミスコンに関してはよくわかった。本当によくわかった。しかし。それは自分が聞きたかったことの説明にはなっていない。

「……で、なんでそれが天枷やムラサキが参加していることに繋がるんだ?」

 義之の言葉に対し、杉並はまるで動じず、チッチッチ、と指を振った。

「フッ、お題目だけとはいえ仮にも白河ななかに次ぐと宣伝しているのだ。参加者はある程度のネームバリュー、そして、人気がなければ話にならんし、盛り上がらんだろう」
「それで美夏と彼女よ」
「ネームバリュー? 人気? 天枷とムラサキが?」

 それこそ、嘘だ。
 たしかに、ネームバリューはあるかもしれない。特に外国のお姫様だというエリカに関しては。加えて、二人とも顔は悪くない。というよりも普通に可愛いに分類される顔たちをしていると義之でも思う。人気が出る要因はあるかもしれない。
 だが、二人とも常に周りを萎縮されるような敵意を放っている。それで全て帳消しだろう。いくら美人でも可愛くても、愛嬌の欠片もない人間に人気が出るわけがない。
 そう思って、義之は由夢を見るも、彼女は、

「結構、人気ありますからね。天枷さんもエリカさんも」

 と納得がいったように頷いていた。

「マジか……?」
「義之には理解できないかもしれないけど、世の中には色んな人がいるのよ」
「そういうことだ、桜内。
 我々、非公式新聞部の調べでは『エリカ嬢に罵られ隊』『天枷嬢のバナナの皮で滑って転び隊』。双方共に、結構な数の人間が所属していることの確認が取れている」
「なんだよ、そのネーミングは」

 義之が信じられない思いを抱いていると、仕切りなおすように杉並が言う。

「……ま、とにかく。我々主催者……もとい、開催をサポートする身としては二人には是非とも参加してもらいたかったわけだ」

 ようやく本題。義之が聞きたかった答えが聞けそうだった。

「お前らが裏で手を回したのか? それにしてもよく……」
「美夏を参加させるのは簡単だったわ」

 杏がなんてことないように言った。
 杏のことをそれこそ犬のように慕っている美夏だ。たしかに、彼女が「出ろ」と一言言えば二つ返事で応じるかもしれない。

「エリカ嬢に関しても、楽な仕事だったぞ」と杉並の笑い。「いや、はや。やはり、あれは高坂まゆきと同じタイプだな。こちらが少し挑発すれば、すぐに乗ってくる。なんとも扱いやすいことだ」
「………………」

 そう言って、高笑いをかます杉並に義之は肩を竦め、由夢は呆然としていた。

(ま、たしかにムラサキって何かとのせられやすそうだしなぁ……)

 杉並がどのようにして彼女をミスコンに参加させたか。その詳細は知る由もないが、大まかな想像はついた。

「お前らの今年の悪巧みって。これか?」
「フッ、まさか」
「私たちは善意で手伝っているだけよ」

 不敵な笑いが二つ。
 その顔を見ていれば、真実はわかる。ミスコンを支援して何を企んでいるのやら。

(まぁ、いいか)

 自分には関係ないこと。義之はそう思い由夢の手を取った。
 あの天枷美夏やエリカ・ムラサキの出るミスコン。興味がないと言えば嘘になるが、それなよりも由夢との二人の時間の方が大切だ。

(んなことより、次はどこに行こうかな)

 ミスコンのことを頭から振り払い、由夢と共に歩き出そうとした義之だったが。

「……それで、朝倉妹よ。例の件、考えてくれたかな」

 杉並の言葉にピクリ、と由夢が硬直した。

「例の件?」
「言ったでしょ。このコンテストは参加者のレベルがある程度高くないといけないって」
「天枷美夏やエリカ・ムラサキもコアな人気はたしかにあるが、大衆的な人気という面では少し弱い。
 白河ななかのようにルックスもスタイルもよく、尚且つ、誰とでも好意的に接する。現在の付属生の中でその条件に当てはまるのは……」

 言いながら、杉並は由夢を見る。
 なるほど、と義之は内心で頷いた。たしかに由夢の学園での人気は結構なものがある。自分が言うのもなんだが、ルックスもスタイルもいいし、それに、優等生モードで見せる慈悲に溢れた行いがあわさればまさに天下無双。
 最も、これは由夢の恋人である自分の主観だ。多少、身内贔屓の加わった評価かもしれないが、隠れファンクラブがあるという噂もあるし、人気があるのは間違いないだろう。
 今回のミスコンに参加してしまえば、確実に優勝候補となるだろう。しかし、由夢は首を横に振った。

「以前も言いましたけど、お断りします」
「ふむ、どうしても、か?」
「はい。そういうのって、私の柄じゃありませんし……」

 杉並の鋭い視線から逃れるように、口ごもる由夢。
 どうやら、前々からミスコンに参加しないかと声はかかっていたらしい。考えてみれば、かかっていない方がおかしいのだが。

「残念ね」
「すみません。雪村先輩。私はやっぱり……」
「あ、ううん。今のは、由夢さんに言ったんじゃなくて……」ハッとしたように訂正する杏。その身振りと口ぶりが随分とわざとらしく見える。「……義之に言ったのよ」
「へ?」

 急に話を振られて、義之は困惑した。

「え、兄さん……?」
「どういうことだ、杏」

 なんで俺が。
 視線だけを向け自分を見ている杏に対して、そう問いかけようとした、その時。

「杏せんぱ〜〜い!」

 思わず耳を紡ぎたくなるような甲高い声が響く。
 義之の知り合いの中でもおそらくは最も特徴的な、聞き間違えようがない声。さながら飼い犬が慕っている飼い主に擦り寄るときに出すような声。その主を確信して、振り向いた義之は息を飲んだ。

「ほほぅ……。これは、なかなか」
「あ、天枷さん……?」

 感心したように頷く杉並と、唖然として口を開く由夢。声が飛んできた方向、そこには。
 ――――見たこともない少女がいた。

「どうにも動き辛いなー、これって」
「そりゃ、ドレスだからね」

 思わずヒュウ、と口笛がなる。
 周りの生徒たちの視線も自然と集まる。声の主のしている格好はあまりにも異質でそれだけ特異だ。

「美夏。ダメでしょ。本番までその姿を見せちゃ」
「む? そうなのか?」
「天枷さん。素敵……」

 いや、間違いはない。目の前の少女は天枷美夏だ。しかし、纏っている衣装があまりにも新鮮すぎて、別人に見える。
 いつもの牛柄帽子もなければ深紅のマフラーもない。服も風見学園付属制服でもなく、私服でもない。
 青みがかった黒を基調とした生地で編み上げられたドレス。ところどころに(過剰なまでに)フリルのついたそのワンピースタイプのドレス。膝まで伸びたそのスカートの下もやはり黒いタイツでいつもの活発そうな印象がいい意味で消えている。
 袖は二の腕までの長さがあるものの、わざわざ肩を露出するようなデザインになっていて、黒いドレスの隙間に健康的な肌色が見えた。
 いつもは跳ね気味の髪もしっかりブラッシングされたのか綺麗に流れ落ちており、その髪の毛をまとめているカチューシャも複雑な紋様のフリルで飾り立てられたゴスロリ調。
 ゴスロリ淑女。ふいにそんな単語が思い浮かんだ。

「今回のミスコンは……」タイミングを計っていたかのように、杉並が口を開く。「開催者の手芸部もノリ気でな。参加者全員に謹製のドレスを用意するそうだ」
「ま、美夏のは私がコーディネイトしたんだけどね」

 たしかに、美夏のドレスは全体的に杏の趣味が見え隠れする。おそらく、手芸部の用意したものにプラスして杏個人や演劇部の所有の物も合わせたのだろう。

「ふふ……由夢さんの晴れ姿、見てみたかったでしょ、義之?」
「む……」

 それで「残念ね」か。由夢があんな風に綺麗なドレスを纏った姿――――たしかに、見てみたい。

「朝倉妹も、一度、こういった格好をしてみたいのではないかな?」
「……や。わ、私は別に……」

 興味ないです。とでも言うようにソッポを向く由夢。それでも彼女は横目で美夏の方をチラチラと伺っていて、その本音は見え見えだった。

「兄さんも別に見たくない、よね……?」
「いや。俺は見てみたい、かな」
「え……」

 義之の返事に由夢は言葉を失った。

「や、けど……ミスコンだし……」
「ま、たしかに色々と面倒くさいことだけど」

 それこそ、由夢の言葉を借りれば「かったるい」。しかし、それ以上に。

「俺は見てみたいな。由夢の晴れ姿」

 それが自分の本音だった。
 義之の言葉を聞き、勝った、とでも言うように杉並と杏が笑みを浮かべる。
 そういえば、今回のミスコンはこいつらが絡んでいたんだ。頭の中からすっかり、抜け落ちていた。

「う、うーん……」
「どうする、由夢さん?」
「わ、私は別にドレスとかにあまり興味はないけど……」

 興味はない、と言うが杏や杉並が傍にいるのについ素で話しているあたり、優等生モードを忘れるくらいには興味があるのだろう。
 そうやって、一人で暫く唸っていた由夢だったが。

「兄さんがそういうのなら、出てあげてもいいかな……」

 ややあって、素っ気なさそうに頷いた。

「フッ、了解したぞ。手芸部連中にはすぐに連絡しよう。何、安心したまえ、準備はすぐに済む!」
「そうなのか?」
「杉並のヤツはじめから、由夢さんが参加することが決まっているかのように手芸部に伝えていたからね」
「由夢も参加するのか!? ならば美夏と勝負だな!」

 飛んできた大声に義之は肩をすくめて美夏を見た。こいつの中ではミスコンはかけっこやジャンケンと同じような感覚なんだろうか? というかミスコンがどういうものか理解しているのかも怪しい。

(にしても……)

 普段とまったく違うその姿は本当に別人のよう。着ている物が変わだけでこうも印象が変わるものなんだな、と少しだけ感心させられる。
 こんなドレスを由夢も着る。そう思えば。その姿を思い浮かべれば。義之は自分の胸が跳ねるような感覚を覚えた。

「ん。どうした、桜内? 美夏の顔に何かついてるか?」
「いや、そういうわけじゃ」

 きょとんとした美夏の声に首を振る。そういうわけではない。この先のことを楽しみにするあまり義之は、

「ふふ。違うわよ美夏。義之はね、貴方に見惚れていたの」
「そうそう。見惚れ……って」

 反射的に杏の言葉に相槌を打ってしまった。

「兄さん……!」

 由夢の表情が変わった。怒ったような声にビクリ、と身体がすくむ。

「え? あ、違うぞ。これはだな……」
「桜内が美夏に? 何故だ?」
「………………」

 慌てて弁明するも、不機嫌そうに曇った由夢の表情を晴らすことはできず、その瞳は微かな怒りと冷たさを秘めて義之を見据えた。

「すみません、杉並先輩。案内してください」

 かと思えば、ふいにお団子頭の髪を揺らし、杉並を振り向く。

「わかった。では、エスコートしよう。朝倉妹よ」
「はい。ドレスが必要なら、はやく準備しないと」
「私も支度を手伝うわ。 美夏、貴方は先に会場に戻っていなさい」
「わかった!」
「あのー、由夢……」

 足早に立ち去ろうとする由夢の背中に声をかける。
 由夢はこちらを一瞥すると、

「……兄さんが見惚れていいのは、私だけなんです!」

 それだけを言い残し、義之のもとから去っていった。


 体育館。伝統により、ミスコンの会場となっているこの場所は熱気に満ちていた。
 薄暗い体育館の中、スポットライトの光が壇上を照らしあげ、その場に並んだドレス姿の女子生徒たち。彼女たちにマイクを握った司会者が何事かをたずね、一問一答のたびに館中に興奮が走る。
 それは学園で祭りがあるたびに、ミスコンがあるたびに。繰り返し行われてきた光景。よく飽きもしないものだ。

(それにしても、なんつー熱気だよ……)

 体育館を包む異質なオーラに義之は呆れながらも、愛しい人の晴れ着姿を少しでもよく見ようと、最前列に陣取っている自分も同じ類の人間かと思い、自嘲するように笑った。

(サマになりすぎだろ、あれ)

 視線の先にいるのは真っ赤なドレスに身を包んだエリカ・ムラサキ嬢だ。
 壇上に並ぶ他の参加者たちと比べてシンプルなデザインながら、一際露出の大きいそのドレスは長身でスタイルもいい彼女にばっちり似合っていた。ハイヒールをあれだけは見事に履きこなしている女性を義之は初めて見た。
 外国のお姫様ときいていたが、あの姿は、むしろ『お姫様』というよりも『女王様』だ。

(罵られたり、踏まれたりしたいってヤツの気持ちもわからないでもないかも……まぁ、俺はそっち系じゃないけど)

 輝きを放っている、とでも言うべきか。その容貌にはやはり惹かれるものがある。

「そういえば、エリカさんと高坂まゆき副会長は本当によく一緒にいらっしゃいますが……もしかして、そういった関係なのでは」
「そんなわけないでしょう!たしかに高坂先輩は尊敬する先輩だけど! 私はそういった趣味はありません!」
「そうですか。それは、失礼しました〜」

 怒気をはらんだエリカの声と悪びれた様子のない司会者の声が会場に響いた。
 先ほど「好きな人は誰?」という質問に対して、色々と勘違いした某氏が「杏先輩!」と元気よく答えたせいで、会場を埋め尽くす男子諸君の間によからぬ想像が広がり、それに応じるようにトークの中身がそういう流れになってしまっていた。

「まったく。今更ですが本当に下賎……。やっぱり、参加しなければよかった」

 どうやら、彼女は杉並の口車に乗せられてしまったことを心底後悔しているようだった。不機嫌そうなその声もマイクで拡大され、その言葉の何が嬉しいのか野太い歓声が上がる。――あれが、杉並の言う「罵られ隊」なるあやしげな連中だろうか?
 一通りトークが落ち着いたのを見計らって、隣に座る渉が口を開く。

「ミス風見学園コンテスト付属生限定戦。ツンデレゴスロリ美少女VSツンデレクィーン美女 ツンデレ最終決戦! ……ってとこか」
「変なサブタイトルつけんでいい」

 本日何度目かもわからない渉の解説に義之は辟易した。この最前列の席が確保できたのは彼のおかげとはいえ、ミスコンの開始時から頼んでもいないのに随時、コメントを聞かせられるのは勘弁願いたい。
 ――そういえば、チラシにも『ツンデレ決戦!』なる意味不明な文脈があったが、あれを書いたのはまさか……。
 義之の視線に何を思ったのか、渉はけらけらと笑った。

「ま、なんにせよ。天枷のヤツかムラサキのどっちかだろうな。この勝負」
「そうか?」
「そうだぜ」

 当たり前だろ、とでもいいたげな口調。
 たしかに。この中ではあの二人のどちらかだろうと義之も思った。やはりというかなんというか、他の参加者と比べて頭一つも二つも突き抜けている。
 この面子の中ではあの二人のどちらかが優勝でどちらかが準優勝だ。この面子の中ならば。

「そいつは、どうかな」

 いつも杉並がするような不敵な表情。それを義之は意識して作ると、渉に言った。

「最後に隠し玉があるかもしれないぜ」
「隠し玉ー?」

 知らないのも無理はない。彼女の出場が決まったのはつい先ほど。ミスコンの開始数十分前なのだから。
 チラシにも載っていないし、紹介もされていない。開始時には主催側は彼女が出場することを知っていたはずだが、おそらくはいいサプライズになると思っているのだろう。
 なんだよそれ、と渉が言いかけた時、会場の照明が落ちた。

「ん?」

 停電? いや、違う。これは。

「さて、ミスコンもクライマックス! ここで、みんなにサプライズの発表だ!」

 会場中にどよめきが広がり、一気に騒がしくなる。

「ミス風見学園コンテスト。付属生限定戦。次代のニューアイドルは誰だ!大会 最後の参加者を発表しよう!」

 カッと。急な発光に義之は目を覆った。
 暗転したかと思えば、そのスポットライトは壇上の一点を――。

「その名は、朝倉由夢!!!」

 会場の熱気が一気に上がり、男子たちは野太い声で歓迎の叫びをあげる。
 光は由夢を。純白のドレスを纏った朝倉由夢を照らしていた。その姿を目にした時、義之は息をするのを忘れた。
 まるでウェディングドレスのような、白一色の。フリルも付いていなければ、露出も多くない。白いドレス。だけど、それを着た由夢は、これまで義之が見てきたどの由夢よりも綺麗で、美しかった。
 現れただけでまるでそれまであった世界が、彼女を中心とした世界に塗り替えられてしまったかのような。めちゃくちゃな錯覚すら覚える。

「あ、み……みなさん。こ、こんにちは」

 いきなりの声援に恐縮しているのか、ぎこちない笑みを浮かべて、由夢は手を振った。すると、再び会場が揺れる。
 義之は深呼吸を一つして、ゴクン、と喉を鳴らした。
 いや、驚いた。興味はあったし、由夢ならどんなものを着ても似合うとは思っていたが、これほどとは。『清楚』『純真』『潔癖』。そんな美辞麗句が次々に浮かぶ。彼女の本性を知っている義之ですらそんな印象を抱いてしまうその姿は、さながら、白亜の姫君。

「ヒュー、こいつはすっげえ隠し玉……」

 渉が呆然として言う。その声も会場を覆わんとする声援に掻き消され、よくは聞こえない。

「どうも、朝倉さん」
「あ、どうも……」
「朝倉さんはたしか、今回がミスコン初参加ですよね?」
「はい。そうですね」

 最初は尻込みしていた由夢だったが、場の空気になれてきたのか、徐々にだがいつもの調子を取り戻せているように見えた。

「お姉さんもですが、学園を代表するアイドル・白河ななかに匹敵する人気があると言われながらも、お二人ともかたくなにこれまでのミスコンには参加しなかったわけですが……」
「え、や……そんな、白河先輩に匹敵するなんて大げさですよ。私もお姉ちゃんもそんな人気があるわけじゃ……」
「いえいえ。風見学園で朝倉さんたち姉妹の人気は相当なものですよ?
 と、まぁ、それは置いておきまして……今回になって参加を決意した理由はなんでしょうか!? 何か心境の変化でも!?」
「えっと……参加を決めた理由、ですか……」

 マイクを向けられた由夢は少しだけ口ごもり、後ろ髪を手で撫でた。

「兄さんが出てほしいって……」

 その瞬間、会場に妙な間が走ったのは、錯覚だろうか。
 横を向けば、そうなのか、と渉が目線で問いかけきている。

(いや、たしかにそう言ったけど)

 たしかに、自分も出て欲しいとは伝えたが。由夢自身も結構乗り気だったはず。それにしては、自分は出る気なんて0だった、と言外に伝えるような言い方だ。
 そもそも、自分の名前を出す必要がない。由夢は冷静になってるように見えて、やはりまだ混乱しているのかもしれない。この場合、単に「ドレスが着たかったんです」とだけ答えれば荒波も何も立たずに済む。
 迂闊に出してしまった「兄さん」発言。さて、どう突っ込まれるのやら、と義之は自分のことでもないのに身構えた。

「兄さん? 桜内義之さんのことですね」
「は、はい。私のドレス姿が見たいって」
「なるほどー。本当に兄妹仲がよろしいんですね〜」

 意外なことに司会者はそれ以上、突っ込んでくることはなかった。
 会場を盛り上げようと思えば、男女の話題にスライドさせる絶好のチャンスだったというのに。男女でも『兄妹』では話のネタにならないと思ったのか。完全に二人は『兄妹』とみなしているのか。だとしたら。

(………………)

 義之は少しだけ心外だった。

「それでは、次の質問ですが……」

 いつまでも『兄妹』に見られるのが嫌だ。
 そう言った由夢の気持ちが少しだけわかったような気がする。胸の中でもやもやとした感情が渦巻く。なにか、納得がいかない。

「ずばり!朝倉さんの好きな人は誰でしょうか!?」
「え……好きな人、ですか?」
「はい!」

 風見学園ミスコン恒例、好きな人を告白しちゃいましょうコーナー。司会者はマイクを由夢に手渡すと、もう片方のマイクで思い出したように言った。

「あ、お兄さんやお姉さんという答えはなしでお願いしますね。好きは好きでも、ライクではなく、ラブの方向で」

 彼がそんなことをわざわざ言ったのは多分、先ほど好きな人を聞かれて慕っている先輩の名前をあげた彼女のせいだろう。だが。

「…………」

 由夢はムッとしたように口ごもる。義之はこの瞬間、自分と由夢は全く同じことを考えていることと悟った。それは確信できる。

 ――――何を言っているんだろう?

「……兄さんです」

 ポツリ、と。マイクで拡大されているはずなのに、そうとはおもえないほど、小さい声。

「え?」
「私の好きな人は兄さんです」
「えーっと……ですから……」

 物分りの悪い司会者だ。そして、観客も。
 義之はチラリ、と会場を見渡した。由夢があれだけのことを言っているのにいまだに無反応。というか、意味を捉え損ねているのか? そうか。それだけ認識が強いのか。それだけ『兄妹』か。

「私、朝倉由夢は……」
「朝倉由夢は……?」
「兄さんと……桜内義之と付き合っています!」

 やっとの思いで搾り出したような声と共に会場が震えた。

「え、ええ!?」

 司会者が素っ頓狂な声をあげる。面食らったのは司会者だけではないようで会場全体に衝撃が伝達していくのがわかった。

「ど、どういうことです!?」
「……………」
「付き合っているって、お二人は兄妹――」
「はーっはっはっはっはっはっは!!!」

 あからさまに当惑した司会者の声を遮り、会場に笑い声が響いた。この声は――

「杉並!?」

 渉がビシッと、指で壇上の端を示す。やや遅れて、スポットライトの光がその場所を照らす。

「甘い、甘すぎるぞ!司会者!兄妹などという仮初めに惑わされ、その真実を見逃すとはなぁ!!」

 いつの間にあらわれたのやら。そこにはいたのは杉並だった。どこから拝借したのかマイクを手にしている。
 司会者もミスコンの参加者も、勿論、観客も全員が呆然となった。

「す、杉並さん……」
「そのあたりのことを語るは男の役目だ。桜内!」
「っ?!」

 急に話を振られ義之はドキリとした。

「カモン、桜内! お前の手で真実を、ここにいる烏合の衆どもに教えてやれ」
「……そうですね、桜内義之さん!本当のところはどうなんでしょうか!?」

 不敵に腕を組む杉並。その隣では司会者が我を取り戻したようにマイクに向かって喋る。
 当初こそ当惑していたが、流石に司会なんてことをやるだけあり、場慣れしている。今、この場が、イベントとしてはなんともおいしい場面であることに気付いたようだ。
 スポットライトの光がピンポイントで義之に当てられ、その眩しさに顔をしかめた。

(…………どういうことだよ)

 自分目掛けて一直線に向けられた光。それは壇上で話題になっている人物をたまたま見かけたから照らしたわけでもなければ、目標の人物を探し回って見つけたという風にも思えなかった。
 まるで初めから義之がそこにいることをわかっていたかのように。
 まるで初めから義之にライトを当てる必要性が生じることがわかっていたかのように。
 ライトは自分の姿を捉え、照らし上げた。

「お、おい、義之……」

 弱々しい渉の声。どうするんだよ。と顔に書いてあった。

(そんなの俺が知るか!)

 会場中の注目が自分に集まってくるのがわかる。自分はミスコンを見に来ただけなのに。なんの因果で、こんな。

「どうした、桜内? ちょうどいい機会ではないか。お前たちのことを世に知らしめるための、な」

 ニヤリ、と笑う杉並。――そうか、そういうことか。
 もはや、退路がどこにもないことを知った義之はガックリ、と肩を落とし、

「……オッケー。そういうことなら、わかったよ……!」

 覚悟を決めた。
 スポットライトの追跡を受けながら、義之は前に出て、壇上に登る。そうして、ステージの中心、由夢の隣に立った。

(ひゅう……こいつは)

 壇上に立てば、館内の全ての視線が自分に突き刺さるように感じる。こんな場所に立てば誰だって平静さを失う。
 義之は喉が渇くことを感じた。
 後ろを見れば、他のミスコン参加者たち。勿論、美夏やエリカとも目があう。そういえば彼女たちはインタビューの際も普段とまるで変わらない様子だった。その剛胆さに少しだけ感心する。願わくば、少しだけでいいからそれを自分にわけてほしいものだ。

「に、兄さん……」

 不安、いや困惑した様子で由夢が義之に寄り添う。間近でみるとそのドレス姿はやはり綺麗だった。
 震えるその手を義之は左手で握った。

「大丈夫だ、由夢。……こうなった以上は仕方がない。まぁ、任せろ」

 安心させるように笑顔を見せると、もう片方の手でマイクを受け取り、司会者の方に向き直る。

「悪いな。由夢はちょっと口下手で恥ずかしがりなところがあってな。代わりに俺が質問に答えるよ」
「そ、それは兄として、ですか?」
「兄?」

 兄。一年前なら、それで正解。正解『だった』。

「いや。朝倉由夢の恋人として、だ」

 義之の言葉と共に、会場が揺れた。さながら地震か何かのようだ。
 心臓が震える。緊張で歯がなる。だけど、もう引き返せない。

「我々はお二人のことを『兄妹』と認識していました。ですが、その認識は誤りだった、と」
「まぁ、一年前まではそれであってたんだけど……色々あってね」

 気が付けば、杉並の姿はどこかに消えていた。なんとも無責任なヤツ。しかし、ヤツの言うことにも一理ある。考えてみれば丁度いい機会じゃないか。

「朝倉さんが桜内さんのことを好きなように、桜内さんも朝倉さんのことを?」
「ああ、好きさ」
「そ、それは、その……所謂、家族としての兄妹愛ではなく……」

 この期に及んでも相変わらずの確認を取る司会者に義之は少しだけ呆れた。
 全く、しつこいな。さっきからそうじゃないって言ってるじゃないか。まだ、わからないってのなら、言ってやる。聞かせてやる。思いっきり。

「そうとも。勿論、兄としての愛情もあるけど、それ以上に一人の男として」

 どうせここまできたんだ。全てを吐き出すくらいの勢いで。俺の気持ちを、想いを。清水の舞台から飛び降りるくらいの気分で。飛び降りるぞ。飛ぶぞ。俺は飛べる。

 義之はすうっと息を吸い、そして、吐いた。

 アァァァァイ――――

「俺は由夢のことが好きだ。愛してる!」

 キャァァァァァァン――――

「世界中の誰よりもな! 兄妹でも家族でもなんでもいい!」

 一瞬、体育館が静まり返ったかと思うとすぐにワッ、と歓声が巻き上がった。

「俺は由夢が好きなんだーーーっ!! 文句があるかぁーーっ!!」

 ――――フラァァァァァァァァァイ!!!


 秋風が心地よかった。
 蒸し暑さもなければ、肌寒さもない。一番、快適で心地のよい秋の夜長。

「どうかな?兄さん」

 縁側、小皿の上に並んだ多少不恰好な形の月見団子。
 由夢謹製のそれを義之は一つ手に取ると口の中に放り込んだ。

「美味い」
「本当?」
「ああ。美味いよ、由夢。上達したな」

 率直な褒め言葉に由夢が微笑む。
 着ている服はパジャマ。昼間のドレスと比べると笑ってしまうくらい簡素で何の変哲もないただのパジャマ。ただ、義之がプレゼントしたというだけの。

「ほら、褒美」

 義之が手のひらを握り、神経を集中させると、次の瞬間には。

「わあ」
「月見饅頭だ。美味いぞ」

 ふっくらとした饅頭が出現していた。
 受け取る由夢の顔は純真な笑顔。義之の和菓子を食べるときの彼女はいつもそうだ。

(にしても……)

 昼間のことを思い出して、義之はため息を吐いた。勢いに飲まれていたとはいえ、なんたることをしてしまったのか。思い出せば顔から火が出そうになる。渉には何故か『勇者』だのなんだの讃えられたが、勇者どころかとんだ色ボケ大馬鹿者だ。

「どうしたの兄さん?」
「いや、昼のことを思い出してな……」
「ああ」

 なるほど、と笑う由夢。その表情からは義之と違い、たいして気にはしていないように思えた。

「まったく、若さゆえの過ちとでも言うか。はぁ……まんまと乗せられたなぁ。杉並に」

 杉並だけではない。多分、杏も結託していたのではないだろうか? そう考えると義之はなんともいえない思いだった。

「あはは。でも、これでみんなわかってくれたよね?」
「ん?」
「私たちのこと」
「そりゃ、な」

 あれだけ派手なことをしたんだ。明日にはもう学園公認のカップルというヤツだろう。その前に『バ』の字が付くかもしれないが。
 嬉しいやら、悲しいやら。
 義之は縁側の外を見た。芳乃邸の庭では秋の虫たちが鳴き声を響かせており、その音色を聞いていると、自然と気分が落ち着いていった。
 そのせいか、ふいに思い出す。

「それにしても、ドレス姿。ホント、似合ってたぞ」
「そ、そうかな?」

 見惚れる、とはまさにああいう状態をさすんだな、と思った。

「ああ。すごい綺麗だった。一瞬、どこぞの天使様かと錯覚するくらい」
「ふ、ふーんだ。またそんなこと言って。その手にはのりませんよ〜だ」
「おいおい……」

 別におだててるわけでもなければ、世辞を言ってるわけでもないのだが。
 義之は肩をすくめた。

(ま、いっか)

 これからずっと一緒にいるんだ。またあのような姿を見る機会もあるだろう。
 縁側から上に、視界を上げる。そこには――。

「……綺麗ですね。兄さん」

 雲一つない秋の夜空。
 煌めく星々の中、大きな満月が浮かんでいた。

(…………)

 月はたしかに綺麗だけど、その月の光を浴びた由夢の横顔はもっと綺麗で――。

(お前の方が綺麗だよ……なんて、くさい台詞)

 流石に言えない。お約束過ぎる上に、くさすぎる。

「にしても、ミスコン優勝かぁ。やっぱ、人気あったんだな、由夢は」

 隠れファンクラブがある。という噂は聞いていた。人気があるとも聞いていた。『白河ななか』に匹敵するとまで言われていることも知っていた。
 だが、実感はなかった。人気があるのは事実だろうけど、どうせ大げさに言っているだけだと、思っていた。

「俺としてはちょっと複雑な気分、かもな」

 義之の言葉に由夢はきょとんとした。

「恋人があまり人気があるってのは」
「あぁ、そういうこと」

 理解したように由夢は頷くと。くすりと笑い、

「大丈夫だよ。私にどれだけの人が好意を寄せても、私が好きな男の子は、世界で兄さん一人だけだから」

 そんな。
 なんとも嬉しいことを言ってのけるのだった。




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