カボチャ男と魔女の夜




「お待たせしました、お客様。デリシャスハーブティーのホットでございます」

 恭しく言って、義之がティーカップを差し出すと、二人用の席についていた女性客は化け物を見たかのように目を見開き、硬直した。
 そうして、静止すること約5秒。どれだけの時間を意識を取り戻すことにあてたのか、思考にあてたのかはわからないが、ようやく、目の前にいる人間がウェイターだということに気がついたようで、ハッとしたように机の上に差し出されたティーカップと義之の顔を見比べて「あ、どうも……」などと実に気まずそうに返事をする。

「ご注文はおそろいでしょうか?」
「は、はい……」
「それでは、ごゆっくり」

 義之はいつも通りにぺこりと一礼をし――かけたところで、頭の重みが気になり、普段よりは浅い角度で礼をする。配膳が終わったのだからさっさと厨房に戻ろうと思って足早に歩き出す。

「何あれ?」
「あはは、面白〜い」
「大変ね〜」
(…………)

 店中のお客さんからの好奇の視線を全身に感じつつも逃げるようにして厨房に戻る。その途中、狭い視界のせいであやうく躓きそうになった。

「お、桜内くん。お疲れー」

 そんな義之をのんきな台詞と共に出迎えてくれたのは、雇い主であるこの喫茶店の店長だった。

「あのー、店長」
「ん、なんだい?」
「やっぱり、これ、やめていいですか」

 義之は聞くべきか否か、迷った末の言葉と共に、自分の頭を指差すが、

「ダメ」

 返答は早く、そして、無慈悲だった。

「ダメっすか……」
「当たり前だよ。桜内くん。今日はハロウィンなんだからね」

 義之はがっくりと両肩を落とし、絶望に暮れた表情で店長を再び見る。最も、店長には義之の顔色などわかりはしないだろう。
 何故なら――。

「いくらハロウィンだからってこれはあんまりだと思うんですが……」

 義之の首から上はカボチャのマスクに覆われている。今、店長の目の前に立っているのはウェイター服を着たカボチャ男なのだから。


 今日は10月31日。すなわち、ハロウィンだ。
 宗教も何も関係なく諸外国から、あらゆる儀式を貪欲に取り込み、食らい、我が物とするこの日本という国。
 クリスマスなどに比べるとあまりメジャーなイベントではないものの、徐々にだが近年はその知名度を向上させており、この日にちなんだイベントを行うところも増えてきた。特に客集めのために利用できるものはなんでも利用する商店などにとっては絶好の題材であり、義之たちの勤務する喫茶店においても、ハロウィンのキャンペーンが行われたのである。

(なんでカボチャ男なんだ……)

 ウェイターとして忙しなく店内を行き来する傍ら、窓に映った変わり果てた自分の姿に、義之は内心でため息をついた。曇り一つなく磨かれた窓ガラスに映った顔はオレンジ一色の巨大な楕円形。人間で言えば両目と口に当たる部分はギザギザにくり抜かれ、まるでにやにや笑いを浮かべているように見える。
 パンプキン。ジャック・オー・ランタン。これがなければハロウィンではないというくらいに定番の代物だ。そのことは義之にだって理解できる。しかし、理解はできるものの、だからといって、その役目を割り振られて無条件に納得できるほど人間ができているわけでもない。

(いいよな、あっちは)

 ちらり、と義之はカボチャの中で瞳を動かす。

「お待たせしましたお客様っ、ご注文の品をお持ちしました〜」
「え……、あの、頼んでませんけど」
「ふぇっ!?」

 どうやら配膳先を間違えたらしい。視線の先ではアイシアが額に汗を滲ませて、頭を下げていた。

「す、す、す、すみません! すぐに持って帰り……じゃなくて、お下げします! 失礼しました!」

 慌てた声でお皿をトレイに戻す。焦りに揺れる手は、見ているだけで床に落ちたお皿の割れる音の幻聴がするくらいに、恐ろしさを秘めた動作だったが、幸運なことにその音が実際に鳴り響くことはなかった。

「うう〜、またやっちゃった……」

 ションボリと肩を落として厨房に戻ろうとするアイシアとすれ違う。
 その姿は普段のウェイトレス姿とは違う。フリルであふれるメイド服の上から、ひらひらとした黒のマントを羽織り、長々と空に向かって伸びている黒色の三角帽子。それらのところどころにはワンポイントで紫色のリボンが備え付けられている。
 そう、魔女だ。今日のハロウィン・キャンペーン。ウェイトレスは全員、魔女コスと店長直々のお達しが出ているのである。
 とはいえ、普段の制服の上に魔女コスを羽織ったその姿はなんというか、普通の魔女とはだいぶ違う気がする。メイド魔女……とでも形容すればいいのか。黒の魔女帽に黒のマントをたなびかせつつも、その下地はフリルがあふれたメイド服というミスマッチを通り越して、どこか斜め上の方向に進化した感のある組み合わせはなんとも奇妙だと思わざるを得ない。――――まぁ、すっごくかわいいんだけど。
 ただ、ひとつだけケチをつけるとすれば、今のアイシアの表情だ。普段もそうだが、沈んだ顔は今の彼女の格好にあっては特に不釣合いなものに思えた。

(しょうがないな)

 あまり手助けしてばかりというのもどうかとは思うが、しかし、今の彼女を放っておくことはできない。義之は愛しい人の名を呼んだ。

「アイシア」
「よ、義之くん……」
「それはあっち、ほら窓の2人組のお客さんの注文」

 すがるように見つめてくるアイシアに対し、入り口とは反対方向を指し示す。アイシアはすぐに意味を飲み込んだようで、

「りょ、了解っ!」

 そう言うと共に奥へと駆け出した。勢いに揺れてなびく黒のマントを見送りながら、今度はこけるんじゃないかと義之は不安に思ったが、幸いなことにその心配は杞憂で終わり、アイシアは照れくさそうな笑顔と共に戻ってきた。

「ありがとう、義之くん……。義之くんの言ったとおりだった」
「お客さん、怒ってなかった?」
「うん。間違えてごめんなさいって言ったら、そこがあたしの魅力だから大丈夫……だって」

 言いながらも、アイシア自身、不思議に思っているのか首を傾げてみせる。
 この喫茶店で働き出して2週間。その間に彼女のドジっぷりは常連客の間では知らない者はいないほどに知れ渡ってしまっていた。やる気がないわけでも、運動神経が悪いわけでもないのだが、どうにも気合が空回りしてしまっているのだ。しかし、それを強く責める者は少なく、店長にいたってはそれがアイシアの魅力でありこの喫茶店に唯一欠けていた要素である『ドジっ娘メイド』を補ってくれた、と熱く語る。実際、彼女のドジっぷりを見ることを目的としている客も少なくはないらしい。又聞きしたことなので義之にはいまいちよくわからないのだが。

「どういう意味なのかな」
「あはは、可愛いは正義ってことさ。多分」

 義之は苦笑いして、肩をすくめた。

「しっかし、アイシアがうらやましいよ」
「え、なんで?」

 キョトンとしたアイシアに対して、義之は自らの頭を指し示す。

「いいよな、魔女。俺なんてカボチャ男だぞ、カボチャ」
「あ、あははは……」

 フォローの言葉が思いつかないのかアイシアは渇いた笑いをもらした。
 ミスター・パンプキン。重い・暑い・視界が狭いの三重苦。首から上はオレンジ色の野菜の化け物、首から下は白と黒のウェイター服。メイド服と魔女の衣装なんてものの比じゃないくらいに異質なその組み合わせを、お客さんに笑われたり、お子さんには怖がられたり、ろくなことがない。やっている仕事は普段と変わらないのに、普段の数倍は神経を消費している。夕勤四時間の内、半分以上が経過し、既にそのたまりにたまった辛酸は、今日という日が、これまで給仕として働いてきた中で最悪の一日といえる領域になるまで片足を突っ込んでいた。

(そりゃ男の俺に魔女は無理だけど、せめてドラキュラとかなかったのか……)

 それならたいそうなかぶり物もなく、適当なメイクだけで済んだというのに。当然、この後の時間もカボチャ男でいなければならない。不幸は現在進行形であるが、それを思えば自然と憂鬱な気分になる。

「でも、かわいいよね。カボチャさん」

 しかしアイシアはつんつん、と指先でカボチャを小突きながら楽しげに笑った。小突かれた部位は一応、頬。こんなものさえかぶっていなければ、よかったのだが。

「アイシアがかぶればそりゃあ可愛くて、微笑ましいことになるんだろうけど、俺だとなぁ」
「義之くんがかぶっちゃダメなの?」
「俺みたいなのがかぶっても気持ち悪いか、怖いかのどっちかだ。ま、怖いのはある意味正解なんだけど」

 そう言って、自嘲するもののアイシアはいまひとつ納得がいかないようだった。

「でも、義之くん大人気だよ。みんな義之くんのこと見てるもん」
「それはそうだけど……」

 たしかに、お盆を片手に給仕として配膳活動に従事するカボチャの化け物は人目を集めるだろう。実際、魔女コスに身を包んだメイドさんたちよりも遙かに店中の視線を釘付けにし続けいたようで。

「これは計算違いだった! さすがは桜内くんだ。我がメイド喫茶の四番エース!」

 などとよくわからない感心を店長にされてしまった。しかし、色物人気で注目を集めたとしても、あまり嬉しくない。

(ってか、前から思ってたけどメイド喫茶のエースが男でいいんだろうか……)

 そんなことを思っていると、ふいに飛んできた店長の声に意識が引き戻される。

「アイシアくん! ちょっと〜」
「っと、アイシア、店長が呼んでるぞ」
「うん! 今度はもうミスしたりなんかしないからね!」

 義之が言うとアイシアは握り拳を作って元気いっぱいに頷いた。
 その気合いが空回りしないといいけどな、と思いつつも駆け出していく彼女の後ろ姿をカボチャの面越しに見送り、次の仕事は、と義之が店内を見渡した時だった。

 ――――からりん。

 新しいお客の来店を告げる鐘が店内に鳴り響く。

「いらっしゃいませー」

 このバイトをはじめて二週間。もはや条件反射で義之は声を出す。さて、今度のお客さんはどんな反応をするかな? そんなことを思いつつ、扉の方を振り向いた義之だったが。入ってきた客の姿を確認すると同時に、硬直した。

「わ! カボチャ男だ!」
「へぇ……」
「うおわぁ!? な、なんだ、こいつは! ば、化け物っ!?」
「あはは、カボチャさんだ。おもしろ〜い」
「ふっふっふっ、なかなか洒落が利いているな」
「うっひょー! 魔女っ娘がいっぱい! って、おお! メイド服の上からマントと帽子を羽織ってるのか! いやー、やっぱりこの喫茶店はわかってるなぁ」

 6人組のお客様。その内訳は驚きに目を丸くしているのが2人。楽しげに笑っているのが1人。たいして驚いた様子もなく、不敵な笑みを浮かべているのが2人。そして、まったく関係ない方向を見てハッスルしているのが1人。――全員、顔見知りだ。

(こ、こいつら……なんでよりにもよって――!)

 こんな日にやって来るんだ!
 茜、杏、美夏、ななか、杉並、渉。風見学園の悪友連中を前にして、義之は職務も何もかもを忘れて叫び出したい衝動に駆られた。
 二週間前、この喫茶店でバイトをはじめたということをついうっかりもらしてしまったのが運のツキ。一同が大挙して、最初に遊びに来た日の『ご奉仕対決』のことは忘れようと思っても忘れられない記憶になっているが、それからもこの面々はよくバイト中の義之をからかうためにこの喫茶店を訪れるようになっていた。さすがにみんなそれぞれの事情があるため全員が全員一緒に、ということこそ少なかったのだが――今日に限って。
 普段から顔見知りの人間に来店されるのはあまり喜ばしいことではないが、今日はまたレベルが違う。なにせ、今の自分はカボチャ男なのだ。何を言われるか、なんてからかわれるか。わかったものじゃない。
 喫茶店の中に入ったら、カボチャ男に出迎えられた。そのインパクトのせいか、今のところ全員、目の前のカボチャ男が義之であるということには気付いていない様子だった。

(今のうちに奥に引っ込んじまおうか……)

 そんな考えが義之の脳裏を過ぎった時、甲高い声が喫茶店中に響き渡った。

「お、お前はなんだ! カボチャの化け物!」

 震える声と共に美夏が一歩、前へと踏みだし義之のことを指差していた。

「い、いや、カボチャのお化けか!」
「美夏、どっちも意味、大して変わってないから」
「む……」

 杏の指摘に美夏は眉を寄せる。その表情を引き攣らせているのは恐怖、だろうか?
 この「怖いものなんて何もない」という風の超強気猪突猛進ロボット娘がこんな仮装を子供のように怖がっているのだとしたら、それは義之には少し意外に思えた。
 美夏はあからさまに警戒した様子で義之の方に歩み寄ると、瞳を鋭く細める。

「ふむ……。なんだ、ただのかぶり物ではないか」

 そうして、暫くの観察の末に息を吐く。その姿は安堵しているようにも、呆れているようにも見えた。

「あはは、天枷さん。それはそうだよ」
「今日はハロウィンだからね。知らなかった?」

 その後ろで茜とななかが楽しげに笑う。美夏は「はろうぃん?」と彼女たちの方を向いたが、すぐに不愉快そうに義之の方に向き直る。

「誰かは知らんが、本物のカボチャのお化けかと思ったぞ。驚かせるな」
「……俺がカボチャのお化けならお前はバナナロボだな、天枷」

 ぼそり、と。目の前にいるロボットにだけ聞こえるように小声で呟く。マスク越しなので、この声が届いたかどうか自信はなかったが。

「ロボ? なぜ、美夏のことを……。 貴様、まさか!」

 その反応から察するに、聞こえたようだった。

「ったく、人のことをカボチャ、カボチャって、失礼な。……まぁ、カボチャなんだけどさ」

 嘆息しながら言う。さすがに隠し通すことは無理そうだし、だからとって、接客を放棄して逃げ出すわけにもいかないだろう。

「え、まさか……」
「義之くんなの?」

 茜とななかの驚いたような声。

「くっくっくっ、その身のこなしで推測はできていたが、やはりな」
「ついに人間をやめちゃったのね」
「いやぁ〜魔女さんたち可愛いなぁ〜。来てよかったぁ」

 俺は全てわかっていたぞ。とでも言いたげな顔で腕を組む杉並と、口許に人差し指を当てて妖しく微笑む杏。そして、そんな騒ぎも何も関係なく、ひたすらに店内を行き来する魔女コスのウェイトレスたちに感激の声をもらす渉。

「まぁな」

 約1名は放置しておくと決めつつ、渋面で義之は頷いた。最も、カボチャの面越しではよくわからないだろうが。

「義之くーん! お客さんの案内ならあたしが……って」

 そんな折、自分を呼ぶ声と黒衣が床を這う衣擦れの音と共に近付いてくる足音。見ると、店長の用事は終わったのか、アイシアがこちらに向かって来ていた。この厄介なグループ客に気付いたのか、その表情が嬉しそうに綻ぶ。

「おお、アイシアさんじゃん!」
「細君のお出ましね」
「アイシアさん、やっほ〜」

 こちらの面々も気付いたようで、手を振ってアイシアに呼びかける。

「みんな、来てくれたんだ! いらっしゃいませ〜!」

 義之とは違い、顔なじみの人間の来店に彼女は喜びの声をあげて、飛びっ切りの笑顔をみせ、こちらへと駆け寄ろうとする。 が、その表情は次の瞬間には見えなくなっていた。あまりに勢いよく駆け出したせいか、被っていた魔女の帽子がずり落ちて、目元を覆い隠したのだ。

「わっ、わっ……!?」

 いきなり視界を遮られ、慌てる声にあわせるかのように今、まさに駆け出したところのアイシアの両脚は奇妙な軌跡を描き、これ以上ないほど見事にもつれる。身体にかかった勢いを殺しきれなくなって、その小さな身体がぐらりと揺れ、正面に倒れ込む。ふわり、とアッシュブロンドの髪から離れた黒い帽子が中空を舞う。
 「あ……」と一同の中に唖然とした呟きがもれる中、カボチャのかぶり物の中で、義之も同じように呆然と表情を硬直させ、しかし、すぐにアイシアの方へ向かって、床を蹴った。
 アイシアの身体が、駆け出した力の方向と重力に従って床に着く。その寸前。義之の両腕がのびて小さな身体を抱き止めた。一瞬の出来事に喫茶店の中から歓声があがる。

「おおー、さっすが義之くん」
「カボチャにまで身をやつしても中身は変わらずってことね」

 後ろの方でなにやら好き勝手言われてるようだったが、今はそれよりもアイシアのことが先決だ。こんなドジはいつものことなので、大丈夫だろうとは思いながらも、義之は抱き止めたアイシアに声をかけた。

「大丈夫か?」
「う、うん。ありがと……」

 アイシアは赤い顔で頷く。幸いにもなんともないようだった。 よかった、と言って義之が笑いかけると、腕の中でアイシアは恥ずかしげに目を伏せた。

「あはは……だめだね、あたし。さっきミスしちゃったばかりなのに、またこけそうになっちゃって……」
「まぁ、なんていうか、ドジなのはたしかだな」
「うう〜」

 それだけは否定しようがない。呆れが薄々ながらもにじみ出ている義之の言葉に、ルビー色の瞳が揺れる。しかし、

「けど、あまり気にすることはないって。アイシアがドジっても、さっきや今みたいにいつでも俺がフォローしてやるからさ」
「う、うん……ありがと、義之くん」

 続けて義之がそう言うと、アイシアは照れくさそうに笑った。何はともあれ、大事なくてよかった。そう義之が安堵の息をはいた時。

「ねー、ねー、みんな。今の聞いた?」

 悪魔めいた響きをおびた茜の声がして、その声を背中で受けた義之はそのまま凍り付いた。

「いつでも俺がフォローしてやるからさ……」

 声真似のつもりなのか、茜の言葉を引き継いで杏が声を低くして言い、目を細めて冷笑する。 咄嗟の自体に、顔見知りの人間がすぐそばに大挙していることをすっかり忘れていた。
 またバカップルなどとからかわれる。義之は身構えたが、ついで聞こえてきたのは思っていたこととは少し違う言葉だった。

「頭がカボチャじゃなければなかなかサマになったんでしょうけど」
「カボチャだとね〜」
「なんというか、ものすごくシュールな光景だったぞ。桜内」

 そうでした。今の俺はカボチャでした。

(…………なんだかなー)

 カボチャのマスクのおかげで、いつものようにからかわれなかったことに少しだけ安堵しつつも、なんだか、冷や水をぶっかけられたような気分になる。

「えー、カボチャさんでも今のはかっこよかったよ?」

 しかし、意外なことに、冷ややかな評価を下す雪月花……ではなく雪天花の3人にななかが抗議の声をかけた。

「え、白河さんはそう思う?」
「あのカボチャのどこがいいんだ……」
「んーっと、ほら、お伽噺に出てくるヒーローみたいじゃない? 頭がカボチャの男の子。私はかっこいいと思うけどな〜」

 わかんないかなー、とでも言いたげにななかは首を傾ける。どうやら本心からそう思ってくれているようだった。

(そういやいつだったか、熊の着ぐるみの中に入って話した時もわりと喜んでたような……)

 去年の冬に初めて会った時よりも前。カボチャ男に身をやつしている今のように、一匹の熊に化け、ドナテルロなどと名乗って彼女と接触したことを思い出し、義之はこっそり肩をすくめた。

「くっそ、いつものことながらイチャイチャしやがって。こんなカボチャ野郎でも女の子とイチャイチャできてるのに。俺はー!」
「あはは、カボチャさん、かっこいいからね」

 咆吼した渉の隣でななかがそう言って笑うと、渉はハッと何か閃いたように腕を組む。

「そうか、カボチャか……カボチャなんだな! もてる秘訣はカボチャにあり! メルヘンチック万歳だ!」
「……まぁ、メルヘンなものは一般的には女性にウケがいいものだけど」

 杏が呆れた目で言うが、渉は気にすることなく、大声をあげる。

「よっし、そうとわかったら俺もカボチャになるぞ! って、ああ、しまった、あんなマスクもってねえ!」
「ふむ、あのようなマスクでよければ俺の家にいくらかあるが、貸してやろうか、板橋?」
「お、マジか!」
「最もカボチャ男が活きるのは今日、ハロウィーンという日限定の話。明日以降あらわれるカボチャは、その魅力の大部分を失ってしまうがな……」
「ぐっ、そうなのか?」
「そもそも中身が渉くんだとねー」
「畜生ーっ!! 結局、すべては中の人かよ!」

 杉並とななかの言葉に渉は咆哮した。

(何言ってんだ、あいつらは)

 義之がそんないつもの調子の面々を呆れた目で見ていると、杉並は渉をせせら笑いながらも一歩前に踏み出して、義之とアイシアの前に立った。

「ところで、そこの。カボチャ給仕とメイド魔女。公衆の面前でいちゃつくのはかまわんが、我々はいつまで待たされればいい? 俺はのどがかわいたのだがな」

 腕を組み、これ以上なく上半身をふんぞり返らせたその態度には辟易するが、客という立場上、一応、杉並の言っていることは真っ当だ。
 アイシアから離れると、義之は杉並に向き直った。

「別にいちゃついてるわけじゃないっての」
「ふっ、ならばさっさと給仕としての職務を果たすのだな」
「わーってる。……こちらへどうぞ、お客様」

 畏まって礼をし、窓際の席を示す。以前と同様、この騒がしいグループ客は端に隔離しておくに限る。
 そう思っていると、三角形にくり抜かれたカボチャの視界の片隅にきょろきょろと辺りを見回しているアイシアの姿が映った。どうしたんだろう?

「アイシアさん。帽子ならここだよ」
「あ、ななかちゃん。ありがとう!」

 そんなアイシアにななかが魔女帽を差し出す。どうやら、先ほど、床に落ちたものを彼女が拾ってくれていたようだった。

「これがないと魔女じゃないからね〜♪」

 アイシアは深々と魔女の帽子を被ると、得意げに笑った。

(まぁ、たしかに)

 ステレオタイプな感想ながら、魔女というのはやはり天に伸びたあの真っ黒の三角帽子あってこそ、という感はある。マントやホウキも『魔女』のイメージではあるものの、日本における魔女の視覚的にわかりやすいイメージといえばやはりあの帽子があってこそだ。

「ねぇ、ねぇ、義之くん」

 そんなことを思っているとアイシアに袖をひかれた。

「ん? どうした」
「今回はさ、あたしがみんなを案内してもいい?」

 そう言われてどうしようか、と少しだけ思案する。仕事自体は別に難しいことじゃない。空いている席に案内するくらいなら、さすがにアイシアでも大丈夫だろう。それも今回の客は顔見知りの人間なのだ。
 どことなく不安は残ったものの、レジの方に伝票を片手にしたお客さんが向かっているのを見て、義之は決断した。

「ああ。それじゃ、頼む。俺はちょっとレジの方に行ってくるから」
「うん! まっかせといてよ!」

 アイシアは見るからに張り切った様子で頷いた。


「何もこんな日に来なくてもいいのに……」

 わいやわいやと騒がしくも、なんとか席に収まった悪友たちの前でオーダーを取りにいく、という名目で様子を見に来た義之がうんざりした思いを隠そうともせずに言うと、杏が不敵な笑みを返してきた。

「バカね。こんな日だから来たんでしょ」
「せっかくのハロウィンだし〜」
「お祭りの日だからね」

 茜が杏の言葉を引き継ぎ、ななかも同調して言う。

「おかげで貴重なものが見れたわ」
「そうだよね、カボチャさんにお出迎えしてもらえるなんて、めったにない経験だよね」
「……ったく」

 この分だと一週間はこのネタでからかわれ続けるな。義之はげんなりした。

「メイドさんプラス魔女っ娘……。嗚呼、シャングリ・ラはここにあったんだなぁ〜」
「この店は仮装大会でもやっているのか? 従業員が、みんな揃って……」

 渉は鼻息荒く、ウェイトレスたちに次から次へと目線を這わせて、その隣ではハロウィンのことをよく知らないのか、美夏が不思議そうに辺りを見渡している。
 そんな中でななかはアイシアの方に目を止めると、笑顔で声をかけた。

「それにしてもアイシアさん。そのハロウィンの衣装、すっごくよく似合ってるね」
「あはは、そうかな〜」

 アイシアは嬉しげに笑う。口では謙遜したことを言いながらも、ノリノリのようで、マントのすそを掴んで、それをたなびかせてみせる。主のポーズ付けにあわせて、ひらり、と黒いマントが舞った。

「おおー!」
「すごーい、本物の魔法使いみたい」

 改めて見てみると、やはり、魔女コスはアイシアによく似合っていた。メイド服もそうだが、天然のアッシュブロンドの髪とルビーの瞳は海外由来の装飾とのかみ合いが抜群にいい。――もっとも、元々が本物の魔法使いなだけにある意味、似合っていて当たり前なのだが。

「ええ。ぴったりね」
「なんつーか、アイシアさんのためにあるって感じだよな」
「ふふ、板橋にしては気の利いた例えだ」
「えへへ〜。ありがと〜」

 杏と渉も同じことを思ったようで素直に賞賛の声をかける。 そんな中で美夏だけが不思議そうに首を傾げていた。

「ふむ。今日が仮装する日、ということはわかったが、メイド服の上にマントを羽織るのが『はろうぃん』なのか? ……よくわからん文化だな」
「美夏、人間というものは往々にしてわけのわからないことをするものなのよ」
「そうなのか……。えっと――アイシアだったか? まぁ、たしかに美夏も似合ってるとは思うぞ。その格好」
「うんっ。ありがとう、美夏ちゃん」

 美夏は笑顔でアイシアにそう言うと、ふいに義之の方を振り向いた。

「ところで桜内、貴様はなんでカボチャなんだ」
「やっぱお前、ハロウィンのことよくわかってないだろ」

 呆れた義之の言葉に美夏は片眉をぴくりと動かしたが、気にせず説明しようとしたところで、

「これもハロウィンの――」
「あれは桜内の趣味だな。天枷嬢。ああ見えてヤツはカボチャに並々ならぬ愛をそそぐカボチャ偏愛者だ。所謂、パンプキン・コンプレックス、というやつでな……」
「…………」

 割って入ってきた杉並の台詞に閉口する。何が、所謂だ。初めて聞いたぞ、そんな単語。

「待て待て待て天枷。その頭のおかしい人を見るような目はやめろ。そりゃ、カボチャは食い物としては嫌いじゃないけど……」
「そうだよね。義之くんはあたし偏愛者だもんね♪」

 冷ややかな、というよりもわけがわからないといった目をした美夏に説明しようとした矢先、アイシアに腕をとられる。

「おやおやおや」
「相変わらず、お熱いね〜」

 杉並は困ったように肩をすくめて、茜が楽しげに笑った。

「美夏。この国ではね、魔女っ娘の付き添いは人外と相場が決まってるのよ」
「ふーん、そうなのか。それで桜内はカボチャなのか」

 杏の説明に納得がいった、と頷く美夏。別に付き添いでカボチャ男に扮してるわけじゃないけど、もうそれでいいや、と思った。 これ以上、話をややこしくされたくはない。

「雪村嬢。それを言うなら可愛い人外だな。この桜内カボチャ太郎では到底マスコットにはなれん」
「変な名前つけんな……」

 太郎ってなんだよ、太郎って。

「不服か? いい名前だと思うが」

 苦い声を出した義之に対して、杉並はどことなく不満そうな表情を浮かべる。

「それじゃあさ、カボチャの義之くんにぴったりの名前をみんなで考えてあげようよ!」
「お、いいね〜」

 ななかがそう提案をすると、渉が笑みを浮かべてその提案に乗る。それが何かのスタートの合図だったかのようにみんなは次々に口を開いた。

「シンプルにカボチャマンでどうだ!」
「フッ、所詮、貴様のネーミングセンスではその程度だろうな」
「あんだと、杉並! てめえだって同レベルだろうが!」
「ふん。桜内カボチャ太郎というのは適当だ。……では、にやけ笑いのパンプキッド、というのはどうだ」
「ドナテルロ・パンプキン伯爵とか、かっこよくない?」
「ん〜、どっちもいい名前だけど、付き添いの名前にしては自己主張が激しすぎると思うな〜。ここは控え目に、かつ、マスコットっぽく、カボたん!」
「カボたん……小動物の名前みたいだな。しかし、桜内だからなぁ」
「そうね。美夏の言う通り義之に冠するにはその名前はちょっと可愛すぎるわ。もうちょっと外道な感じで」
「ならば怪人・桜内義之だ!」
「天枷さん、カボチャ分消えちゃってる……」

 わいやわいやと。眼前でよくわからないバカ騒ぎが繰り広げられる。その様子を見て義之はがっくりと肩を落とした。

「お前らなぁ」
「やっぱり義之くんのお友達って面白いね〜」
「…………」

 面白い、ってのはたしかにそうなんだけどなぁ。
 隣でにこにこと笑うアイシアの姿にまたひとつため息がでそうになる。うっかり頭を掻こうとして、こつん、とカボチャの仮面に阻まれた。この連中の前で二度とこいつは被らない。そう心に決めた。

「ところで『お客様』」

 カボチャ男の名前議論で盛り上がる面々に向けて、義之は努めて畏まって話しかけた。色々と言いたいことを抑え込んでいるせいか自分でも、どこか声が震えているような気がした。

「いい加減、ご注文をお伺いしたいのですが……」

 義之がそうして給仕としての義務を果たさんとすると、待ってました、とばかりにみんなの顔が悪魔めいたものに変わる。

「ふっふっふっ、注文、か」
「バカね、義之。今日がどいういう日か、忘れたの?」
「そうだよね〜。だって、今日は〜」

タイミングを伺うように、それぞれがそれぞれの目を見て、しばらくの嫌な静寂の後、

「「「「「「トリック・オア・トリート!!!!!」」」」」」

 一斉に注文を言い放った。

「…………」

 ああ、そうだろうな。なんとなく想像はついていたよ。にやにや顔に見られて、義之は大きく肩を落とした。
 「トリック・オア・トリート」。この日、ハロウィンのお決まりの文句。この連中流に翻訳すれば「義之のおごりで適当にデザート頼んでおいて」ということだ。

「なんだかよくわからんが、杏先輩からこう言えばただでお菓子が食べられる日、と聞いたぞ」
「あはは〜、義之くん。ごめんね〜」

 よくわかっていないのはたしかだろうが、義之が痛い目をみることだということは理解できているのか、美夏は楽しげに言い、その隣でななかも悪びれた風もなく笑う。少しでも、ごめんと思ってるのならその悪戯成功! みたいな笑みはなんなんだろう。
 お断りします、お客様。などという断りの言葉がついつい口から出かけるが。

「まさか何もくれない……なんてことはないわよね」
「いたずらしちゃうぞ〜」
「俺たちのイタズラはこええぜ? 義之くぅん」
「そうだな。非公式新聞部総出での派手なトリックを企画してやるのも一興」

 そう。断るとこの連中にどんなイタズラをされるか。考えただけでおそろしい。義之が辟易しているとアイシアが微笑みかけてきた。

「おもてなしてあげようよ。義之くん」
「……それしかなさそうだな」

 不承不承、義之が頷くと、アイシアは跳ねるようにして一歩、前に出る。

「えへへ、それじゃあ……ハッピー・ハロウィン! 皆様を歓迎させていただきま〜す♪」

 そうして、心からの歓迎の思いがあふれ出た笑顔を見せると、一斉に歓声があがった。


「ふっ、このパンプキンケーキ、なかなかの味だ」
「こっちのかぼちゃプリンも美味しいよ♪」
「うー、何故、美夏はバナナなんだ」
「そう言う割には、天枷さん。よく食べるよね。そのバナナパフェもう3杯目だよ……」
「むっ!? 何を言う花咲。こ、これは仕方がなくだな! 桜内のヤツのチョイスがいかに的外れであろうとも、歓迎してもらっている以上、出されたものを残すわけには……あ、ウェイトレスさん。おかわりを頼む! 大盛りでだぞ!」
「魔女っ娘なメイドさんたちで目を潤しながら、甘美なスイーツを嗜む。いやぁ、世知辛い世の中、こういう時間を大事にしないとな〜」
「渉。そろそろ自重しなさい。あんたの伸びきった鼻の下と、なめまわすような視線にアイシアさん以外のメイドさんたちがドン引きしてるから」

 穏やかなティータイムなどという言葉とは無縁の光景がそこにはあった。天井しらずのテンションで繰り広げられるどんちゃん騒ぎは、入店してこのかた、止むことがなく、窓際の、喫茶店の最も奥の席だというのに、喫茶店全体の雰囲気をまるまる盛り上げているようにすら思える。

「お前らなぁ、少しは静かにしろっての」

 そんな空間に足を踏み入れながら、義之は本日、何度目かのため息をついた。
 視界は広く、見知った面々の顔が一目で見渡すことができる。今日の夕方、勤務開始からの四時間、文字通り肌身を接して付き合い続けたカボチャ頭はもうない。異常に長く思えたバイト時間はようやく終わったのだ。
 重くて、暑くて、窮屈なカボチャの被り物を外してみると、頭だけではなく心の底まで解放感に包まれた。二度とこいつは被らない、来年のハロウィンは風邪をひいて家で寝ておこう。そう確固たる思いを抱きながら、ウェイター服から普段着に着替えると、再び店の方に顔を出した。
 いつも以上にハードだった仕事の疲れが双肩に圧し掛かっており、正直、一直線に家に帰りたかったが、やたらと長居しているこの集団客を放置して帰るわけにもいかなかった。
 そうして、スタッフとしてではなく今度は客として顔を出した義之だったが、そんな義之を見て、先住客たちはポカンとして顔を見合わせる。

「あれ、えーっと、どちら様? 杏ちゃん、知ってる?」
「いえ、私の記憶にはないわね」
「ふむ。はじめてみる顔だな」
「はじめまして〜」
「おーい、俺たち専属のウェイターのカボチャマンはどこいったんだ?」
「誰かは知らんが、カボチャのお化けにバナナジュースを頼むと伝言を頼む」
「…………」

 この連中に対して、仕事が終わったばかりの人間を労ってくれるやさしさなんて期待してはいなかったが。義之はやれやれ、と首を振った。

「カボチャ男は勤務時間という名の呪いがとけて人間に戻ったのさ」

 二度と喰らいたくない呪いだ、と本気で思いながら義之は冗談めかして言う。
 席をあけてくれ、と身振りで示すとそれぞれが身体を寄せてスペースを作ってくれた。最大10人は座れる窓の大きなソファをあてがっていたため窮屈な思いをすることもなく席につくことができた。

「それは大変な呪いだったわね」
「けどさー、こういう場合に呪いを解くのってお姫様のキスって相場が決まってない?」

 杏と茜が2人そろって視線を向けてくる。そんな茜の言葉を受けて、ななかが悪戯っぽく笑った。

「実はこっそりしてたりしてー」
「ありうるぜ。義之だからな」
「バイト中にこっそりちゅーは日常茶飯事なんだよね」
「……ないっての」

 内心でぎくりとしつつも、義之は平静な声を出した。そりゃ、休憩室の中とかでキスをすることだってあるけれど、日常茶飯事というほどではない。多分。

「怪しいわね」
「まぁ、ここは同志の言うことを信じておいてやろう。ところで、その姫君、アイシア嬢の姿が見えないようだが?」
「ああ」

 杉並の言葉に義之は頷いた。

「アイシアはまだ着替え中。着るのにも脱ぐのにも手間隙かかる服だからな」

 そろそろ来る頃だと思いながら義之は視界を泳がせる。と、入り口の扉、そのガラス越しに人影が見えた。

(アイシア?)

 しかし、アイシアではない。彼女は自分と同じくスタッフルームの方から出てくるはずだ。それでもそう思ってしまったのはその人影がアイシアに似ていたからだ。同じくらいの体躯に三角帽子らしきシルエット。ひらり、と風に揺れたのは、コートだろうか? シルエットだけならさっきまでのアイシアの姿に非常によく似ている。義之は好奇心で、そのまま入り口の方を見ていた。
 そうして、義之が入り口を見る中、扉はそれなりに年代を感じさせる木目のすれる音と共に動き、同時に来客を告げる鐘の音が鳴り響く。その隙間から、秋の夜風と共に入ってきたのは、

「おっじゃましまーす♪」

 金髪碧眼の魔女だった。

「ぶっ!?」
「わっ!」
「おお……」

 義之は思わず噴き出しかけ、他のみんなも声をあげる。赤いリボンがついた三角帽子の下でストレートにおろした金色が、身にまとったマントと共に華麗に舞う。マントの下はこの店のウェイトレスのようにメイド服、ということはなく、かといっていつもの私服でもなく、帽子やマントと同色の黒のドレス。しかも肩でとめるタイプではなく、扇情的に胸元は開け放たれていて、小柄な体躯とはいささか噛み合っていないようにも見える。
 さらに、魔女は1人ではなかった。

「弟くん。お仕事がんばってるかな」
「ど、どうも……」

 続いて2人。栗色の髪をなびかせながら、やはり同じように魔女の衣装に身を包んで、最初の魔女と比べると明らかに羞恥の表情を浮かべながら、店の中に入ってくる。店中の視線が一瞬、集まるが、しかし現在のこの店の中では魔女の格好をしているのは別に珍しいことでもない。新たな来訪者たちを、店員と勘違いしてこれもキャンペーンのひとつとでも思ったのか、それとも店のキャンペーンにあわせたノリのいいお客と思ったのかは定かではないが、客たちはすぐに自分たちの世界に戻っていった。義之たち一行を除いて。

「あ、いた! 義之くん、はろはろ〜!」
「今、お仕事終わったところかな。お疲れ様、弟くん」
「ちょうどいいタイミングだったみたいですね」

 そろって歩いてくる魔女三人組。嬉しそうに跳ねるように向かってくる2人と明らかに恥ずかしさのせいで足早になっている1人。理由は違えども遅くはない速度で近づいてくる彼女たちは紛れもなく、家で帰りを待っているはずの義之の家族たちに違いなかった。

「…………」

 あまりの事態に義之は呆然と目と口を開くと、そのまま静止した。それこそ凍り付く魔法をかけられたかのように。

「これはこれは……」
「魔女三姉妹って感じね」
「おおおおおおおお! さくら先生に音姫先輩に由夢ちゃん。3人そろって魔女コスっすか!」
「すっご〜い。三人とも素敵っ」
「ゆ、由夢!? どうしたんだ、それ」

 そうして、義之が茫然自失している間、みんなは各々、声をあげて、このハロウィンの夜にぴったりな来訪者を出迎えていた。

「あ、天枷さん。え、えーっと、これは……」
「その衣装、すっごく似合ってるぞ!」
「え、そ、そうですか? あ、ありがとうございます」
「眼福! 眼福っすよ! 音姫先輩」
「あはは、そんな大げさだよ」
「でも、由夢さんと比べるとちょっとだけ胸元がさびしいわね」
「あ、杏ちゃんっ。しーっ! 音姫先輩もがんばってるんだから」
「……そこの2人、聞こえてるからね」

 照れくさそうにしていた由夢だったが、美夏が純心に目を輝かせて言うと、まんざらでもなさそうに頷く。
 拝むように音姫を見る渉の隣で、ぶつぶつと小声で呟いた杏と茜だったが、当の音姫が怖いくらいの笑顔を向けると、慌てて視線をそらした。

「でもさ、魔女っぽさはなんとなく音姫先輩の方が上だよね」
「そうだな。朝倉妹も悪くはないが、どうしてもコスプレ感が漂ってしまっている。その点、朝倉姉は白河嬢の言うとおり……なんというか、まるで本物の魔法使いのような雰囲気だ」

 ただでさえ騒がしかった集団にさらなる燃料が投入され、一気に場の空気が燃焼する。そんな中にあってもまだ呆然としていた義之だったが、

「義之くん!」

 マントをはためかせて、目の前に飛び出てきた金髪の魔女――さくらの姿にハッと意識を引き戻された。

「さ、さくらさん」
「義之くん! お仕事、お疲れ様♪」

 思わずしどろもどろな口調になってしまった義之に対し、さくらは満面の笑みを浮かべる。義之はまだ意識の半ばを呆然とした思いに包まれながら、確かめるように口を開いた。

「えーっと、その格好、ハロウィン、ですよね」
「そうだよ。ハッピー・ハロウィン♪ せっかくだからね、ちょっとカッコつけてみたんだ。……どうかな?」

 さくらが言葉と共に片手で三角帽子をおさえてみせる。ポーズを取っている、つもりなのかもしれない。

「あはは……」

 しかし、カッコつけてみた、と言う割にはずいぶんと可愛らしい姿だった。流れる金髪と碧い瞳は、魔女の黒衣と組み合わさって神秘的な印象を放ちながらも、そこにあるのは相変わらずの年齢不詳の天真爛漫、お気楽脳天気な笑顔で、どうしても微笑ましい気分になる。自然と胸の中の動揺はおさまり、口許には笑みが浮かんでいた。

「ええ。とてもよく似合ってますよ」
「にゃははっ、そっか。ありがと〜♪」

 義之の言葉にさくらは嬉しげに肩を揺らした。

「ねっ、ねっ、弟くん。お姉ちゃんはどうかなっ」

 同じように魔女に扮した姉が身を乗り出すようにしてそばにやってくる。

「お、音姉。また、大胆な……」

 驚きの声をもらした義之にも構わず姉は急かし立てるように言葉を続けた。

「前はさくらさんだけだったけど、今回はお姉ちゃんもチャレンジしてみたんだっ」
「へ? 前?」

 一瞬、首を傾げ、すぐにあの『ご奉仕対決』のことを言っているのだと気づく。

「あ、ああ。あの時、ね」
「二回も弟くんに愛をみせつけるチャンスを逃しちゃったらお姉ちゃん失格だからね! 弟くんのために、しっかり着替えてきたよ」
「いや、あの、音姉。その言い方だとまるで俺がコスプレ好き人間みたいに聞こえるんですが……」

 小ぶりな胸元があらわになったドレスでえっへん、とばかりに胸を張る姉を前にし、義之は困ったように言った。

「無理しちゃって……」
「嬉しいくせに〜」
「なるほどな。義之はコスプレ萌えだったってわけか。前はメイドさん、今回は魔女っ娘。へっへっへ、わが友ながらなかなかニッチな趣味してるじゃねえか」
「うーん。渉くんにだけは言われたくないと思うけど……」

 なんだかその間、悪友連中が好き勝手なことを言っているのが片耳に入ったが、聞こえなかったことにする。

「で、どうかな? 弟くん」

 改めて、とばかりに姉が言う。義之は姉の姿を見た。

「ああ。音姉、その格好、めちゃくちゃ似合ってるよ。ぴったりだ」

 さくらさんといい、どうしてここまで似合っているんだろう。一見、イメージにあわないようにも思える黒のカラーがこれ以上ないくらいにしっくりとマッチする。穏やかで包容力にあふれた彼女の性格を、そのまま具現化したかのように、肩口から足元にかけてゆるやかに流れるマントは、それだけで優しげな印象を見る者に与える。

「えへへ〜。喜んでくれたみたいでお姉ちゃん嬉しいよ♪」
「義之くん、ボクたちにメロメロだね」

 音姫とさくらは2人で顔をあわせて笑った。

「あははは……メロメロ、ねぇ」
「苦笑いに見せかけてるみたいですが、思いっきり鼻の下のびてますよ、兄さん」
「うるせー」

 そんなところに突き刺さるように発せられた声。義之は一歩、離れた位置で所在無さげに佇んでいる妹へと視線を向けた。

「とか言ってるわりにはお前もその服――」
「や、勘違いしないでくださいよ。私はさくらさんとお姉ちゃんにあわせただけで、別にこういう服をちょっと着てみたかったとか、兄さんに見せたかったとかそんなわけではなくて」

 義之の声を遮るように、由夢はせわしなく言う。

「ん、そうなのか。けど、お前もよく似合ってるぞ」
「え……」

 黒のドレスに包まれた妹の姿はその捻くれた態度のせいか、2人とは違って、どちらかといえば魔女というよりも、小悪魔に近いような印象があったが、それでも、やはり似合っていると言う他ない。

「……べ、別に兄さんにそう言われても嬉しくもなんともありませんよ」

 由夢は一瞬、頬を赤くしながらも、やはり、つっけどんに言い放ち、そっぽを向いた。しかし、その口許はどことなく緩んでいるように見えた。

「ってか、3人とも」

 そんな妹の横顔を見ながら、ふと気になったことがあって義之は口を開く。

「その格好でここまで来たの?」
「にゃはは、そうだよ♪」
「あ、あははは。ちょっと恥ずかしかったけど、弟くんのためだからね」
「…………」

 なんてことはなさげに笑うさくらの隣で音姫は照れくさそうに頬を赤らめ、そして「そのことは言わないでください」とでも言いたげな様子で由夢が深々と俯く。
 なるほど、大変だったんだな……。義之は呆れと感心が入り交じったような感情で「そっか」とだけ呟いた。

「なぁに、この3人なら似合いすぎてて誰も文句は言わないって」
「うーん。義之くんが言ってるのはそういうことじゃないと思うけど……」
「羞恥心の問題ではないのか?」
「へっへ、ま、いいじゃねえか」

 渉はそう言って笑うと、みんなに席を詰めろ、と目配せをする。

「ささっ、みなさん。座って座って〜」
「そろそろ帰ろうかなって思ってたけど、この分じゃまだまだ帰れないね、杏ちゃん」
「そうね」
「ねっ、義之くん。追加で色々頼んでもいい?」
「もう好きにしてくれ。……明日の学食くらいはおごれよな」
「それじゃ、いろいろ頼んじゃお〜」
「これからが本番、というやつだな。皆々でジャック・オー・ランタンの成仏を祈ろうではないか」

 さすがにさらに3人が追加で座ると席が手狭になりそうだったが、だからといって嫌そうな顔をする人間なんて1人もいない。みんな、いそいそと身体をずらし、スペースを作る。

「あっ、それじゃあボク。義之くんのとなりの席〜♪ ごめんね、杏ちゃん。そこあけて〜」
「ああっ! ずるいですよ、さくらさん! じゃあ、私はその反対側で……」

 さくらが小さな身体を跳ねるようにして、動かすと義之の膝を飛び越えて隣に陣取る。「あっちのがスペースあいてるけど」なんて義之の呟きは完全に流され、音姫もその逆側の位置についた。

「あはは。由夢ちゃんは義之くんの隣、キープしなくていいの」
「花咲先輩、別にかまいませんよ。兄さんの隣なんて座りたくありませんから。……あ、すみません天枷さん。その席ゆずってもらえますか」
「ん? 別にいいが。何故だ?」
「え、えーっと、外の景色がよく見えそうな席なので」

 唐突な提案に目を丸くしている美夏に由夢は少しためらった挙げ句に理由を話す。

「お、それなら俺の席の方が見晴らしいいぜ」
「渉くん、空気読もうね」

 そんな由夢に渉が声をかけたが、それに対して、ななかが何故か呆れた顔をした。
 見る限り、たしかに渉のいた席の方が見晴らしがよさそうで、義之が不思議に思っていると、その間に自分の対面に座っていた美夏がいったん席をたち、代わりに由夢が座る。

「左右正面。見事にかこまれたな、桜内」
「まったく罪な男ね」
「へ?」

 杉並と杏の言葉に間の抜けた声を出す。ひょっとして、由夢が席をかわってもらったのってそれが目的だったのか? 俺の正面に座りたくて?

(……いや、まさかな)

 由夢に限って、そんなことはないだろう。そう思って両隣を見る。

「えへへ〜、弟くんの隣だ♪」
「にゃははは、義之のとっなり〜♪」
「…………」

 満面の笑みにサンドイッチにされては、なんとも気まずい。心地のいい窮屈さにどう反応していいのかがわからない。
 由夢はこの2人とアイシアがいつも些細なことで自分をめぐって争うのを冷ややかな目で見ているのだ。そんな彼女に限って――。

(あれ?)

 そこまで考えたところではたと気付いた。この2人と誰が争うって?

「義之くん、どうしたの?」
「いえ……そういえばアイシア、やけに遅いな〜って思って」

 義之は呟き、スタッフルームの方を見た。メイド服から私服に着替えるにしても、いくらなんでも遅すぎないだろうか。

「あっ、そういえば」
「園長たちがやってきて、すっかり忘れてたな」

 それに釣られて他のメンバーを思い出したかのようにその方向を見る。まさにその瞬間だった。スタッフルームの扉ががちゃりと開く。

「義之く〜ん! 見て見て〜、ほら、魔女さん♪ さっきのとはちょっと違うでしょ……って」

 派手な音と共に開け放たれた扉から、銀髪の魔女が飛び出してくる。なるほど、たしかに。その姿は先ほどまでと同様に魔女の衣装ではあったが、その帽子もマントも違っていた。下に着ている服も当たり前だが、メイド服でもいつもの私服でもない。
 だが、そんな衣装に義之が目を奪われるよりも早く。アイシアは血相を変えた。そして、あっという間にこちらまで駆け寄ると、

「なんでさくらがいるのよ!」

 テーブルを叩きかねない勢いで叫ぶ。しかし、そんな勢いを受け流すかのようにさくらはにんまりとした笑みを浮かべた。

「なんでって言われても〜。そろそろ義之くん、お仕事終わりだと思って迎えに来てあげたんだ」
「どこの過保護親よ!」
「やだな〜アイシア。過保護だなんて、そんなにほめないでよ」
「ほ、ほめてないし……。しかも、その格好……また、義之くんを誘惑しようとしてる……」
「にゃはは。そんなことはないよ」

 見る者全てを圧倒するようなやりとりに、思わずその場にいた人間が言葉を失う。頭痛を感じて義之が窮屈な場所ながら、片腕を引き抜き、額を抑えようとした時。その腕ががっちりとホールドされた。

「だって、誘惑なんてしなくても義之くんはボクにメロメロだし〜」

 見ると、黒いグローブに包まれた細腕が、肘のあたりにからみついていた。

「さ、さくらさん……」
「あ、抜け駆けはいけませんよ、さくらさん。それじゃあ、お姉ちゃんも」
「音姉っ!?」

 そして、逆方向からのびてきた腕に、もう片方の肘までホールドされる。まずい、と思って義之はアイシアを見た。

「ううう〜、義之くん……」
「いや、待て、アイシア。とりあえず落ち着いて」
「なんでそんなに嬉しそうな顔してるのよ……」
「いや、してないから!」

 と、言いながらも2人の女性(家族とはいえ)に両腕をしっかりと握られたこの状態では説得力も何もないことは自覚していた。拗ねるように自分を見るアイシアになんといえばいいのか、と義之が考えた時、さくらが楽しげに笑う。

「にゃはは。ボクと音姫ちゃんの愛で挟み込んでるんだから、そりゃあ嬉しそうな顔にもなるよね〜」
「そうですよね、さくらさん。弟くんにお姉ちゃんの愛が伝わったみたいで私も嬉しいです」

 両隣にあるのは、それはもうこれ以上ないくらいにふやけきった、とけるような微笑みで、それと反比例するようにアイシアの表情が引き攣っていく。

「さくらと音姫ちゃんと由夢ちゃんで、義之くんの左右と正面かためてるし……そこに座るのは恋人であるあたしの権利なのに〜」

 そうして、ガックリと肩を落とすアイシア。
 一段落ついた、と見たのか、それを契機にこれまで大人しかったギャラリーたちが騒ぎ出した。

「義之くん、すっごい身分だよね〜」
「なんつーか、いつ見ても壮絶だよな、これ。畜生、羨ましいぞ……」
「板橋とは一生、縁のない世界だな」
「杏先輩、なんだかわからんが、園長もアイシアも怖いぞ」
「愛を賭けて争うという行為は人間を修羅に変えてしまうものなのよ、美夏」
「ふむ……とりあえず桜内が最低だということはわかった」
「そうですね。天枷さんの言う通り、兄さん、最低です」

 物珍しさに目を輝かせたギャラリーは好き勝手なことを言う。義之の方も肩を落としたい気分だったが、両隣から支えられていてはそれもできなかった。
 頭を垂らしていたアイシアが銀髪を揺らして、顔をあげる。そこにあったのは不気味なまでの笑顔だった。

「スタンドア〜ップ、さくら〜」

 しっ、しっ、と蠅か何かを払うような仕草と共にそう言って笑いかけるが、さくらはそれに対抗するようにさらに強く義之の腕を両腕でぐっと握る。

「芳乃さくらは現在充電中で〜す。何かご用の方は後ほどご連絡くださ〜い」
「こ、この……! お、音姫ちゃーん」

 白々しいさくらの言葉に明らかな憤りの声を発しつつも、アイシアはなんとか笑みを取り繕って音姫を、いや、正確には彼女が座っている席を見る。が、その機先を制するように、

「だめでーす。この席はお姉ちゃん専用席でーす」
「ーーー!!」

 この顔は絶対に許しません、改め、絶対に譲りませんモードだ。と義之は横目に姉を見ながら思った。二の手も潰され、アイシアはあたふたと辺りを見た挙げ句。

「え、えっと、由夢ちゃんはゆずってくれるよね? こっちの2人と違って、その場所に座ってるのは偶然なんだよね? いつも義之くん争奪戦には参加してないしね? だから――」
「すみません、アイシアさん。私はこの場所から見える景色が気に入っていて」
「――その席をあたしにゆずって……うう〜!」

 気まずそうに笑い、提案を拒んだ由夢に対して、アイシアは涙目でうなった。

「あたしだって義之くんという景色を見据えたいよ〜」

 泣き出しそうな声で叫んだアイシアを見、茜が場の空気を伺うような小声で呟く。

「勝負あった、かな?」
「疾きこと風の如し、と言うやつだな。今回のアイシア嬢の敗因はスタートの遅さだ」
「お前ら、完全に楽しんでるだろ……」

 フォローしないといけない俺の身分にもなってくれ、と義之は嘆息する思いで呟く。

「あ、あのさ、アイシア……」
「うう、義之くん」

 おそるおそるアイシアを見ると、彼女もまた拗ねるようにこちらを見返してきて、

「あ!」

 ふいに涙目になって伏せられていたそのルビー色の瞳が見開かれた。落ち込んだ表情から一転。まるで宝物でも見つけたかのようにアイシアは得意げで勝ち誇った笑みを浮かべる。

「えへへ、義之くん。あたし、見つけちゃったよ」
「へ? 見つけたって?」

 一体何を。明確な困惑と共に義之はアイシアに問いかける。両隣ではさくらも音姫も不思議そうにアイシアを見ていた。

「さくらよりも音姫ちゃんよりも由夢ちゃんよりも、誰よりも義之くんに近い席!」

 一同の視線を集めながら、はっきりと、喫茶店中に響くかのように大きな声でアイシアはそう宣言する。一瞬、沈黙が走ったが。

「にゃはは。そんな席はないよ♪」
「そうですよ、アイシアさん」

 さくらと音姫の笑い声が響く。そこにあるのは勝利を確信していた笑みだ。

「音姫ちゃんはともかくさくらが見落としていてくれたのはラッキーだったけど……」
「アイシア?」

 しかし、それを受け止めるアイシアの表情もまた勝利を確信した不敵な笑顔。

「どういうことだ?」
「さぁ……」
「…………」
「一番、近い席っても、義之の隣はさくら先生と音姫先輩がかためてるんだぜ?」

 そんな彼女の真意をはかりかねているのは義之だけではないようで、みんなも困惑の声をもらす。そんな一同が見守る中、

「えいっ!」

 アイシアは黒いマントをはためかせ、被った帽子が後ろにずり落ちるのも構わずその場から駆け出し、飛んだ。音姫の膝の上を越え、そのままその先に、義之の膝の上に落下する。

「おわっ!?」

 小柄、とはいえ、人間1人。中空を舞った挙げ句の衝撃が両膝にのしかかり、身体が傾き、義之は声をあげた。

「あ……」
「えへへへ〜」

 一瞬、暗転した義之の視界が晴れた時には、魔女の衣装に包まれたアイシアの小さな身体は見事に自分の脚の中におさまっていた。

「ちょっと、アイシア!」
「アイシアさん、それは反則です!」

 いきなりのことで呆気にとられていたのか、ワンテンポ遅れて、そして、信じられないとでも言うように瞬きをして、さくらと音姫が同時に叫ぶ。その間で、義之の身体に背中を預けて、アイシアは平然と笑みを浮かべた。

「反則も何もないも〜ん」

 とん、と義之の胸元に軽く体重がかかる。アイシアが頬をこすりつけるようにして、もたれかかってきていた。目前に広がったアッシュブロンドの髪からいい香りがして、思わず声音が上擦る。

「義之くんの懐あったか〜い」
「ア、アイシア」
「義之くん……」

 視線を落とせば甘えるように潤んだルビー色の瞳が見返してくる。

「やっと、やーっと、ふれ合えたねっ、両隣のお邪魔虫なんて構わずいつもみたいにイチャイチャらぶらぶしようよっ」
「あははは……」

 嬉しさと困惑が綯い交ぜになったような、自分でもよくわからない笑みが義之の口許からこぼれた。

「うう〜、ボクだってやろうと思えばそこに座れたのに……」
「弟く〜ん……お姉ちゃん負けちゃったよ〜」
「アイシアさん、奇跡の大逆転勝利、ってやつかしら」
「ふふっ、発想の転換だな」

 だからどういう勝負なんだよ! ギャラリーの無責任な言葉にそう叫びたくなったが、しかし、自分のすぐ側に密着したアイシアの方へと意識は引っ張られる。

「トリック・オア・トリート! 義之くん、お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ♪」
「ん、ああ、お菓子なら」
「その、できれば口移しで……」

 照れくさげに頬を朱色に染めながらのアイシアの言葉に、周りの面々が血相を変えたのが、見なくてもわかる。

「ちょっとアイシア!」
「ア、アイシアさん、く、口移しって、えっ、えええ!?」
「い、妹として、そ、それはさすがにどうかと思いますよ……兄さん」
「うわ〜、アイシアさん。大胆〜」
「くち、移……し、杏先輩それはどういう……」
「美夏もそのうちわかるわ。あ、私たちのことはお気になさらず」
「お二人で濃厚なキス、じゃなくて口移しをどうぞ、どうぞ〜」
「義之、てめえってやつは! どこまで!」
「ふっふっふっ、面白い余興になりそうだな」

 案の定好き勝手なことを言い出す。しかも、何故か怒りの矛先のいくらかがアイシアではなく義之に向かっているのが理不尽だった。
 しかし、アイシアの方はそんな外野の騒ぎを気にしていないのか、多少ばかり照れくさそうにしつつも、やはり義之のほうだけを見上げてくる。

「お願い、義之くんっ」

 ぎゅっと、あわせた両手が義之の胸元におかれる。お願いの形をとっておきながら、言われた通りにしないと納得しなさそうなアイシアのわがままな微笑み。

(ったく、わがままなんだから)

 内心で苦笑いしながらも、やはりその表情を愛おしく思う。今夜は長い夜になりそうだな、と思った。




戻る

上へ戻る