「恋人のいないX'mas」


 ジングルベルの音色が街角を抜けていく。一段と冷え込んだ気候の中にあっても、その軽快なメロディは心を和ませ、リズミカルに響く鈴にあわせて気持ちも弾む。買い物ができる場所も限られている小さな三日月島の中、人通りは常に多い風見下商店街ではあるが、今日は特に人が多い気がした。
 ――いや『人が多い』という表現は少し違うか。義之はひとり、かぶりを振ると、苦笑いに口許をゆるめた。人が多い――それは間違っているわけではないが、正確でもない。

「肩身が狭いな」

 隣を通り過ぎていったカップルを見送りながら、ぼそり、と呟く。仲がよろしいことで、手を繋いで歩いている。寒さに耐えかねて義之が両手をポケットに突っ込んでいるのに当て付けるように。あれは、さぞかしあたたかいことだろう。色々な意味で。
 今日は12月24日。クリスマスイヴ。冬場の商店街はどこに隠れていたんだ、と言いたくなるくらいにカップルであふれかえっていた。
 今度は2人そろってクレープをかじっているカップルが義之の前を横切る。全く、見せつけてくれる。義之がやれやれ、と背もたれ代わりに街灯へ身体を預けたとき、

「うらやましいね〜」
「おわっ!?」

 ふいに首筋にかかった声。義之は思わず飛び跳ねると、慌てて声の方を振り向いた。

「いや、うらやましいじゃなくて、うらめしい、かな」

 そう言って、クレープを手に歩くカップルを睨むようにして見送っているのは、朝比奈ミキだった。

「ミキさん?」

 思わず声に驚きの感情が乗る。そんな義之に構わず、彼女は片手を上げて挨拶代わりの笑顔を返してくれた。
 彼女と自分は浅からぬ縁がある知人なのだから、別に話しかけられたこと自体は驚くべきことでもないのだが、こちらから彼女の家を訪れることは多くても、こうして道ばたでばったり、ということは珍しいことだった。
 かたや学生、かたや看護師。先んじて打ち合わせをしておかなければ、そうそう時間があうはずもない。

「あ〜あ、みんなしてイチャイチャしちゃって〜。少しは公衆の目を考えろっての」

 そう言う彼女の瞳はまた別のカップルの姿を捉えていた。

「まったくですね。いくらクリスマスだからって」

 義之もミキの言葉に頷き、やれやれ、とジェスチャーをする。そんな義之をミキは何かを言いたげにじろりと見た。

「そういうわりには余裕に満ちあふれた口調だね」
「そうですか?」
「うん」

 そうなのだろうか? 目の前で頷かれてしまっても、自分の声の調子なんてあまりわからない。

「やっぱり、カノジョ持ちの余裕?」
「そういうわけじゃあ……」

 ミキの言葉にちらり、と義之は空を見上げると、口許を微かに緩めた。空は透き通るように青い色をしている。この分だと今年はホワイトクリスマスは望めそうにないだろう。

「ってか、どうしたんですか、ミキさん。こんなところで」
「私? 私は仕事あがりだよ」

 見てわからない、という口ぶりだったが、彼女の顔には疲労の色が滲んでいるわけでもなければ、服装もいつもの私服で、言われるまではさっぱりだった。

「仕事あがり、ですか?」
「そ。夜勤が終わって、家に帰って、それからぐてーっと眠って……それでついさっき目が覚めたからこうして散歩を」
「はぁ、それって仕事あがりとは少し違うような」
「ん、そう? まぁ、いいじゃない細かいことは。仕事疲れを癒すためにふらふらしていることに違いはないわけだし」
「そういうもんですか」
「そういうものなのです」

 何故かですます調で纏めるとミキはにっこりと笑った。

「そういう君はどうしたのさ」

 そして、からかうように言う。

「私の記憶どおりなら君はたしか風見学園の生徒だよね」
「ええ。今年の春に本校にあがったばかりの本校最下級生です」
「そして、これまた私の記憶が正しければ今日は風見学園のクリスマスパーティーの日だよね」
「ですね。今日はクリパ2日目。一番盛り上がる日です」

 義之の返答にそうか、そうか〜、とミキは満足げに頷いた後、

「……で、その風見学園本校1年生の桜内義之くんは、風見学園のクリスマスパーティーが最も盛り上がる2日目のまっぴるまにこんなところで何をやってるのかな」

 したり顔になって聞く。義之は薄笑いをして、誤魔化すように頭を掻いた。

「まっ、簡潔に説明するなら……サボりってやつですね」
「悪びれた風もなく言っちゃって。悪ガキめ」

 そう言う割に楽しげなミキの声。
 数多くある風見学園の祭典の一つであり、冬に開催されるクリスマスパーティー。その中でも一番盛り上がる2日目にあって、自分たちのクラスを手伝うこともなく、各クラスの催し物を冷やかして回ることもなく、杉並の企てた騒動に荷担することもなく、こうして学園から離れた商店街をふらふらと出歩いている理由は、特にはない。
 しいて言うなら、そういう気分だったから。朝起きて、カーテンを開けて、透き通るように晴れ渡った青空を眺めて、なんとなく「今日はクリパはいいや」と思った。そうとしか言いようがなかった。
 一応、クラスの催し物については(今年は杏や杉並、渉といった悪友連中がみんな離ればなれになってしまったため、義之のクラスにはトラブルメーカーが少なく、委員長の沢井麻耶が順調に手綱を握った結果、なんの面白みもないフランクフルト屋だ)昨日、丸一日、手伝ったので義理立てはしている。

「今日はちょっとサボタージュな気分だったんですよ」

 呆れられるかな、と思って言った言葉だったが、

「サボタージュ、ね。……まぁ、気持ちはわからないでもないかな。私も学生時代はあの手の行事はサボり気味だったしね〜」

 ミキはうんうん、と頷く。その顔を見ながら、そういえば、今でこそ『大人』なこの人も学生時代は少しヒネていたんだと、梅雨の時期に聞いた昔話を義之は思い起こした。

「それに学園内も、ここに負けず劣らずにカップルが多いですから」
「気まずくてたまらない?」
「ええ。俺の友達の1人なんて血の涙を流していましたよ」

 学園の中にあふれるカップルを見ながら、クリスマスなんてなくなっちまえばいいんだー! と咆吼していた悪友の姿を思い出して、義之は苦笑いした。その悪友はクリスマスを……いや、クリパを台無しにしてやろうと非公式新聞部の面々と何やらあやしげな行動をしているようだったが、果たしてどうなったことやら。

「まぁ、不良学生義之くんの事情はわかったよ」
「酷い言いようですね」
「否定できないでしょ?」

 そう言われると、その通りなのだが。義之が決まり悪く頷くとミキは不敵な笑みを見せた。

「ということは義之くん。今ヒマしてるよね」
「そりゃまぁ」

 クリパを抜け出してきてふらふらと商店街を出歩いていたのだ。ヒマでなくてなんだと言うのか。

「ヒマか、そうでないかと言われればヒマですけど」
「それじゃあ、ちょっとお姉さんに付き合ってくれるかな?」
「付き合う?」

 何の用だろう。そう思って首を傾げた義之の動作を彼女はイエスの返答代わりと受け取ったようで、

「よぉっし! それじゃ、善は急げってことで」

 グッと握り拳を作ると義之に先んじて足を踏み出す。義之は一瞬、呆気にとられた後、なんなんですか、と声が喉をついて出掛けるが、しかし、どうせヒマだったのだ。どこへ行って、何の用事をしてもいいか。そう思い直すと義之は彼女の後を追った。


 その場所に訪れるのは久しぶりのことだった。

「ミキちゃん。それに義之くん。良く来たね」

 小鳥遊。そう書かれた表札がかけられた家の玄関で義之たちを出迎えてくれたのは、太陽のように眩しい笑顔。

「真哉さん。お久しぶりです」
「どうも〜」

 義之の声にミキの声が重なり、2人して頭を下げる。そんなのいいのに、と言うように小鳥遊真哉が気楽な調子で笑うと、その大柄な身体の後ろからひょっこりと小さな頭が顔をのぞかせた。子熊のように可愛らしく纏められた茶色い髪を揺らしながら少女は満面の笑みを向けてくる。

「わぁ〜、ミキおねえちゃんに義之おにいちゃん! こんにちは〜っ」
「ああ。こんにちは」
「やっほ〜、夕陽ちゃん。元気してた〜?」

 ぱたぱたと両手を振って喜びを現わす少女、小鳥遊夕陽に義之は軽く微笑み、ミキは腰をかがめて目線の高さを同じにして笑いかける。一瞬の間もおかず「元気だよ!」とこれまた軽快な声が返ってきた。
 小鳥遊真哉と小鳥遊夕陽。彼らは義之にとっての最愛の人の父親と妹だ。

「さ、遠慮しないで入って、入って」

 まひるの父親、真哉が相変わらず人当たりの良い微笑みを浮かべて、手招きをする。
 その隣でまひるの妹、夕陽が父親の真似をして「はいって」と小さく手を振ったのを微笑ましく思いながら、義之とミキはどちらともなく足を踏み出し、小鳥遊家の門をくぐった。

「小鳥が遊ぶって書いて『たかなし』か」

 表札の漢字を横目に据えながら、まひるが自己紹介をする時の恒例の言い回しを真似て義之が言うと、隣でミキがくすり、と笑った。

「何度見ても、珍しい漢字だよね」
「全くだよ。ご先祖様はどうしてこんな名字を名乗っちゃったのか」

 その珍しい名字を持った当人である真哉もそう言って笑う。

「君たちにはわからないよね。こんな奇抜な名字を持った者の悩みは」
「あはは、すみませんが、ちょっとわからないです」

 義之が笑うと、そうだろうね、と真哉は頷く。

「ファミレスの順番待ちとかで『ことりゆうさん』って呼ばれた時の気分と言ったらね……ああ、あの時の気恥ずかしさはなんと言い表せばいいか」

 本当に参ったというように頭を掻いた真哉の隣で、夕陽が「ことりゆう」と楽しげに声をあげる。そんな娘の頭を「タカナシだろ」とやさしくなでつつ、真哉は続けた。

「あれはもう。たとえるのならば……狭い通路を自転車で走行中。前を見てみれば向かってくる自転車が。これはいけないとハンドルを右に切ったら何故か相手も同じ方向にハンドルを切って進路をずらす。結局、お互いに衝突寸前になりながらブレーキ踏んでその場に停止! マッチングする視線と視線! ……という時くらいの気まずさだったよ」

 庶民的な気恥ずかしい体験談がさらに庶民的なたとえでたとえられる。思わず義之とミキは二人して吹き出してしまった。

「あはは。出た出た。小鳥遊家の伝統のみょーちくりんなたとえ話」
「おいおい、みょーちくりんとはひどいな。ミキちゃん」

 苦笑いを向けられて、ミキはすみません、と謝ったがその表情は笑ったままだった。

「まぁ、奇抜な名字にもいいところはあるんだけどね。自己紹介の時とか逆に一発で覚えてもらえるし」
「真哉さんはどういう風に自己紹介をしていたんですか?」
「さっき君が言ったのと同じさ。小鳥が遊ぶって書いて『たかなし』」

 なるほど。変なたとえ話もそうなら、あの自己紹介もまた父親ゆずりか。義之は妙に納得した。

「夕陽。お前も自己紹介のときはこう言うんだぞ」
「うん! わかった、おとうさん!」

 真哉の言葉に夕陽が元気いっぱいに頷いた時、

「皆さ〜ん、いつまでそうしていらっしゃるんですか〜」

 小鳥遊家の中から声が響く。それは、まひるの母親である小鳥遊亜沙の声に違いなかった。「おっと、いけない」と真哉が肩をすくめる。

「とりあえず、中に入ろうか」

 気恥ずかしげに言われたその言葉に義之とミキ、そして夕陽は頷くと今度こそ小鳥遊家の中に足を踏み入れた。おじゃまします、の声と共に玄関口で靴を脱ぎ、廊下を歩いて、リビングへ。
 義之にとってこの家はまだ通い慣れたという程でもないのだが、学生時代からよく遊びに来ていたらしいミキにとっては『勝手知ったる他人の家』であるらしく、住人の先導があることを抜きにしても、先を歩く足取りに迷いがない。しかし、そんなミキや真哉よりも先に飛び出した影があった。

「おにいちゃん、おねえちゃん。こっちだよ〜っ」

 とてとて、と夕陽が茶色い髪を揺らして、跳ねるように先を走る。真哉が「転ぶなよ」と苦笑い混じりの注意を向けたがおそらく聞こえていないだろう。

「夕陽ちゃん、相変わらず元気だね」
「ですね」

 ミキの言葉に義之は頷く。本当に明るくて、元気で、無邪気だ。先を走る夕陽――その後ろ姿にふいにまひるの姿が重なって見えた。姉妹だから、似ていて当たり前なのだが。まるで生き写しのようにも思える。

「本当、まひるにそっくりです」

 捉えようによっては感傷的に聞こえるかもしれない言葉。しかし、義之の胸の中にはそういったしんみりとした思いはなく、聞いたミキも普段通りの口調で「そうだね」と返すだけだった。
 そうして廊下を抜けて、リビングに入ったところ、

「ミキちゃん、義之くん。いらっしゃい」

 先ほどの玄関での真哉や夕陽に負けず劣らずの満面の笑みが義之たちを出迎えてくれた。
 相変わらず年齢を感じさせない微笑みをたたえる小鳥遊亜沙の脇、リビングのテーブルにはクリスマスにふさわしい豪勢な料理が並んでいて、恐縮に感じて義之は頭を下げた。
 そんな義之の思いを読み取ったのか、真哉はこれみよがしに「さぁ、座って」とテーブルを示す。

「さぁって、こうして義之君とミキちゃんも来てくれたことだし、さっそく、パーティーをはじめよう。えーっと、シャンパンは……」
「はい。ここですよ」

 真哉が辺りを見渡すよりも早く亜沙がシャンパンのボトルを差し出す。ありがとう、と言って真哉は笑い、いえいえ、と亜沙も穏やかに微笑む。それだけでこの夫婦の仲の良さがうかがえて、なんとなく義之の中にあった気まずさが少しは晴れた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 そう言って義之が席につくと、一足先にその左隣の席に座っていた夕陽がにっこりと笑みを向けてきた。

「やった。おにいちゃんととなりだ〜」
「あはは。よろしくね、夕陽ちゃん」
「うん! よろしくおねがいしますっ」

 ぺこり、と頭を下げる夕陽。その姿に礼儀正しいなぁ、と感心する。

「夕陽。お兄ちゃんやミキお姉ちゃんが見てるんだからね。行儀よく食べましょうね」
「うん、おかあさん!」
「それじゃあ、こうしてみんなそろったことだし……メリー・クリスマス!」

 家主である真哉が号令を発し、それに従い、その場にいた全員が「メリー・クリスマス!」という言葉と共に、目の前に置かれたお箸を手に取る。続いて「いただきます」の合唱が響き渡ると、おのおのは盛りつけられた料理に向かって箸を伸ばす。

「うわぁ、久しぶりに食べるけど、やっぱり亜沙さんの料理はすごいです。すっごくおいしい〜」
「ミキちゃん、ありがとう。お世辞でもうれしいわ」
「いや、お世辞なんかじゃないですよ」

 ミキの口から出る賛美の言葉に亜沙は謙遜して笑っていたが、ミキの言葉が世辞などではないことは義之にはよくわかった。自分も少し料理には自信があったものの、そんな自信が打ち砕かれてしまうくらいに並べられた料理はどれも美味しかった。

「いや〜、本当に母さんの料理はいつ食べてもうまいな〜」
「おいしい〜」

 などと真哉と夕陽も上機嫌に笑い、その度に亜沙は謙遜してみせる。
 そんな和気藹々とした団欒の中、

「でも、本当によかったんですか」

 義之は気になったことを訊ねてみた。「ん?」と真哉の視線がこちらを向く。

「なにがだい?」
「いえ。俺なんかが家族のクリスマスパーティーにお邪魔しちゃって」

 商店街で自分をつかまえたミキ。先を歩く彼女の横に義之が並んだ時、彼女は言った。

「真哉さんと亜沙さんがこれから家でクリスマスパーティーをするから、よかったら義之くんにも来て欲しいって」

 その誘いを断ることもなく、こうしてここまで来て、席にまでついてしまったが、全くの赤の他人である自分がこの家の、小鳥遊家のクリスマスパーティーに混ざることに今更ながら気まずさを覚える。この家の住人である彼女が――まひるがいればそういう気まずさもなかったかもしれないが。

「何を言っているんだ、義之君」

 しかし、そんな義之を安心させるかのように真哉は笑みを浮かべた。

「お盆の時、君がまひると一緒にうちに来た時に言っただろう、いつでも家に来ていいって。君はまひるの彼氏なんだから、私たちにとっても家族同然なんだよ。たとえ、今この場にまひるがいなくてもね」
「真哉さん……」

 真哉の言葉に亜沙も頷く。

「そうですよ。遠慮なんてしないで。貴方も、もう小鳥遊家の一員なんですから。ミキちゃんと同じでね」

 小鳥遊夫婦は2人そろって、穏やかな微笑みをたたえていて、その言葉は本心からのものだと伺えた。

「参ったでしょ?」

 思わず言葉を失った義之に向けて、したり顔でミキが言う。

「これが小鳥遊家なんだよ、義之くん」

 その笑顔はまるで自分の家族のことを自慢するように誇らしげで。小鳥遊家の人たちが彼女を家族と思っているように、彼女もまたこの家の人たちのことを家族だと思っているのだな、と義之は思った。

「夕陽もお兄ちゃんたちが来てくれて嬉しいでしょ?」
「うん! おにいちゃんとおねえちゃんが来てくれて、すっごくうれしいよ!」
「そうだな、夕陽の言うとおり。今日のクリスマスパーティーに義之くんとミキちゃんが来てくれて私も母さんも、夕陽もとても嬉しい。
 たとえるのなら……商店街のスーパーで開催されたタイムセール! 激安の牛肉を求めて飛び出したものの、スタートダッシュに出遅れおばさんたちにもみくちゃ。これはもうだめだ〜、と思ってたどり着いたら丁度自分の目の前に1パック、残っていた! ……という時くらい嬉しいよ」

 俺とミキさんの価値は牛肉1パック分ですか。そんな突っ込みが口許からでかかったが、義之は苦笑いだけを返した。
 本場の主婦さんたちには負けるものの、義之もまた一般的な男子学生よりは買い物やセールといったことに親しい身。喜びがなんとなくわかってしまっただけに頭ごなしに突っ込めなかった。

「まぁ、そういうことだから、義之くんもミキちゃんも遠慮しないで楽しんでくれ」

 それだけを言うと真哉はお箸を動かし、盛りつけられた料理をぱくぱくと食べていく、その隣で亜沙が微笑みを向けてくる。

「さぁさぁ、おかわりはいっぱいありますからね」

 そう言って自分を見る彼女の瞳は間違いなく母親のもので。思わず義之は「はい」と返事をしていた。

「ふふ、義之くんが食べないなら、義之くんの分も私が食べちゃうよ? ねっ、夕陽ちゃん」
「うん! いっぱい食べる!」

 ミキの呼びかけに夕陽が弾んだ声を返し、そうして食卓は再び穏やかな雰囲気に包まれる。
 これが小鳥遊家。まひるの自慢で、まひるが大好きなお父さんとお母さん……か。義之の口許は自然とほころいでいた。

「それじゃ、遠慮なく……いただきます!」

 今度こそ。遠慮も何もなく、義之は目の前に並べられた料理の数々にお箸をのばした。


 イヴの夜は快晴だった。澄んだ夜空には雲一つなく、見上げる限り天然のプラネタリウムが広がっている。ホワイトクリスマスを期待していた人にとっては残念だろうが、星々の瞬きもまたそれに負けない価値がある。
 義之は空を見上げながら、一息をついた。寒空の下にあってもたしかな満腹感が熱となって身体中を巡っている。

「義之君、ミキちゃん。今日は本当にありがとう」

 振り返れば、玄関口に立つ真哉がそう言って、訪れた時と同様の笑顔を浮かべて見送ってくれている。隣には亜沙と夕陽も一緒だ。ミキがどういたしまして、と頷く隣で、気恥ずかしさに義之は「いえ」とかぶりをふった。

「ありがとう、ってそれはこっちの台詞ですよ、色々とご馳走になっちゃって」
「そんなことはないさ。君とミキちゃんが来てくれたおかげですごく楽しいクリスマスを過ごすことができた」

 真哉はそう言って義之とミキを見た後、なぁ、とばかりに妻と娘に目配せをする。母子はそろってよく似た穏やかな笑みと共に彼の言葉を肯定する。
 あれから、お言葉に甘えてお腹いっぱいになるまで料理を頬張り、ノンアルコールシャンパンを飲み、ケーキを食べて……。小鳥遊夫婦は「泊まっていくといい」とまで言ってくれたがさすがにそこまでは気が引けた。
 ミキもまた明日に仕事があるということで、泊まることはできないらしく、それなら自分も……と小鳥遊夫婦のありがたい申し出を断り、2人して家の玄関を出たところだ。

「またいつでも来てくださいね」
「ああ。君たちなら大歓迎だ」

 そう言う夫婦の顔はまひるによく似た穏やかな表情。「はい」と気恥ずかしさの籠もった返事をして義之とミキがその場を後にしようとした時だった。

「おにいちゃん! ちょっとまって!」

 声と共に夕陽が飛び出してきて義之の前に立つ。

「ねぇねぇ、おにいちゃん」
「ん? なんだい、夕陽ちゃん」
「わたし……ちょっと、おにいちゃんにききたいことがあるんだけど……いいかな?」
「聞きたいこと?」

 義之は笑みを浮かべて彼女を見た。夕陽は少し迷ったようなしぐさの後。

「おにいちゃんって、まひるおねえちゃんのカレシさんなんだよね?」

 そう言って、こちらを見上げてきた。

「あはは……カレシって、どこでそんな言葉を」
「おとうさんやミキおねえちゃんが言ってたよ」

 思わず視線が隣と後ろを向く。ミキは悪戯を見つけられた子供のように舌をぺろりと出し、真哉はあっはっは、と悪びれた風もなく笑った。

「まぁ、そうだね。彼氏だよ、俺は。まひるの……君のお姉さんの」

 苦笑する思いで義之が視界を戻すと、夕陽はまだ言い足りないことがあるのか、何かを言いたげにこちらを見上げ続けている。義之は腰を落として目線の高さを同じにすると「なにかな」と笑いかけた。

「えっと、えっとね……おにいちゃんとまひるおねえちゃんはコイビトどうしなんだよね?」
「一応ね。これでもまひるの彼氏のつもりだから」
「うん」

 そこまではわかっている、とでも言いたげな頷き。

「……でも、おとうさんやおかあさんは、おにいちゃんはまひるおねえちゃんとずっと一緒にいられないって言ってた。カレシでコイビトどうしなのに、どうして、おにいちゃんはまひるおねえちゃんとずっと一緒にいられないの?」

 同じ位置であわさった視線。こちらをじっと見つめてくる瞳は透き通るような無垢の色。ミキが気まずげに視線を横にそらし、後ろに立つ真哉たちが息を呑んだのが気配でわかった。彼らは「夕陽」とどちらともなく娘の名を呼び、会話を断ち切ろうとするが、

「大丈夫です」

 と義之はそれを制した。小鳥遊夫婦の真剣な表情を視界の端に一瞬とらえた後、夕陽の瞳を真正面から見据える。

「そっか、夕陽ちゃんは俺とまひるの関係が不思議なんだ」

 この幼い少女がどれだけの事情を知っているのかは、わからない。
 まひると自分の関係についてはお盆の時のお別れの後、ミキや小鳥遊夫婦に話をした。彼女は多分、毎年、帰ってくる。俺がそう望んでいるから……と。
 それに対して彼らは義之の選択をたたえることも責めることもなく、ただ事実だけを受け入れてくれた。今、目の前で自分に質問を投げかけている少女はそのことを両親から聞かされたのかもしれない。
 けれど、なんとなくこの少女は人から聞いたこと以上に現状を、自分とまひるのことを見通しているような気がした。
 お盆の時もそうだった。何の説明もなく目の前にあらわれたまひるを、初対面の人間を、姉とわかり、一緒に楽しく遊んで、そして翌朝のお別れの時も動揺した様子もなく、すべてを受け入れていたようだった。幼いから、だろうか?

「うん。だって、おかしいよ。コイビトはずっと一緒にいるものなんでしょ? ……なのに、どうしておにいちゃんとまひるおねえちゃんはずっと一緒にいられないの?」

 こんな風に物事の本質をとらえることができるのは。

「…………」

 本当、どうしてだろうな。自分でもそう思う。
 自嘲めいたことを義之は思うと、そうだな、と星空を見上げた。

「夕陽ちゃんは織姫さまと彦星さまのお話を知ってるかい?」

 間をおいて話し出した義之の言に知ってるよ、と夕陽は頷く。雲一つなく、視界を遮るもののない星空。しかし、この冬の季節。アルタイルとベガの姿をとらえることはできなかった。この季節は織姫と彦星は離れ離れだ。自分とまひると同じように。

「あのお話と似ているんだ、俺たち。俺とまひるは付き合ってる」
「うん。コイビトどうしなんだよね」
「ああ、恋人同士だ。俺にとってのまひるは彼女で、まひるにとっての俺は彼氏。お互いにお互いを好きでたまらない」

 相手が年端もいかない少女だからだろうか。普段は恥ずかしくて言えないようなこともすらすらと口をついて出た。

「けど、俺たちは一年で一回……お盆の間しか会えないんだ。神様が許してくれたのは一年の中でその数日間だけなんだよ」

 そう言うと夕陽はしゅん、と視線を落とした。

「そうなんだ……かわいそう……」

 太陽のように明るい笑顔も引っ込む。声からは元気が消え、くりっとした丸っこい瞳が微かに涙目になる。かわいそう。たしかに、そうかもしれない。義之はそう思いつつも、しかし、笑顔を浮かべた。

「そうかな? たしかに人から見れば……夕陽ちゃんから見れば、俺たちはかわいそうな関係かもしれない。でも、俺はそう思わない。むしろ、神様に感謝してるよ。本来はもう一生、永遠に会えなかったところを、一年に数日だけとはいえ、会わせてくれるんだから」

 俺がまひるのことを思い続けている限り、まひるはお盆の間、帰ってこられる。数日限りだけど毎年ごとに、一緒に会話したり、一緒にデートしたりできる。――そんな奇跡は、最初に別れたときにはありえなかったことだ。
 だから俺は、この奇跡に感謝する。

「そっか……。それじゃ、おにいちゃんもおねえちゃんも、シアワセなんだね」
「ああ、幸せだよ。まひるも多分、そう思ってると思う」

 そう信じたい。いや、信じられる。まひるもきっと、一年の内で数日しか出会えない自分たちの関係を恨んだり、悲しんだりすることはなく、その逆の感情。喜びと感謝をもって、この不可思議を受け入れてくれている、と。

「夕陽」

 真哉がやさしげな声で自分の娘を呼ぶ。おとうさん、と頷いた少女に義之は、

「もういいかな?」
「うん! ありがとう、おにいちゃん!」

 まひるによく似た笑顔で、少女は義之の言葉に頷くと、とてとてと、可愛らしく走り、両親のもとへと戻っていった。
 義之は立ち上がると、あらためて小鳥遊家の面々を見る。
 真哉さんに亜沙さんに夕陽ちゃん。こんなにもあたたかい家族と出会うことができた。そして、その団欒の中に入ることができた。すべては、まひるのおかげだ。

「それじゃあ、そろそろ失礼します。……今日は本当にありがとうございました」
「私もこれで。真哉さん、亜沙さん、夕陽ちゃん。さようなら」

 そう言って義之は頭を下げ、ミキは片手をひらひらと振る。

「ああ。2人とも、またいつでも来てくれ」
「美味しいお料理を作って、待ってますからね」
「おにいちゃん、おねえちゃん。またね〜!」

 あたたかい声に送られながら、今度こそ2人は小鳥遊家を後にした。雲ひとつない星空。夜だというのに月の煌めきに照らされた地表は妙に明るい。

「本当、いい人たちですね。まひるの家族は」

 横に並んで歩きながらそう言うと、隣でミキが楽しげに頷く。

「そうだね。あれだけ素敵な家族はなかなかないよね〜。ほんと、まひるがうらやましいよ。……ところで、義之くん」

 それまで真っ直ぐを向いたまま喋っていたミキがふいに義之の方を向いた。

「はい」
「さっき、夕陽ちゃんと話してたことだけど……」

 ああ、そのことか。義之は笑みを浮かべた。

「嘘じゃありませんよ。俺は今の境遇をうらんだりなんかしてませんから」

 その言葉と共にミキの視線に答える。ミキはそっか、とだけ呟くと、それっきり何も言わなくなった。そうして、夜道を歩き、お互いの家へと向かう道の分岐点に差し掛かった時。

「まひる、来年も帰ってくるかな」

 ぽつり、とミキが口を開く。

「ええ。多分……ですけど。まひるは帰ってきてくれます。俺がそうであってほしいと思っているから」

 根拠のない無茶苦茶な理論だと、自分でも思う。だけど、俺とまひるの関係は理屈でも理論でもない、とも同時に思う。ずっと、そうだった。最初に会った時も、お盆のときにまひるが帰ってきた時も。俺たちは理屈や理論の外で出会って、お互いに愛し合って、お互いを必要とした。だから、これから先も俺たちの関係が続く限り、そこにことわりは存在しないのだろう。

「そうだよね。きっと、そうだ」

 どれだけ義之が思ったことが彼女に伝わったかはわからない。しかし、ミキは笑顔を見せてくれた。

「来年の夏、まひると何して遊ぶか、ちゃーんと計画立てとかないとね」
「あはは、気が早いですよ。……まぁ、俺はなんでもいいですけど」
「どうして?」
「まひると一緒にいられるってだけで満足ですから」

 うわ〜、と見開かれたミキの瞳が「この、ばかっぷるめ!」と語っていた。

「……まったく、本人がいないときものろけまくられたらこっちの身が持たないってば」

 そんなことを頬をふくらませて言うと、ミキは再び笑みを浮かべる。

「それじゃ、またね、義之くん。真哉さんたちのところだけじゃなく、私の家にもいつでも遊びに来ていいから」
「はい。またまひるとの思い出話でも聞かせてください」
「ふふふ、それはちょっと高くつくよ〜」

 本気か冗談かわからないしたり顔に義之がぞっとしたものを覚えていると、なんてね、とミキは笑う。

「じゃあね、義之くん」

 そうして、手を振ってミキは自分の家の方へと去っていった。

「さて……」

 その後姿が夜の薄闇に溶け込んで見えなくなるまで見送ると、義之は自分の家に帰ろうと思い、踵をかえした。

「織姫と彦星みたいなもの、か……」

 先ほど夕陽に言った言葉が脳裏に反芻する。年に一度だけ会える仲。ただし、彼らが七夕の日にあうのと違い自分たちが出会えるのはお盆の時。ロマンチックといえばロマンチックで、歪といえば歪な自分と彼女の関係。だけど、そのことを恨むつもりも、不平不満をいうつもりもない。
 義之は顔を上げると、どこまでも広がる星空を眺めた。そうして、空を――否、それよりも上の場所に向かって声をかける。

「メリー・クリスマス、まひる」

 語りかけた声に答えるように、満天の星々が輝いていた。





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