白い返礼祭@雪月花+
――――White day Campaign!
雪のように真っ白な看板には、そんなことが洒落た字体で書かれている。
デパートの一角。背伸びしても到底届かない、高い天井から吊るされた看板の下に並ぶのは多種多様なお菓子の数々だ。
山のようにあるラッピング済みのホワイトチョコを筆頭に、マシュマロ、クッキーが次席として続く。キャンディやグミの姿もちらほら見受けられる。
一ヶ月前のバレンタインデーに続くかきいれ時だ! といわんばかりに大々的に展開されたホワイトデーの特集コーナー。
冬の終わりの暖かみとお菓子メーカーの思惑が混雑したその空間を、義之は腕を組んで見渡した。
「さて、どうしたもんかな……」
ホワイトデーというものはバレンタインと違って「これだ!」と決まったものがない分、メーカーも節操がない。
チョコのお返しはチョコという理論や、クッキー・マシュマロなどお菓子の類ならまだわかるが、アクセサリーや洋服、バッグなどと各種メーカーは実に色々な物を贈り物として推奨してくる。
選択肢を沢山示されれば、悩んでしまうのが人間だ。といっても、予算の都合もあって、義之にはそこまで選択肢は多くはないのだが。
やはりここは無難にホワイトチョコで済ませるべきだろうか?
「それはそれで、あんまりにも普通すぎるような気がする……」
「ひねりがないわね」なんて杏にしたりと言われるサマが頭に浮かぶ。
雪月花3人組からチョコを貰った以上、お返しはしなければならないのだが。曲者2人を有するあのグループに贈り物をするとなれば、そのチョイスは結構、悩ましいことだった。
なんにしてもバレンタインデーが先にあって、ホワイトデーが後にあるというのは損なものだ。贈られた物以上の返礼を期待されてしまうし、その間はずっと「お返しは当然あるよね?」といった無言の圧力に晒される。どんなことにせよ後だしの立場というのは厄介だ。
当然、お返しをしなければいけないのは雪月花の3人だけではない。
(……ったく、恨むぞ。お菓子メーカー)
いつからはじまったのかは知らないが、なんとも面倒な行事を企画してくれた。一応、元となる祭典と歴史があるバレンタインと違って、こちらは元も何もない。……まぁ、贈り物を貰ったからにはお返しをしなければいけない、という考えはそう間違ったものではないと思うけれども。
義之が内心でぼやきながらデパートを見て回っている時だった。
「あれ? あれあれあれー、義之くんじゃない?」
「……あら、奇遇ね」
聞き覚えのある声が響いて、義之はどきりとした。
「あ。ホントだ。義之〜」
もう1つ、間延びした声が続く。
それも聞き覚えがある声……いや、聞き覚えがあるなんてレベルじゃない。十年来の幼馴染の声。
「よっ、お前らか」
義之は片手を上げて、こちらに向かってくる女子3人組に対して挨拶をした。
「ふふっ、奇遇ね」
「どーも、義之くん。茜ちゃんでーす♪」
杏がシニカルな笑みを浮かべ、その隣で茜が大仰に笑う。見ればわかるよ、と義之は軽く肩をすくめた。
「義之、何をしてたの?」
「ああ。まぁ、買い物……」
プレゼントを贈る予定の当人たちを目前にして、何を贈ろうかと物色していた……とは言いづらい。
小恋の疑問に対して、義之はいまひとつ歯切れの悪い返事をした。
「へぇ……ここで?」
「へ? ああ、ここで買い物してたよ」
何故か、杏の目が鋭く光る。
何か変なこと言ったかな、と背筋にむずがゆさを覚えながらも、彼女の言葉を肯定し、手で指し示すようにして、辺りを見渡した義之だったが。
「げ……!」
歯がカチリと鳴る。暖房が効きすぎて蒸し暑いくらいの春の室内だというのに、汗が額をしたたる。義之が指し示した先、そこは。
「ふふ、ランジェリーショップで男の義之が何の買い物していたやら……」
いつの間に迷い込んだのか。
辺り一面に置かれているのは、ピンクやら白やら水色やらの色とりどりの下着の数々。ところどころに見え隠れするリボンやフリル、編み付けられたレースの文様が目に眩しい。男の立場にあっては視線を向けるだけでも恥ずかしい、そんな代物ばかりが並んでいる空間の目前に自分が立っていることに、義之は今になって気づいた 。
なんて場所を示して、なんてことを言ってしまったんだ!
「うっわー、義之くんって〜」
「よ、義之……」
茜がからかうように上目遣いを向けてきて、逆に小恋は困ったように視線を落とす。
「いや、違うぞ! これはだな!」
「安心して。わかってるから……」
「杏……」
一方で杏だけは真剣そうな顔。パニック一歩直前の精神状態だった義之はそんな彼女の表情に、いつもはあーだこーだと人をからかってばかりのヤツだが、今回は違うのか……と一瞬だけ錯覚した。
「かぶってみたかったのね。まぁ、義之がそういう趣味を持っているってことは前々からわかって……」
「アホか!!」
「こんなところに潜入しなくても、下着なら私がいくらでも見せてあげるのにね〜」
どさくさにまぎれて、また茜がとんでもないことを言う。偶然、迷い込んでしまっただけなのに『潜入』なんて言葉は使わないでほしい。
「……なわけないだろ、お前ら! ちょっと考え事しながらうろうろしている内にここに来ちまっただけだってば!」
「説明口調があーやーしーい」
「真実だからこその説明口調だ!」
義之は半分怒鳴るように言ったが、茜にとっては何処に吹く風のようだった。
「考え事って?」
そんな中、小恋が遠慮がちに口を開く。天の助けだ、と思った。やはり小恋は他の2人とは違って、つまらないことで自分をいびり倒そうと思うような悪辣さは持っていないらしい。
「か、か、か……かぶろうかなーって、悩んでたの?」
「…………」
ぽーっと小恋の顔が赤くなる。
「小恋、お前もか……」
義之が露骨なため息をつくと、小恋はくすりと笑った。その後、少し気まずそうに、気恥ずかしそうに両手を腰の前で組む。
「あはは……ごめんね、義之。あんまり義之が慌てるから、つい」
そう言って、ぺろりと舌を出した幼馴染の姿に義之は魂が抜けるような気分だった。小恋が自分をからかうとは。なんとも珍しいことだった。立派になったなぁ、なんて奇妙なことを思ってしまう。
しかし、おかげで調子を取り戻すことはできた。咳払いするかのように、義之は軽く雪月花の3人を一瞥すると、
「明後日のことで悩んでたのさ」
そう言って、3人の間を抜けて、先ほどの一角を指差した。
わざわざ説明しなくても、彼女たち(特に杏)はわかっている上でからかっているように思えたが、それでも、ここまで言われてしまった以上はハッキリと否定しなければ気が済まなかった。
「まったく。どうしてホワイトデーってのはこんなに候補が沢山あるのやら」
「男子は大変だねー」
「他人事みたいに言ってくれちゃって」
茜の能天気な声に肩をすくめる。実際、他人事だから仕方が無いのだが。
「へぇ、ホワイトチョコやマシュマロはわかるけどジャムとかもあるんだ」
「選択肢が多い分、チョイスする男のセンスが問われるってものね」
感心したようにホワイトデーコーナーを回る小恋の隣で杏がしたりと言い放つ。
思わず、どれがいい? なんて口に出しそうになった義之だったが、その言葉は喉の奥に飲み込んでおいた。何を贈れば喜んでくれるのか。当人に訊ねれば確実にわかるだろうが、いくらなんでも、それでは格好がつかない。
「ねっ、義之くん」
ふいに茜の声がして、義之は彼女の方を振り向いた。
「ホワイトデーの贈り物なら、下着とか、どうかな〜♪」
身体をくねらせて先ほどのランジェリーショップを示す茜。一瞬、義之は噴き出しそうになったが、歯を食い縛って、堪えた。
「…………アホか。ホワイトデーに下着を贈るヤツがどこにいる」
「考えが古いわよ、義之」
呆れ果て、肩をすくめていると、杏の声が間に入る。
ほら、とばかりに彼女が指差した先を見ると。
「ホ、ホワイトデーギフト!? 下着の? マジかっ!」
商売戦略もここまでやるか、と思った。
そりゃ、女性向け下着の小売店にとって、男性層なんていう本来の需要がない層に売りつけられればしめたものだろうけど。だからといってホワイトデーに下着を贈るなんて、そんなムチャな。セクハラ親父じみた行為じゃないか。
そう思ってしまうのは果たして杏の言う通り自分の頭の中が古いのだろうか?
(……いや、むちゃくちゃだろ。普通に)
義之は気を取り直すと、視界を元の方へと戻した。
「義之くんがくれた下着なら、毎日つけちゃうんだけどなぁ。ね、小恋ちゃん?」
「ふぇっ! な、なんで私に振るの!?」
「なんでって? そりゃ、小恋ちゃんが一番関心ありそうだったから」
そこにあったのは雪月花のいつもの光景だった。
相変わらずのそのやり取りを前にして、義之はやれやれ、とかぶりを振った。
なんにせよ、話題の中心から自分が外れてよかった。そう思って、安堵していると杏が自分の傍に寄って来て、何かを耳打つ。
「ちなみに小恋の胸のサイズは……。アンダーは……」
「ぶっ!?」
「ちゃんと会ったの選びなさいよ。それと、ああ見えて小恋は派手なのが好きだから、そこらへんも考慮に入れて……」
「何も選ばないからな! 俺は!」
ひそひそ声で語る杏を振り払う。
杏はきょとんとした顔なり、次に残念そうな顔になると、ちっ、とどこか楽しげに舌を打った。そして、最後に残ったのはいつもの不敵な笑み。
「杏ー、義之と何を話してたのー」
「小恋がエロエロだってことを少し」
なにそれ、と小恋は頬を膨らませるが、杏は全く意に介した様子はない。小恋はがっくりと肩を落としたが、すぐに何事も無かったように向き直った。
「義之。ホワイトデーだからって、あまり考えすぎなくてもいいよ。適当でいいから」
そう言って、純朴な微笑みを浮かべる。
その笑顔がありがたかった。が、それをおおっぴらに認めるのもなんだか、恥ずかしかったので。
「ま、貰った物と釣り合うだけのお返しはするさ」
義之は得意気にそう言い、笑った。
「ふふ、それじゃ、期待して待ってるから」
「楽しみにしてるね。義之くん♪」
「おう。ガンガン期待しといてくれ」
墓穴を掘っている、という自覚はあったが、今更前言を撤回するわけにもいかない。杏と茜の言葉に笑い返しながら『虚勢を張る』という言葉が頭の中を過ぎっていく。
「ほどほどにがんばってね、義之」
小恋だけはそんな義之の胸中を察するかのようにくすり、と小さく笑った。

太陽が西の水平線に沈み、夕暮れを過ぎて、空が薄闇に覆われるようになった頃。
雪月花の3人と別れてからもぶらぶらとデパートや商店街をうろついていた義之がその買い物(という名目の冷やかし)を切り上げて、家に帰ってみるとそこには既に明かりが灯っていた。
誰か来ているのかな、と思いながら居間の扉を開けてみれば、そこにあったのはコタツに入り、猫のように背中を丸めた由夢の姿。
居間の奥に置かれた液晶テレビが今、映し出しているのは他愛もないCMで、彼女が何を見ていたのかを推察する材料にはならないが、大方、テレビドラマの再放送でも見ていたのだろう。
「あ、兄さん。おかえりー」
由夢はお団子頭にした茶髪を少し揺らして、義之の方を振り向くと、さして興味はなさげに言った。
「ああ。ただいま」
義之もなんてことはない風に言うと、上着をハンガーにかけて、彼女と同様にコタツ布団の中に足を入れた。
もう3月だし、いい加減コタツは片付けた方がいいのは重々承知しているが、面倒くさいことと、何よりもこの適度な暖かみと毛布の感触の競演が醸し出すまったり感の虜になってしまっていて、なかなか片付けられないでいる。
「何見てたんだ? まぁ、聞かなくてもだいたいわかるけどな」
義之がからかうように言うと、由夢に思いっきり睨まれた。じゃあ、聞かなくてもいいじゃない、と言わんばかりの殺気の篭もった瞳だった。
由夢は横着にも身体の傍に寝かせていたリモコンへと気だるそうに手を伸ばすと、ちょんと人差し指を動かし、テレビを切った。
「いいのか?」
「もう終わりましたから。見たい番組があるならどうぞご勝手に」
義之は素朴な疑問を口にしたが、それも、つん、と素っ気無く処理される。テーブルの上を滑って、自分の元にやってきたリモコンを眺めながら「なんだかなー」とは思ったが、口にも顔にも出さずに素直にそのリモコンを手に取った。
スタンバイになって間もない液晶画面に再度、光が灯る。なにやらドラマの次回予告が流れていたが、それに興味はなかったので適当にチャンネルを回してみると、とあるCMが目に入り、義之は表情を渋らせた。
「うえ……こんなところでまでホワイトデーの宣伝かよ」
「あー、そういえば、もうすぐだね」
『ホワイトデーギフト』とデパートで見たのと同じように小洒落た文体で書かれたロゴが表示される。お菓子メーカーの執拗な広報戦略にげんなりする。
街角で、家の中で。こうやって囃したてるだけ囃したてて。作り上げられたお祭りムード。それにのらない方がKY……みたいな風潮を作り上げる。そして、乗り気ではない人間にまで自社商品を売りつける。そんなに売り上げが欲しいか。利益が欲しいか。
「ねっ、兄さん。お返しはちゃんと用意した?」
他方で由夢は何故か、楽しげだった。
何が面白いのやら、といぶかしむような思いで義之は頬杖をついた。
「さあて、どうだろうな」
「どうだろうなー……じゃないよ」
とぼけてみせた義之に対して、由夢はこれ見よがしに不機嫌そうな顔になる。
「何も用意してないなんてことになったら、タダじゃおかないんだから」
「おいおい、早合点するなって。誰も用意しないなんて言ってないだろ」
妹をいさめるように義之は言うと、机の上に置かれていたミカンを手に取った。春に片足突っ込んだこの時期にコタツでミカンというのは自分でもどうかと思うが、買いだめしていたミカンを処理するためには仕方が無い。
「もぐ……ちゃんと貰った分は返すって」
「本当に〜?」
「本当本当……はむ」
由夢の疑惑に満ちた声に対して、ミカンを頬張りながら二つ返事をする。そんな様子が彼女の目にはどう映ったのかは知らないが。
「じゃあ、さっきの歯切れの悪い答えはなんなんですか?」
由夢はさらに不機嫌そうに頬を膨らませた。
「私には、誤魔化しているようにしか見えませんでしたが」
くだけた口調で喋っていた中、いきなり敬語が飛び出すというのは結構、まずい状況だ。
嵐の前の静けさ、とでも言うか。胸の中に鬱憤した思いが爆発一歩寸前のところまで達している。
長年の経験上、それを知っていた義之の身体は思わず強張り、丁度、口の中にあったミカンの一切れは1度も噛まれないまま喉の奥へと落ちていった。
「んぐっ……それは違うって。まだ用意できてないのはたしかだけどさ」
「やっぱり……!」
「だから違うってば」
義之は慌てて立ち上がった。
「単にまだ何にしようか決めれてないだけさ。ほら、ホワイトデーってバレンタインのチョコみたいに決まった贈り物がないだろ?」
「ホワイトチョコとかマシュマロとか……」
「そのあたりが一般的なんだろうけど、それも、やっぱバレンタインのチョコほど絶対的じゃないし」
義之は再びコタツの中に腰を下ろした。由夢の中に燻っていた怒りの感情が鞘の中へと収まっていくことを察したからだ。
「それで悩んでるんだ。何にしようかなーって」
「ふーん」
由夢は素直な顔で相槌を打った。
「そういうことだったんだ」
「そうそう、面倒くさいもんだよ。ホワイトデーなんて」
バレンタインデーと違ってさ。義之はそうぼやくと、気分を切り替えようと思ってリモコンを手に取り、チャンネルを回した。
しかし、この夕方の時間、やっている番組といえば先ほど由夢が見ていたようなドラマの再放送か、ニュースバラエティぐらいで目を惹くようなものはない。義之はテレビの電源をスタンバイに落とした。
そんな折。
「私はそうは思わないけどなぁ」
ぽつりと由夢が呟いた。
「どういうことだ?」
「チョコレートしかあげられないバレンタインデーと違って、何をあげてもいいわけじゃない。ホワイトデーは」
「まぁ、それはたしかに……」
見方を変えれば、そうとも言える。
「大変だったんだよ、バレンタインのチョコレート。これが他の物なら楽なのに、って何回思ったか……」
拗ねたような由夢の言葉。その原因に義之は心当たりがあった。
(ああ……なるほど)
バレンタインデーに由夢から手渡されたチョコレートは手作りのものだった。
例年通りなら買ったチョコレートで済ませるところなのだが、今年は姉の音姫が気合を入れて、手作りチョコを作る、と言い出したため由夢の方も引くに引けなくなってしまったのだろう。
しかし、そこは料理はお世辞にも得意とはいえない朝倉由夢。
苦戦に苦戦を重ねた末に出来上がったチョコレートはただ溶かして固めただけで形もいまいち悪く、お世辞にもデキがいいとは言いがたい物だった。勿論、料理下手なのに一生懸命にチョコレートを作ってくれた由夢のその気持ちが嬉しかった義之は大喜びで受け取ったのだが。由夢の方は、自分の作ったチョコレートはたいしたものじゃないと気にしているらしかった。
それだけに彼女にしてみれば「バレンタインデーはチョコレートをあげればいいだけだから楽でいい」なんてことを言われてしまうのは我慢がならないのだろう。
「おいおい、俺は嬉しかったぜ? お前から手作りのチョコを貰えて」
「ふーんだ。私の作ったチョコなんてお姉ちゃんのや、雪村先輩たちのと比べたら全然たいしたことないもん」
「ったく、そんな風に卑屈になることはないってのに」
ぷい、とかぶりを振った由夢に苦笑いをする。こういうのは気持ちが大事だ。出来不出来は関係がないだろうに。
(しかし、手作りチョコ……か)
義之は腕を組み、暫くの間、思考をめぐらせた。手作り……やはり手作りだろうか? 今年のバレンタインに雪月花の3人組から貰ったチョコは手作りだったし、由夢や彼女の姉から貰ったチョコもまた手作りだった。自分の感謝の気持ちを表すにはやはり手作りが一番かもしれない。
(かといってホワイトチョコを作るんじゃ芸がないな……)
それはあまりにもストレートすぎる気がする。では、どうしたものか。
(ホワイトデーは何をあげてもいい、か……)
由夢の言葉が脳内でリフレインする。
(よし……)
少し手間はかかるかもしれないが、まぁ、いいだろう。貰ったものに見合うだけの苦労は自分もしなければ。
義之はコタツから出るとハンガーにかけておいた上着を羽織った。そんな義之に対して、由夢は不思議そうな視線を向けてくる。
「兄さん、また出かけるの?」
「ああ。ちょっと、用事ができた。図書館まで行ってくる」
「図書館?」
おうよ、と相槌を打つ。由夢には自分の意図はさっぱりわかっていないようだった。
「欲しい本ができたんでね。多分、まだあいてるだろ?」
「よくわからないけど、図書館なら急いだほうがいいと思うよ。多分、閉館時間までぎりぎりだと思うから」
「わかってるさ」
心配するような由夢の声に義之は笑顔を返す。
行ってきます、と軽く腕を上げて、義之はそのまま芳乃家を出ると、一目散に図書館へと向かった。

「「「「「お邪魔しまーす!」」」」
義之が玄関を開くと、挨拶の声が開かれた扉を振動させた。義之がその言葉に返事をする暇もなく、外で待ち構えていた面々は一斉に玄関の中へとなだれ込み、そのけたたましい足音が廊下を震えさせる。
「どうぞどうぞ、ってもう入っちまってるけど……」
なんともふてぶてしいヤツラだ。勝手知ったる他人の家、とでも言うか。居間へと向かう友人たちの後姿に義之は苦笑いした。
ただ1人、玄関口に残っていた小恋だけが申し訳なさそうに笑う。
「あはは、ごめんね。義之……」
「いや、まぁ、いいんだけどさ。さ、小恋も行こうぜ」
引き戸を閉めて、義之は気にするな、というように小恋を促した。
小恋と一緒に廊下を進み、奥の方にある冬用の居間に入ると、そこは既に暴虐なる客人たちに占拠された後だった。
「おーい、義之ー。よければ、ジュースいれてくれー」
「俺もだ」
「私の分も〜」
「よろしくね」
4面あるコタツに散って、思い思いにくつろぐ友人たち。義之としては肩をすくめる以上に思うことはなかったが、彼らと同じように客の立場である小恋は相当慌てたようで。
義之が飲み物を淹れようと、台所へ向かおうとした時、
「て、手伝うよ、ご、ごめんね……」
何て風に言い、気まずげに頭を下げた。
「別に気にしてないって。小恋も部屋の方で待ってればいいさ」
「で、でも、悪いよ」
「ま、いつものことだし」
最後まで、引こうとしなかった小恋を義之は放置する形で台所に行くと、小恋もようやく諦めたのか、コタツの一角に腰を下ろした。手伝ってくれるという申し出は正直、ありがたかったのだが、今、台所に来られるのは、少し都合が悪かったのだ。
義之が全員分のオレンジジュースを入れて、居間まで持っていくと、丁度、隣家の姉妹が、音姫と由夢が訪れたところだった。
「賑やかだね〜」
「そうですね。皆さん、こんにちは」
頬を緩ませる音姫の隣で優等生の皮を被った由夢が、頭を下げる。義之は慌てて台所に戻ると姉妹2人の分の飲み物も用意しようとして、それは乗り込んできた音姫に止められた。
「自分の分くらい自分でいれるよ♪」
ひやりとした。棚からコップを取り出して、義之の手元からペットボトルを取り、由夢と自分の分のジュースを入れる音姫。その後、ペットボトルを冷蔵庫に返そうとしたところで、
「みんながぶがぶ飲むだろうし、出しっぱなしにしておこうよ」
義之は慌てて、姉からペットボトルを強奪した。
「うん、たしかに。それもそうだね」
義之の提案に音姫は無邪気に頷く。そうそう、と陽気に相槌を打ちながらも義之の内心は冷や汗でたらたらだった。
「さて……」
ジュースもみんなのもとへ行き渡り、ひとしきり雑談も終わった頃、杏が口を開いた。
「わざわざ呼ばれて来てあげたんだから、さっさともらう物、もらっちゃおうかしら」
「待ってました〜」
「嫌って言うのなら、無理矢理に剥ぎ取っていくから、覚悟しなさい」
「ふ……がめついことだな」
杉並が肩をすくめて笑うが、そんな軽い皮肉の1つを気にするような相手でもない。
「ま、私たちは前貸ししてる立場だからね」
杏は不敵な笑みを浮かべてみせる。
「貸した借りはしっかり返してもらわないと」
「楽しみに待ってたんだからね〜」
「あはは……」
大仰に笑ってみせる茜と控えめに笑う小恋。
「弟くん、お姉ちゃんは何でもいいからね♪」
「………………」
まだ何も貰っていないのに、既に手にした後のようにふやけた笑顔を見せる音姫に、無言で義之を見る由夢。
そう。今日は3月14日、ホワイトデーだ。
学校が終わった放課後、せっかくのホワイトデーだし、うちの家に来ないか、とみんなを誘ったのは義之だった。案の定、杏と茜には「卑しい考えが透けて見える」だの「義之くんに襲われる」だの好き放題に言われたが、友達の家に遊びに行くということ自体に異論はなかったらしく、みんなこうしてやってきている。
「おうよ! 男、板橋渉、見事、皆様のご期待に応えてみせるから安心してくれ、お嬢さんたち!」
「あんたには初めから期待してないから安心なさい」
ぴしゃりと言い放たれ、渉は軽く涙目になった。
「いつもながら、手厳しいぜ……。俺のガラスのハートがひび割れていくぅぅぅ……」
「貴様のハートは粘土か何かでできているだろう。ひびの1つや2つ、水をかけて直せ」
声を間延びさせて、芝居がかった動作で胸を抑えた渉を杉並は鼻で笑った。いつものふてぶてしさを指して粘土のハート。言いえて妙かもしれないな、と義之はこっそり思った。
「それでそれでー、義之くんはどんな色の下着を買ったのかなぁ♪」
「ぶっ!?」
能天気な微笑をたたえての茜の唐突な言葉に義之は咳き込んだ。
義之は眉間を手でおさえながら、ふらふらと彼女の方を向く。
「あ、茜……おまえなぁ。俺はそんなもの買わないって」
「とぼけるんじゃないわよ。ランジェリーショップにフラフラと入っていくあんたの姿が目撃されてるんだから……。下着のホワイトデーギフトに興味津々だったしね……」
「だからそれは」
淡々と語る杏の演技力に半ば感心し、半ば呆れる。事情は知っているだろうに。何故、そうも誤解を招く言い回しができるのか。
「義之、てめぇ! どういうことだ!」
「弟くん!」
「兄さん!」
しかし、事情を知らない渉とそして音姫と由夢は凄い剣幕で義之に詰め寄ってくる。杉並だけはだいたいの察しはついているのか、腕を組んで「ふむ」とひとりごちただけだったが。
「弟くん……下着のプレゼントなんて……そんな、そんな」
「まるでセクハラ親父みたいですね……」
「そんなエッチはこと、絶対にお姉ちゃんが許しません!」
「違うって! あいつらの言葉をあまり真に受けるな!」
義之は必死で叫んだ。
「本当に?」
「本当ですか?」
しかし、疑いの目はなかなか離れてくれず、義之はため息をはいた。一体、どれだけ自分は信用がないんだろう?
「フッ、相変わらず愉快なヤツだ」
杉並は腕を組んで笑うと、数冊の雑誌を取り出した。茜が不思議そうに訊ねる。
「なにそれ?」
「月刊ヌーの創刊号だ。ホワイトデーのお返しにと、思ってな」
どうだ、とばかりに自信満々の笑みを浮かべる杉並に義之は呆然とした。
(ホワイトデーのお返しをちゃんと用意したのはともかく……)
ヌーとは杉並が愛読しているオカルト雑誌の名だ。幽霊や未確認生命体といったオカルトなものが大の好物の杉並にとって、毎回欠かさずに呼んでいる聖典のようなもの、ということは長い付き合いのうちで知っている。しかし。
「は? ヌー? ヌーってお前がいつも読んでるアレか?」
呆然としたのは義之だけではなかったようで、渉もきょとんとした目をして、杉並を問いただす。
「そうだ。既にプレミアすらついているヌーの創刊号を大量に入手するのはいささか手間がかかったが……幸いにもその手の伝手があったのでな。なんとか調達することができた」
「いや……んなことは聞いてないから」
自分の趣味のオカルト雑誌を贈ってどうしようというのだろうか。受け取り手である雪月花の3人に目を向けてみれば、困ったような、どう反応していいのかわからないような目で差し出された3冊の雑誌を見ている。
「ってか、なんで創刊号なんだ? 最新号のがよくないか?」
義之の素朴な疑問に杉並は不敵な笑みを返した。
「馬鹿者め。最新号など本屋に行けばすぐに手に入るだろう。ヌーの創刊号は伝説と化している存在なのだぞ」
「どんな風に」
「俺がその場で見たわけではないが、なんと、本屋に流通しなかったらしい。まさに幻の雑誌……というわけだ」
どんな雑誌だよ。
(てかなんで本屋に流通してないものを3冊も持ってるんだよ、こいつは……)
しかもこの男のことだから、自分用のバックナンバーは確保しておくだろう。となれば最低でも4冊は持っていたことになる。
義之は呆れるような、感心するような目で摩訶不思議な友人の姿を眺めた。
「え、えっと……、とりあえず、ありがとう。杉並くん」
気まずい沈黙が空間を支配しかけた時、その雰囲気を振り払うように小恋が笑った。あまりありがたく思ってないのは目に見えていたが、杉並は特に気にした様子もなく、いや、それどころか満足気に頷く。
「フッ、人類の歴史上、非常に貴重な雑誌だ。心して熟読するがいい……」
「そ、そうだね。あははは……」
「……まぁ、少しだけ興味はあったわ。この雑誌」
小恋と茜の乾いた笑い。唯一、杏だけはヌーに若干の興味を示しているようだった。
3人が受け取ったヌーを眺めているのを横目に杉並は音姫と由夢に笑いかける。
「朝倉姉と朝倉妹よ。一応、お前たちの分も用意してきたが、どうだ?」
「い、いえ……遠慮しておきます」
「あはは、そうだね……そんな貴重な物、貰うのもなんだか悪いし」
が、姉妹そろって首を横に振られ、「そうか」と感情の読み取れない声で呟くと出しかけていた残りのヌーを再び鞄の中に仕舞った。
「次は俺の番だな!」
渉が声をあげた。
「ありきたりなもので何だけど、ほらよ」
「わあ、クッキーだ〜」
「へへ、一ヶ月前はありがとな、月島」
渉に手渡されたクッキーの缶を見て、小恋が声をあげる。
その缶に印字されたロゴに義之は見覚えがあった。
「おいおい、これ、結構有名なとこだろ」
昔、さくらが海外に出かけた時にお土産として買ってきたことがある。日本で手に入れるとすれば安い買い物にはならないだろう。
渉は得意気に鼻の下を擦った。
「へっへっへ〜、月島のためだからな。奮発に奮発したぜ!」
「あら、あんたにチョコレートを上げたのは小恋1人だったかしら……?」
「だったっけ〜?」
杏と茜が不機嫌そうに笑えば、渉は慌てて鞄に手を入れた。
「あ、ああ。お前らの分もちゃんとあるぜ! ほらよ」
そして、ホワイトチョコが2つ、杏と茜の前に差し出される。2人はそれをジッと眺め、
「……安物ね。小恋のと比べると」
「安物だね。小恋ちゃんのと比べると」
渉に皮肉っぽく笑いかけた。
「あっはっは……そうかー?」
「私も小恋ちゃんと同じのがよかったなー」
「ははは……」
笑って誤魔化すのも無理があると感じたのか、とぼけていた渉だったが、しゅん、とうなだれた。
「わ、わりぃ……! その……今月、新作のゲームとCDがいっぺんに出てさ……それで、ほら。小遣い使い果たしちまって」
「小恋の分はしっかり買ったのに?」
「いやぁ、だって月島のはほんめ……ごほんごほん!」
わざとらしく咳き込む渉を杏と茜はじろりと睨む。ただ1人、小恋だけは状況が理解できない、というようにぽかんとしていた。
杏は頬を膨らませた茜の隣でチョコレートの包み紙を剥がすとそれを口の中に放り込み、
「まぁ、あんたの気持ちはよくわかったわ。……来年のバレンタインは、期待しない方がいいわよ?」
と、冷たく言い放った。渉の顔面が蒼白になる。
「ね、小恋ちゃん。そのクッキー、私にもちょうだーい♪」
「うん。いいよ。みんなで食べよう。……ってか、渉くんもそのつもりだったんだよね? これ」
張り詰めた場の空気にも構わず、小恋は渉に微笑みかけた。
「へ? お、おう……まぁな! 俺もみんなで一緒に食べようと思ったんだ!」
「だよね。1人で食べるには多すぎるもんね」
「そういうことだ! さあ、がんがん食ってくれ、杏、茜」
小恋本人が意図したのか、していないのかはわからないが、渉にとっては思わぬ助け舟が出され、そして、渉はその助け舟に飛び乗った。次第に声のボリュームが上がっていき、軽い口調で杏たちに語りかける。
「……全く、調子のいい男ね」
杏はそんな渉を横目に、間違いなく皮肉ととれる笑みを浮かべていたが、その様子はどこか楽しげだった。
「それで兄さん。兄さんはどんなものを用意したんですか?」
それが気になっていたんだ、といわんばかりに振り向いた由夢の声はおしとやかの皮を被っていたが、その実、見慣れない物を目前にした猫のように興味に溢れていた。
由夢の隣で音姫が頷き、それに小恋も続く。
「うんうん。私も、興味あるなー」
「義之がどんなのを用意したのか、気になっていたんだ」
「まぁ、あんまり期待されても困るんだけどな」
義之は肩を竦めると、コタツから立ち上がった。
「あら、逃げるのかしら?」
「誰が逃げるか」
杏の不敵な声を笑い飛ばし、台所へと行く。そして、人数分のお皿を棚から取り出すと、冷蔵庫を開けた。
「わあ……」
いつの間にか、後ろについてきていた小恋が、いや女性陣全員が声をもらす。
冷蔵庫の中には大きなボールがねかせられており、その中にあるのは薄紅色をした杏仁豆腐だ。その隣には小さなボールが並び、中には小豆と団子が入れられている。これが、義之が用意したホワイトデー用のデザートだった。
義之はそれらを手早く取り出すと、流し台の上に並べて、盛り付けていった。細かい正方形に刻んでおいた杏仁豆腐を皿に入れ、その上に小豆をかけ、団子を数個、置く。最後にアクセントとして干した梅干を振り掛ければ完成だ。
「なるほど、昨日夜遅くまで、明かりがついてたのはこれを作っていたからなんだね」
「兄さんらしいです」
後ろで見ていた音姫と由夢が納得したように言う。
「まぁ、料理本の通りに作っただけだから味にはあまり自信がないけど……桜風杏仁豆腐。春には丁度いいかなって思って」
義之は少し得意気な気分になって言った。
「さすがは主夫ね」
「うんうん。さっすが〜、お菓子も作れちゃうなんて♪」
「誰が主夫だ、誰が」
「あははは」
杏と茜の声に小恋と苦笑いしながら、冷たいグリーンティーをコップにそそいでいく。
「なんだなんだ……おお! めちゃくちゃうまそうじゃねえか!」
居間の方で興味深そうに台所の様子をうかがっていた渉が台所に入るなり、声をあげた。
「桜内。俺はあったかい緑茶を頼む。グリーンティーも悪くはないがな」
「何様だよ……」
「お客様だ」
ニヤリ、と笑いながら、杏仁豆腐を眺める杉並。
「おいおい、これ女性陣しか食えないってわけじゃねえよな! だめって言われても食うぞ、俺は!」
渉は一刻も早く食べたくて仕方がないようだった。
「お前に返す義理はないだろ……けど、ま、全員分はあるか。運ぶのくらいは手伝えよ?」
「わーってるさ」
義之の言葉に渉は満面の笑みを浮かべると、腕をぶんぶんと振った。
一通りの盛り付けが終わり、飲み物も入れ終わると、義之は雪月花の3人と、朝倉姉妹を見た。
「1ヶ月前はありがとな、みんな」
「どういたしまして」
「えへへ……3倍返しだね♪」
「ここまで気合入れなくてもよかったのに……」
くすり、と笑う杏と、にっこりと笑う茜に、何故か申し訳なさそうな小恋。
「うう、悔しいなぁ。兄さん、男の癖に料理うますぎです」
「弟くん。ありがと〜」
悔しそうに言いつつも、やはり嬉しそうな由夢。純真に喜びをあらわす音姫。
彼女たちの笑顔を見て、義之もまた笑った。
「ま、存分に食ってくれ。それから、来年もまたチョコをくれると助かるよ。義理でもあるのとないのじゃ大違いだからな、ははは」
直後、場がカチン、と凍りついた。
女性陣は全員、笑顔のまま固まり、渉と杉並も驚愕に顔をそめる。
「あれ……? どした?」
ただ1人、義之だけがわけがわからないというように、不思議そうにみんなのことを見渡すと、
「ま、義之だしね……」
「義之くんだからねー」
「それでこそ、義之ね」
「流石です。兄さん……」
「弟くん、お姉ちゃんは悲しいよ〜」
何故か、みんなは一様にため息をはくのだった。