「After X'mas」
「おかえりなさい」
聖夜。恋人同士の交わりを経て、午前零時も回った時間になり、ようやく芳乃家に帰ってきた義之とアイシアを出迎えたのは芳乃さくらの笑顔だった。
「た、ただいまです」
「さ、さくら……ただいま~」
あまりに遅すぎる時間の帰宅。そして、先ほどまで自分たちが学園でおこなっていた情事もあって義之もアイシアもどことなく後ろめたさを感じて、自然と声に勢いもなくなる。しかし、そんなよそよそしい二人を前にしてもさくらはやはり満面の笑顔のままだった。
最も、さくらの隣から顔を出した二人はそうではなかったが。
「随分遅かったですね、兄さん」
「弟くん。おっそ~い」
怒ったように頬を膨らませた姉と不機嫌度数MAXのジト目でこちらを見据える妹に義之は気圧された。
「なんでこんな時間にまで……」
次いで驚きの声がもれる。いくら徒歩1分未満で行き来できる家に住んでいるとはいえ、既に日付をまたいでいる時間だ。なぜ、ここにいるんだ、と義之がしどろもどろな口調で言うと、
「それは、もちろんクリスマスだからに決まってるよ」
姉は何故か胸を張って答えた。そんな音姫を横目にさくらが笑う。
「さっきまで音姫ちゃんや由夢ちゃん、それにお兄ちゃんとこっちでパーティーをしていたんだ」
「お爺ちゃんはかったるいって言ってさっさと帰っちゃいましたけどね……」
なるほど、そういうことか。さくらと由夢の話を聞き、義之は納得した。クリスマスパーティーを行っていたというのなら、普段ならとっくに家に、朝倉家の方に帰っている時間帯でも彼女たち姉妹がここにいることもわかる。しかし、だというのなら。
「けどさ今日はアイシアと一緒に過ごす、って言っておいたじゃないか」
そう。今日、クリスマスイヴの夜。義之とアイシアは二人きりの時間を過ごさせてもらうということで一応、みんなの合意をもらっていた。その裏でどれだけ熾烈な争奪戦が繰り広げられたか、義之は知るよしもないが、一応は二人の時間を認めてもらえたはずだった。
自分たちを抜きにして芳乃・朝倉家でパーティーを行っていたのがその証だろう。
「そうだよ! 今晩はあたしが義之くんを独占していいって、言ってくれたじゃない!」
同じ思いだったのかアイシアも義之の言葉に追従する。
「うーん、それはそうなんだけど……」
「……それにしても限度ってものがあります」
「そうだよ! 由夢ちゃんの言う通り。いくらなんでも帰りが遅すぎます、お姉ちゃんがどれだけ心配したか……」
「でもさ、音姉。俺もアイシアも子供じゃないんだから……」
しかし、朝倉姉妹もまた引かなかった。そんな不毛な言い争いをしていると、ふいにさくらが口を開く。
「音姫ちゃん、由夢ちゃん。遅くなるのはしょうがないよ」
一瞬、さくらが自分たちのことを庇ってくれるのだと義之は思った。しかし、それは間違いだった。
「2人とも若くてお盛んなんだからさ」
にやりといやらしく歪んだ瞳。義之とアイシアは思わず息を呑んだ。
「ほーんと、君たちって外でエッチするのが好きだよね」
ずばり、だった。いくら2人きりの時間とはいえ、アイシアと食事をして、アイシアの思い出話を聞いているだけでは、ここまで帰りが遅くなったりはしない。この人はどうしてそういうことを全て見通してくるのか。
ここまでざっくらばんに言い切られてしまっては何も言えない。義之が顔を赤くして俯く隣でアイシアは頬を朱色にそめながらも強い語気で返した。
「誰のせいよ! 家の中じゃ誰かさんたちの妨害があって義之くんとイチャイチャできないんだからしょうがないじゃない!」
「え……ホントに外でエッチしてきたの?」
目を瞬いたさくらに義之とアイシアは同時にハッとした。冗談、だった……?
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が芳乃家の玄関を支配する。さくらの言葉は全てを見透かしてのものだと思っていた。しかし、そうではなかったようで。
「うわー、ホントに外でしてきちゃったんだ……」
大いに呆れの混じった声と共に、さくらは目をぱちくりとさせている。どうやら、アイシアは言わなくてもいいことを言ってしまったようだ。
「弟くん……」
「兄さん、不潔です」
朝倉姉妹が絶対零度の視線を向けてくる。何も言い返せず義之もアイシアも押し黙った。
「……まぁ、二人ともお盛んなのはいいんだけど、控え目にね。なんたって、ボクはまだおばあちゃんにはなりたくないからね」
「そうですよ、アイシアさん! 私もまだ叔母さんにはなりたくないです!」
「そ、そんなこと言われても困るよ~」
二人して詰め寄られ、アイシアが悲鳴のような声をあげて、義之を見る。それにつられてさくらも音姫も、由夢も。義之に視線を向けた。
何故、俺を見る!? そう声をあげたくなったが、自分に視線を向けた面々はそんな悲鳴を望んでいるわけではないだろう。
「……ぜ、善処します」
自分でも情けないと思う声で答えると、絶対だよ、と音姫が念を押す。
「ホントにお願いだからね、弟くん」
「うん。いくらボクたちだって恋人同士のスキンシップを完全に否定したりはしないよ。けど、ね……」
「そうですね、さくらさん。ただお姉ちゃんとしては、その……そういうことをするにしても節度を持ってください、というだけです。家の中ならまだしもお外でなんて……」
恥ずかしげにぼそぼそと姉が言う言葉はわからないでもなかった。やっぱり家の中、ベッドの上ならともかくそれ以外の、外でやるっていうのは問題があるよな、と今更ながら自分たちの行為を反省する。
「わ、わかりました……今後は外でしたりはしません」
「よろしい♪」
かといって家の中でそういうこと――恋人同士のスキンシップをとろうとしても、アイシアが言ったとおり、かなりの確率でジャマが入るんだけどなぁ。そんな煮え切らない思いの義之をよそにこの話題はこれで終わり、と言わんばかりにさくらが金髪を揺らして踵を返す。
「それじゃあ、気を取り直して、みんなでケーキでも食べよっか。それだけは義之くんが帰ってくるまで待っておこうって残しておいたんだ」
そう言って居間に戻ろうとするその後ろ姿を見ていると、ふと義之の脳裏を過ぎることがあった。
(…………)
あれは、たしか一年前のクリスマスのこと。50年前の過去の世界を垣間見た夢か幻かもわからない不思議な体験。その中で彼女の姿をしたダレカは言っていた。
――この先の未来には彼女にとってつらいことがいっぱい待っている。
まるで未来の全てを見通しているように。未来の全てを知っているかのように。あの世界の中で眠り続けるさくらを見下ろして、ダレカはそう言っていた。
「…………」
「兄さん? どうしたんですか、ぼーっとしちゃって」
「ああ、いや……なんでもない」
由夢のぶっきらぼうな、それでも気遣いが感じられる言葉に意識が現実に引き戻される。見るとさくらも音姫も、アイシアも心配そうな視線を義之に向けていた。そんなに考えてこんでしまっていたのだろうか?
「義之くん?」
さくらが返した踵を再び返して、こちらに向かってくる。心配そうに向けられる碧い目になんでもないですよ、と言いながら、
「さくらさん」
義之は彼女の名を呼んだ。一年前。先にあるのは絶望だけだと告げられた彼女。しかし、
「今、幸せですか?」
脈絡も何もない、唐突な問いだとは自分でも思った。さくらは一瞬、何を言われたかわからないというようにキョトンとした顔をし、
「うん、ボクは幸せだよ」
けれど、それも刹那のことで、にっこりと花開いた満面の微笑みが返ってくる。この笑顔が無理をして演じている笑顔だとは義之には到底、思えなかった。かつてはどうだったからは知らない。けれど、少なくとも今は。
「まっ、聖なる夜に大事な息子を誰かさんにとられちゃったジェラシーはあるけどね。それよりどうしてそんなことを聞くのかな?」
「いえ……なんとなくです」
自分でも何を言っているのかよくわからない言葉。変に思われたかもしれない。しかし、さくらは不審がる様子もなく笑顔で、相変わらず見ているだけで、なんだか安心できる微笑みをたたえて、頷くだけだった。
「そっか。でも、ボクが不幸せなわけはないよ。だって、みんなが……義之くんがそばにいてくれるんだから」
そうして、ふいに金色の髪が揺れた、と思うと、さくらの身体が跳ねて、まっすぐに飛びついてくる。さくらは両腕を回して義之の腰を掴むと、ぎゅっと身体を押しつけてくる。アイシアと音姫が血相を変えたのは義之には見ずしてわかった。
「さくら!」
「さくらさん!」
「それじゃあ……本日の充電、開始しまーす!」
浴びせられる声にも構わずさくらは「充電、充電」と呟きながらほおずりをしてくる。その声も、横顔も、本当に幸せそうだと、義之は思った。
一年前のクリスマスにあった不思議な体験。記憶もおぼろな非現実的な世界での出来事。その中で自分はたしかに約束をした。あれが現実の出来事にせよ、夢の中の出来事にせよ、『約束をした』ということに違いはない。
その約束を自分は、今のところは果たせているようだ。そう思えるくらいには、自分に抱きついてきている彼女は幸せそうだった。
「そういう義之くんはどう?」
心の底から幸福を堪能して、噛み締めているような、喜色いっぱいの碧い瞳が見上げてくる。
「義之くんは幸せ?」
そんなことは考えるまでもないことだ。義之は間髪入れずに「ええ」と頷いた。
「俺は幸せです。……幸せすぎて困っちゃうくらい、幸せですね」
あの不思議な世界の中でさくらの姿をしたダレカは言った。この先には絶望の未来がある。この先には困難なことがいっぱいある。それがどういう意味かは未だによくわからない。
今はもうそんな絶望や困難を乗り越えた後なのかもしれないし、まだこれから先にそういったものが襲いかかってくるのかもしれない。だけど、一つだけ信じていることはある。
「もー、さくら! いい加減、義之くんから離れてよ!」
「芳乃さくらはただいま充電中でーす。充電完了するまではなれませーん」
「兄さんは兄さんで思いっきり鼻の下をのばしてますね」
目の前で繰り広げられる相変わらずの喧騒。騒がしい今。騒がしい家族。
俺には家族がいる。毎日が騒がしくて、大変だけど。みんな大切な家族だ。一緒にいるだけで安心できて、心があったくなる。『幸せ』という感情を何よりも強く実感できる。だから、みんなが――――家族が一緒ならどんなことだって乗り越えられる。
「100ぱーせんとの充電完了~。でも、義之くんは離しませ~ん」
「なによそれ! ああ、もう、さくらになんかかまうもんか! えい!」
「あ! アイシアさんまで! じゃあ……私も!」
「お姉ちゃん……アイシアさん……」
「ちょっと待った! 3人同時は無……うわあああ!」
泣いても笑っても、どんなに昨日が懐かしくても、明日はやってくる。
それなら、この家族と一緒に明日を歩いて行こう。笑顔で先に向かって歩いていこう。
家中に響く喧騒と全身に押し寄せてくる重みに家族のあたたかさを感じながら、義之はそう思った。
