如月知古辣祭典@雪月花
その日は朝から学園全体が浮かれ気味だった。
男子の多くはそわそわと辺りを気にしつつも、やはり露骨に期待を表に出すのは恥ずかしいのか、何でもない風を装う。しかし、傍目には気にしまくりなのが明らかで。それがまた滑稽な姿に思える。
女子は女子で、赤い頬をしながら、ちらちらと男子の様子をうかがって、自らの勇気を奮いたてながらタイミングを待つ。
全体的に浮いた雰囲気の風見学園。
別に文化祭があるわけでも、体育祭があるわけでも、クリスマスパーティーがあるわけでもない。むしろ逆だ。年度末テストの真っ只中。普通に考えれば、テンションが下がることはあれど、上がることは早々ないように思える。
だが今日は普通の日ではなかった。
そう、正月気分が抜けた頃合を見計らうかのように訪れる晩冬の祭典。その名も――。

「ふあ〜あ……」
テスト終了を告げるチャイムの音が鳴り響く中、義之は窓の外に広がる青空に向かって大きな欠伸をした。
眉間のところにネジで締めつけられるような鈍い痛みを感じるが、なんとか終わった。最難関と思っていた数学だったが、思いのほかよくできたと思う。
開放感のままに背もたれに体重を預けて、椅子のカーブに沿うように背筋を丸め、両腕を天井に向かって突き上げる。上げた両手の指と指を絡めて、さらにグッと真上に引き上げながらもうひと欠伸。
「ああ、ねむ……」
一時間椅子に座りっぱなしだったせいか筋肉は強張り、多少筋を伸ばしたくらいでは気だるさは消えない。それに加えて一夜漬けでテストに挑んだ代償か、耐え難い眠気が襲ってきて、せっかくテストが終わったというのになんとも言い難いだるさがある。
さっさと家に帰って、昼寝でもしよう。明日もテストはあるけど、ちょっと休むくらいはいいだろう。
そんなことを思いながら、どこか心地の良いだるさを噛み殺して、義之が帰り支度をしている時だった。
「フッ、桜内、随分と腑抜けた姿だな」
「よぉ、義之ちゃーん。テンション低いじゃねーか」
いつの間に忍び寄ったのか、背後からの声。義之は気だるそうに振り向いた。
「昨夜はほとんど寝てないからな。ま、低くなるさ」
そこにあった相変わらずの人を喰ったような不遜にして不敵な薄笑いと、人懐っこいようにも下品なようにも見えるニヤニヤ笑い。義之は軽く肩を竦めると、欠伸交じりの返事をした。
「ふぁ、別にいいだろ。俺のテンションが高くても、低くても」
「……いや、よくはねえ」
何故か渉に凄まれる。
「お前なぁ、今日が何の日かわかってやがんのか」
「ん、今日?」
眠気のせいか、渉の声が頭に届くまでがワンテンポ遅れる。
今日? 今日は、たしか……テスト2日目で英語と数学の日……。
(ってわけじゃないよな)
義之は頭の中の靄を払うように軽く首を振った。ああ、そうだ。今日は――。朝、学園に来た時は覚えていたし、浮ついた学園の様子も肌身に感じていたけど、テストを解く事に必死になりすぎていて、頭の中から抜け落ちていた。
「そういやバレンタインだな」
なんてことはないように義之は言った。
「で、それがどうした」
「そういやバレンタインだな…………じゃ、ねーよ!」
渉に胸倉を掴みかからんばかりの勢いで詰め寄られて、義之は困ったように眉をひそめて、はぁ、と気の抜けた相槌を打つ。
「お前なぁ! バレンタインなんだぞ! バ・レ・ン・タ・イ・ン!」
声を荒げる渉にクラスの視線が集まる。しかし、みんなもう慣れっこなのか「ああ、また板橋のヤツか」なんて呆れた顔をするだけで、関心を奪い続けるまではいたらない。すぐに各々帰り支度や友達との雑談に戻ってしまった。
「1年に1度のハートフルイベント! 愛しのあの娘たちからの愛情のこもった贈りものを頂戴できる絶好のチャンス! こんな日にテンションあげないでどうするってんだ!」
愛しのあの娘たちから貰えるかどうかは不確定だけどな、と胸の中で突っ込みを入れながら、義之は鼻息が肌身に触れる距離まで迫った友人から離れるべく身体をそらした。
たしか。こいつも一夜漬け組のはずなんだが、この異様なテンションは何なんだろう。
「お前さ……眠くないのか?」
「眠い!」
脳裏に反響する大声に辟易する。むしろこれは、徹夜明けだからこそのハイテンションかもしれない。よくよく見ればギラギラと光るその目の色は真っ赤だ。
「けどな、いくら眠くても机で居眠りしてたり、さっさと家に帰って爆睡するわけにはいかねえんだよ」
渉の口元がキッと結ばれ、その眉が真剣そうに寄せられる。
「なんで?」
やや影を帯びた重苦しい面持ちに、いつもそういう顔してればもてるだろうにな、と少しだけ勿体無さのようなものを感じながら義之は訊ねた。
「オレが家に帰っちまったら俺の家を知らない女の子はなぁ、オレにチョコを渡せねえじゃねえか……!」
前言撤回。この口の上と下を糸で結び付けないとだめだ。
「へへへ。テストも終ったしなぁ〜。これからいっぱい女の子が来るぜ〜。キャー、渉さーん、板橋くーん、私のチョコ受け取って〜……ってな! なははははは!」
真剣そうな面持ちは一瞬で破顔し、口の両端はだらしなく吊りあがり、目尻も緩やかなカーブを描く。
義之がどうしたもんかと思ってやや距離を取っている杉並の方を見ると、
「まぁ、夢を見るのは自由だ」
杉並は軽く肩を竦め、それだけを言い残し、踵を返した。
(バレンタイン、ねぇ)
欠伸がもれる。まぁ、はしゃぐ気持ちもわからなくはないけれども。
相変わらずからんでくる渉を振り払って、さっさと家に帰ろうとした時だった。
「む……? おやおや、これはこれは」
クラスの出入り口の方から杉並のおどけた声が響く。
お、と渉は声をあげて、そちらを向き、つられて義之も杉並の声の方角を見た。
「あ、よかった〜、まだ居た」
安堵したような声と共に教室に入ってきたのは。
「つ、月島……」
渉が露骨に声を上擦らせる。
「義之のことだから、もう帰っちゃったのかと思って心配したよ〜」
入ってきたのは月島小恋。義之の幼馴染であり、渉のバンドのメンバーでもあるクラスメイトだった。
渉が彼女に好意を寄せている、ということは義之は知っている。
だから、今日という日にそんな彼女の姿を見て、動揺するのも無理もない、と思う。普段からふざけたことばかり言っているが、存外に純情で一途なところもあるヤツだ。
「……と、杏に茜、お前らもか」
数拍置いて気付いたようだった。小恋の後ろの影に向けて、渉がとってつけたように言う。
「ありゃりゃ、渉くん。私たちは小恋ちゃんのオマケ〜?」
「まさか渉にオマケ扱いされるとはね」
小恋に続いてクラスに入ってきた茜がきょとんとして、杏は皮肉っぽく口の端を歪めて、2人して顔を見合わせた。
「あ、いや。そういうわけじゃ……」
渉は白々しい苦笑いを浮かべながら、冷や汗をたらして頭を掻いた。
「じゃ、どういうわけかな〜? 聞かせて欲しいな〜」
「返答次第で、アンタの今年のチョコの数は上下することになると思うから……
気をつけてね」
「あっはっはっ……」
渇いた笑い声。その顔は後悔に染まっていたが、もう遅いだろう。義之はもうひとつ欠伸をすると、
「それより。お前ら、どこ行ってたんだ?」
杏と茜の渉弄りを、きょとんとした様子で眺めている雪月花の良心に向かって口を開いた。話題変えをして渉を庇ってやる……つもりはなかったが、彼女たちの目にはそうしているように映ったかもしれない。
「小恋?」
が、小恋の返事は遅かった。
聞こえなかったのだろうか? よくよく見てみれば、渉たちの方を見るその顔もきょとんとしているというよりも、なんだか、上の空といった様子だ。
「おーい、小恋ー」
義之がもう一度、名前を呼ぶと、小恋は目を瞬き、慌てて振り向いた。
「ふぇ!? あ、よ、義之……」
どうやら、さっきまでの呼びかけは右耳から左耳に抜けて行っていたらしい。
「え、えと、なにかな?」
「いや、まぁ。何ってほどでもないんだけどさ」
ぼやーっとしているのも、おどおどしているのも、いつものことなのだが、今日は輪をかけてそうだ。義之はなんだか歯切れの悪い感じを受けながら再度、質問した。
「いや。さっきまでお前らどこにいたのかなーって。テストが終わったらすぐに教室から出ていったろ」
わざわざ何故、教室に引き返してきたのか。早々に家に帰ったのかと思っていただけにそのことが気になった。それにしても。
「あ、う、うん……そ、それはね……」
「…………?」
「あの、そのぉ……」
なんだか小恋の頬が少しばかり紅潮して見える。2月とはいえ、まだまだ寒いこの気候の中だ。風邪かもしれない。
「小恋?」
「え、えーっと、その……それは、だから……」
「ってか、お前。なんか頬が赤いぞ。熱でもあるんじゃないか?」
デキの悪いゼンマイ仕掛けのカラクリのように、なんともチグハグギコギコなその動作と言葉を不思議に思い、義之は右手を伸ばして彼女の額に触れた。ひゃ、と小恋が声をあげる。さらさらと、掻き分けた前髪が手の甲をちくりと掠めて、少しだけこそばゆい。
「熱は、ないみたいだな。ん?」
手のひらに伝わる熱を吟味して、判断を下した後、義之は気がついた。杏に茜に渉に杉並。なぜか、周囲の視線が自分に集まっているということに。
「…………」
「…………」
「…………」
「フッ、見せ付けてくれる」
しかもそれはどこかトゲトゲしいような。というより、杉並にいたっては間違いなく皮肉と取れる笑みすら浮かべている。
視線に気圧されるように義之は身体を震わせると、小恋の額から右手を離した。
「……なんだよ」
意識していないのに、口調が言い訳めいた感じになるのが、なんだか少しだけ腹ただしい。
「別に」
「べっつにー」
「べつにぃ〜」
「左に同じだ」
別に。
国語の成績に自信はないが、多分、この言葉は後ろに「なんでも」かあるいは「なんとも」という単語が省略されているのだろう。そしてその後ろには多分「ないよ」という単語があるはずだ。
――別に、なんでも、ないよ。
そう言う割には4人とも表情が全然噛み合ってない気がしたが、義之は自分の疑問を押し殺した。
傍らを見てみれば、小恋が顔を真っ赤にして俯いている。みんなして、一体、なんなんだ。なんだか、罰の悪い気分になる。
「……んで、どこ行ってたんだよ」
義之は嘆息して、やむを得ず、誤魔化すように前の議題を蒸し返した。
「ちょっと調理室までね♪」
茜が笑う。
その言葉に反応したのは渉だった。
「んぁ、なんか用があったのか」
「これを取りに行っていたのよ」
答えるように杏は不敵に笑うと、鞄から何か――1つの小箱を取り出した。
「おお!」
それを確認するや否や、渉の表情が崩れた。その顔が驚きに、そして、それをも塗りかえる程の歓喜に染まって大声を張り上げる。
目の前でそんな反応をされてしまえば、好奇心というモノを持った人間なら誰しも気になるというもの。義之は渉の視線を追うようにして杏の手元を見ようとしたが、その必要はなかった。
「はい、義之。プレゼント・フォー・ユー」
鞄の中に入っていた箱から取り出されて、目の前に差し出されるのは桃型……ではなく、ハート型の物体。見ているだけで口の中にほろ苦い感触がただよいそうなダークグレーカラーを雪のように真っ白なホワイトクリームでコーティングした、それは。
義之は一瞬、ポカンとして、
「お、おう……」
血でも噴き出しそうな親友の顔を横目に見ながらチョコレートを受け取った。
「ぐほぁ! ……やっぱり、義之当てかよ……ぐおお」
「心配しなくてもあんたの分もちゃんとあるから」
「マジ!?」
「ま、義理だけどね」
最後の杏の言葉は聞こえているのか聞こえていないのか。渉は派手にガッツポーズをして、かと思えば、まるで高級なガラス細工でも扱うかのように神妙に杏からチョコレートを受け取る。
義之も、渉ほど丁寧ではないとはいえ、それなりに慎重にチョコレートを眺めてみて、そして、気がついた。
「って、これ、手作りじゃないか。一体どこで」
「あはは、言ったでしょ。調理室だって。はい、義之くん。これは私から♪」
茜が微笑みかけてきながら、同様にしてチョコレートを取り出す。そういうことか、と納得しながら、義之はそれを受け取った。
「はい、渉くんにも」
「お、サンキュ! テストが終わってから、チョコ作ってたのか?」
渉の言葉に義之は苦笑いした。テストが終わってから今までの時間だけでは板チョコを溶かして固めるだけの行為だって無理だろう。ましてや、これだけ手の込んだものとなると。
「馬鹿者め。貴様の頭の中ではチョコレートはインスタント麺か何かのようにできるのか」
義之が突っ込みを入れる前に杉並が嘲笑う。
「これはあらかじめ作っておいものだろう」
「多分、それから、調理室の冷蔵庫を借りて置いてたんだ。今日までな」
確証はない推理だが、多分、間違ってはいないと思う。杉並の言葉を補足すると、渉は合点が言った、というように大げさに頷いた。
「なるほど! そういや茜ってお料理クラブだったっけか。それを取りに行ってたってわけか!」
「そーいうこと。はい、杉並。あんたにも」
杏が呆れまじりの声で渉の言葉を肯定し、杉並にもチョコレートを差し出す。
「フッ、雪村嬢も花咲嬢も桜内へのチョコのみハート形で我々のモノは普通の長方形か」
茜からもチョコを受け取りながら、杉並は含みのある笑いを浮かべた。
「うお! ずるいぞ、義之! てめえだけ!」
「いや、俺に言われてもな……」
言われてみればたしかに。ハート型は自分のものだけだ。さらに見比べてみると、心なしか、自分のチョコレートはホイップなども気合が入っているようにも見える。気のせいかもしれないが。
とはいえ、仮にそうだとしても深い意味はないだろう、と義之は思った。
「単に俺のを一番最初に作って手の込んだ細工をしてみたけど、後のは面倒くさくなって手抜きになったってだけだろ? どれも同じ義理チョコだって」
同意を求めて、杏と茜に笑いかけてみたが、何故か返事はなかった。……あれ?
「ん、どした、2人とも。黙り込んじゃって」
「てめえってヤツは……」
「フッ……」
代わりに何故か、渉と杉並に呆れるような哀れむような目で見られる。数秒の間、沈黙していた杏と茜もすぐに彼ら同様の表情をして義之を見る。
「頭の中が沸いてやがんじゃねえのか……?」
「まぁ、それが義之の義之たる所以とも言えるけどね」
「あはは〜。まぁ、義理ってことにしておいていいよ〜」
杏と茜のどこか楽しそうな笑みにまた、きょとんとしてしまう。
「……んむ、なかなかに美味だ。流石は花咲嬢に雪村嬢。義理とはいえ、外装はともかく味の方は手抜きなしか」
「あ、杉並ずるいぞ! 先に食いやがって……はむ……はむ……おお、うめえ!」
うまい、うまいと連呼する渉。不思議と義之にはその姿が武士のむせび泣きのように見えてならなかった。
「…………」
結局、なんだったのか。
よくわからないが、わからないことを考えても仕方がない。義之はかぶりを振ると、彼らと同様にチョコにかぶりついた。
(お、たしかに美味い……)
舌を刺激するほろ苦さと頬を撫でる甘さのハーモーニー。薄い板の中、適切適度に割り振られたこの配分。市販の物にだって負けてはいない……いや、市販品なんかより余程、美味い。
誰が主導したのか(あるいは三人で知恵を出しあったのかもしれない)は知らないが、この味はなかなか出せたものではないだろう。自分が作れば多分、こうはいかない。
(んー、菓子作りじゃ女子には敵わないか、やっぱり)
一応、料理の腕に覚えはある身としてはちょっとだけ悔しい。けれど、悔しさを帳消しにして賞賛するだけの魅力がこのチョコレートにはあった。
「また今度、俺にもご教授願いたいな、これは」
「あら……、バレンタインのチョコの作り方を聞くなんて野暮な男ね」
「ホワイトデーのお返しにしようかと思ってね」
言っていることは半分冗談、半分本気だ。
味を褒められたことが嬉しいのか茜が上機嫌に口を開く。
「だめだめ♪ このレシピは女の子にしか教えられないよ」
「う、そっか。残念」
「ってか、義之なら食っただけでレシピを当てたりできないのか?」
渉が無茶苦茶なことを言う。しかも、わりと本気でそう思っているようだった。
「できるわけないだろ……」
そんな、料理漫画に出てくる超人シェフじゃあるまいに。義之は苦笑交じりに言って、最後の一切れを飲み込んだ。
さて、テストも終わったし、こうしてチョコ(義理だけど)も受け取った。後は早いところ帰って眠らせてもらおう。
「桜内、帰るのはいいが……」
「ん?」
鞄を肩にかけて、席を立とうとした時だった。杉並が怪しい笑みを浮かべて、傍らを目線で指し示す。
「その前に、そこで固まっている彼女を起こしてやってくれないか?」
見ればそこには、茹蛸のように顔を真っ赤にして固まっている小恋がいた。
「……お前、何やってんだ。さっきから」
「…………ふぇっ!?」
硬直から一転。全身に静電気でも走ったかのように、小恋はびくり、と反応した。
「あ、よ、よ、義之……熱、どうだった……あう……」
「ないみたいだな……って言ったろ」
もしかして、小恋も寝不足なのか? まるで自分がさっき熱を測った時から時間でも止まっていたみたいだ。よっぽど、ボーっとしていたようだった。
「って、義之。どこ行くの!?」
瞳に色が戻ったと思った直後、小恋はわたわたと義之の前に立った。
「そりゃ、帰ろうかと思って……」
「わ! ちょ、ちょっとだけ待って! え、えと、えーっと……あの……」
「………………」
あたふた、あたふた。小恋は慌てに慌てた。何かを言いかけてはその声を喉に引っ込める。鞄に手を突っ込んではやめる。そこまで慌てられてしまったら、見ているこっちの方が不憫になってくる。
義之は小さく息をはくと、
「……チョコならさっさとくれ」
少しだけ照れ臭さを感じつつも、そう言った。
小恋は一瞬、何を言われたのか理解できなかったようで、きょとんと目を開いたまま固まってしまっていたが。ややあって。
「え、ホント?」
喜びと安堵感が半々で混ざった声を出した。
「受け取り拒否しない?」
「しないから」
小恋の言葉に呆れる。何故、自分が受け取り拒否しないといけないんだろう。
義之は小恋の顔を見た。彼女の瞳はさながら小動物のようにふるふると震えていて、おどおどしているのはいつものことながら、それがさらに数割増しだった。そこにあったのはたしかに『不安』の二文字。まさかとは思うが、本当に自分が受け取らないとでも思っていたのだろうか。
「…………」
そういえば、と義之は思った。この瞳を毎年見ている気がする。
(ああ。2月14日になるといつもこんなんだったなぁ……こいつ)
小学校の、初めて小恋と会った年から。毎年毎年、この瞳で自分にチョコレートを持ってくる。最初の年や二回目の年ならともかく、どうして何度も渡しているのに不安になるのか。義之にはさっぱりだが、月島小恋とはそういう少女だ、と納得できないこともない。
それくらいには桜内義之は月島小恋のことを知っていた。
「なぁ、小恋」
困ったように義之は笑った。小恋の瞳が義之を見る。なんだか、前も似たようなことを言った気がするけど……。
「女の子からチョコを貰って喜ばない男はいないんだぜ?」
男というやつはそういうシンプルな生き物なのだ。悲しいことに。
「ほ、ほんと……?」
「当たり前だろ。男ってのは単純な生き物だからな」
たまーに、そのシンプルさに嫌気が差すこともあるけど。認めないわけにもいかないサガだった。
なんとなく視線を感じて振り向いて見れば、渉が猛烈な勢いで頷きまくっていた……のは見なかったことにする。その隣で杏と茜が興味深そうにこちらを見ていた。
「ふぅん……って言うからには」
「私たちのチョコも嬉しかった?」
「そりゃあもう」
あんなに気合の入ったチョコを貰って、嬉しくないわけがない。というよりどうしてそんなことを気にするのかと不思議だった。言ってみれば、出来不出来すらも二の次だ。チョコレートに限らず、好意の込められた贈り物に対して、嬉しくないなんて思うわけがないのに。
ここは素直にお礼を言うべきだろう、と義之は思った。
「……ま、ありがとな。杏、茜」
恥ずかしさに首筋がむずむずする。が、捻ねくれ者の自分にしては、率直に言えたと思う。
「ふふ……そう言うからにはホワイトデー、期待させてもらうから」
「えへへ〜、楽しみに待ってるからね、義之くん」
あんまりハードル上げないでくれよ、と胸の中でぼやく。それにしても、バレンタインが先に、ホワイトデーが後にあるっていうのはある意味、嫌なもんだ。恩義を先に貸し付けられてしまう。
そんなことを思いながら、前を振り向いた時だった。
「よ、義之!」
小恋に名を呼ばれた。彼女にしては珍しくハッキリとした声。
まだ迷っているのか、不安なのか。視線を手元に落として、ゆっくりと、ゆるゆると、その手が差し出される。両手で握ったハート型の好意が、義之の前に差し出される。
「あ、あの……こ、これ……」
「ああ。毎年、ありがとな、小恋」
笑顔で義之が受け取るのを確認して、ようやく彼女は安心したようだった。はにかんだ笑みを浮かべて、義之の言葉に頷く。
「う、うん……」
「早速、食っていいか?」
「い、いいよ。一気に食べちゃって。あ、杏や茜ほどうまくはできなかったけど……」
小恋の許可が下りると共に、義之はチョコレートにかぶり付いた。
「もぐ……うん、美味い。はむ……杏と茜にも負けず劣らずだと思うけどな」
「そ、そうかな……?」
「ま、自分を過小評価するのは小恋の癖みたいなものだからね」
「だよね〜」
杏と茜の言葉に食べながら頷く。全く、悪い癖だと思う。
「あ、あのー、月島〜。よ、よければ、オレにも、チョ、チョコを……」
「うん。渉くんの分もちゃんとあるよ」
タイミングを見計らっていたように口を開いた渉に小恋は笑顔を見せる。先ほどとは打って変わってハキハキとした受け答えだった。
小恋が鞄の中を探る様子を見ながら、渉の頬がだらしなく気色一色に緩んでいく。
「はい、どうぞ」
「サンキュー! 月島! うおおおおお!」
受け取るや否や、渉は喉の奥底、いや、肺を全開に使って、オペラの歌手もかくやというヴォイスを響かせた。気持ちのいい声質ではない、という点では大きく違うが。
そして、そのまま、むせび泣く。
「うう……、ううっ、オレ、もう死んでもいいかも。いやっほぉぉぉぉぉ!!」
「フッ、オーバーリアクションな奴め」
「あ、杉並くんにも、はい」
隣の涙声の叫びとは対照的に杉並は「感謝する」と静かに短く礼を言うと、小恋から長方形の箱を受け取った。
義之は鞄を肩に掛け直すと、みんなに声をかけた。
「んじゃ、この後、どっか寄っていくか」
「あら、さっさと帰りたいんじゃないの?」
「なんとなく、そういう気分になったんだよ」
なんだか気分がいい。チョコレートを貰ったせいだろうか、それとも。義之は口の中に残る苦味と甘味をもう1度、堪能しながら思った。
(バレインタインデー、か)
バレンタインデー。友愛を確認する冬の終わりの祭典。お菓子メーカーの商売戦略だとかなんだとかも揶揄されることもある、この極東の島国だけのお祭り。
けれど、そう悪いものじゃない、と思う。
「あ、いいね。いこいこっ♪」
「じゃ、花より団子かムーンライトだね。小恋ちゃん、杏ちゃん、どっちがいい?」
「どっちにしても当然、男どものおごりでね」
雪月花3人組は各々、帰り支度を手に微笑む。
「おいおい、ホワイトデーにはまだ早いって」
「ま、いいじゃねえか。義之。へへ、今日のオレは気分がいいからな! なんでもおごってやらあ!」
「では、板橋には我々の分も払ってもらおうか」
「おうっ、まっかせとけ〜……ってなんでだよ!」
雪月花を追うようにして、渉と杉並も席を立つ。
この分だとホワイトデー当日にはどれだけのお返しを求められるのか、ということに義之は少しだけ戦々恐々としながらも。
(ま、できる限りは頑張りますか。さて、あいつらどんな菓子が好きだったっけな? 俺が作れるものでなにか……)
その震えをどこか楽しげに思いながら、彼らの後に続いた。