秋風のもとで



 いつの時代も汁物というものは食卓に欠かせない。
 主食となる真っ白いご飯に、たんぱく質や油分が溢れて食欲をそそる主菜、ビタミン・ミネラルの補充にはかかせない野菜中心の健康的な副菜と並べて、最後に汁物をそえてこそ日本の食卓だ。
 その汁物――最後に残しておいた味噌汁をすすり終えると義之は満足して空になった汁椀を机に置いた。それを契機に、机を挟んで対面、向かい側に座った由夢がじっと視線を向けてくる。
 注視、という表現がふさわしい。その瞳はまるで進級がかかったテストの答案と向かい合っているかのように真剣そのもので、張り詰めすぎだ、と義之は内心で苦笑する。味噌汁を食べ終わる前も、自分の食事に手をつけることも忘れて彼女はおずおずと義之に視線を向けてきていた。
 どうですか?
 張り詰めた瞳から放たれる無言の問いかけに義之は多少、呆れながらも、素直な感想を返した。

「ああ、美味かったよ。合格だ」

 そう言うと緊張にかたまっていた由夢の表情がぱぁっと明るくなる。伸ばしきっていた緊張の糸は一気に緩み、どことなく得意げに笑みさえ浮かべている。
 その理由は簡単なこと。食卓に並んでいて今、義之が堪能したばかりの味噌汁は由夢が作ったものだからだ。
 かつてはおにぎり1つで人をノックアウトさせ、凝った料理を作ろうとすれば異形の前衛芸術ができあがっていた由夢だったが、義之の教えもあり、今や簡単なメニューなら安心して任せられるくらいには料理の腕前は上達していた。由夢が連日芳乃家に入り浸っていることもあり、夕食の用意もよく手伝って貰っている。(義之や音姫が半分以上作った料理でも何故か「私の料理」と言い張り、普段から「今夜も兄さんにご飯作ってあげるね」などと自慢気に言い張るのはどうかと思うが。)
 そして、今日の朝ご飯(起きる時間が遅かったので半ば昼食も兼ねている)においては昨晩の残りを利用して義之が主菜と副菜を用意し、味噌汁を彼女に任せたのである。
 味噌汁は残り物はなく、由夢は一から作ることになったわけだが、その味に関しては文句なしといっていい。

「お味噌汁に関しては兄さんのお墨付きをもらった、って解釈していいんだよね」
「ああ。俺如きので良ければ、だが」
「充分だよ」

 素直に「えへへ……」とふやけた笑みを見せる由夢。そこまで嬉しいことかね、とも思うがやはり苦手にしていたものを克服できていっているのは嬉しいのだろう。

「俺の見立てだともう味噌汁は免許皆伝だな。俺が教える事は何もないよ」
「そっかぁ」

 ひとしきり喜び終えたのか、由夢は残っていた分の自分の味噌汁に口をつけると、

「……でも、まだまだお姉ちゃんにはかなわないなぁ」

 と、少しだけ悔しそうに呟く。なんと答えていいものか言葉につまった挙げ句、義之は「そりゃ……まぁ」と言葉を濁した。
 休日の今日も朝から生徒会の仕事――音姉にとっては生徒会最後の仕事になる秋の文化祭が近いこともありそれ関連の仕事で忙しいらしい――で学園に出掛けている姉の姿を脳裏に思い浮かべる。こと料理に関しては(勿論、料理以外も凄いのだが)由夢はもとより義之でも未だにあの姉にはかなわない。料理の道においては昔から長らく自分の前をゆく超えるべき壁であった。
 とはいえ、競い合うことが悪いことだとは思わないが、比較してばかりいるのもナンセンスだ。

「ま、流石に音姉にはかなわないかもしれないけど、由夢の料理も、もう充分なものだって」
「そうかな?」
「ああ」

 義之の言葉に気を良くしたのか「そっか」と由夢は再びふやけた笑みを見せる。
 そうして会話に一区切りがついた後、

「ところで兄さん。今日、お昼から予定ある?」

 本人としてはさり気なく言っているつもりなのであろうが、気になって仕方がないといった様子が見え見えだった。
 昔と比べれば遥かに素直になった妹君だが、こういうところはやはり素直ではない。……いや、単に照れ隠しなだけか。
 義之はそんな妹を微笑ましく思いながら「特に何も」と自身もまた素っ気なく返す。今日は休日で学園に行く必要はないし、誰かと遊ぶの約束をしているわけでもない。
 義之の言葉に由夢は見るからに顔を喜色に染めて、

「それじゃあさ、私と一緒に買い物とか、どうかな?」

 『妹』ではなく『恋人』としての顔でデートの提案をした。




「早く着すぎたかな?」

 休日ということもあり、風見下商店街は人混みでごったがえしていた。単なる買い物に来た人も多いのであろうが、カップルの姿も結構目に付く。初音島の中ではやはりこの商店街は絶好のデートスポットでもあるのだろう。
 見上げてみれば青い空。抜けるような晴天が彼方まで広がっている。外で何かをするのならばまさしく絶好のロケーションだ。

(それにしてもなんでこんな面倒臭いことやってるんだろうなぁ)

 晴天を見上げながら、義之は苦笑いした。
 由夢とデートに行く。そこまではいい。自分たちは兄妹であるが、それ以上に恋人でもある。たまの休日、恋人2人が遊びにいくのはいたって普通なことだろう。しかし、奇妙なのはこうして『待ち合わせ』をしているところだ。
 義之と由夢の家は隣同士の上に、由夢は半居候のように芳乃家に入り浸っている身だ。デートに行きたいというのなら2人一緒に出発すればいいのではないかと義之は思うのだが、「全然違うよ」だの「ムードがない」だの「こういうのは形式が大事なんです」等々、由夢に力説された結果、時間を決めて一旦、別れてお互いの家から出発し、現地で待ち合わせをしようというなんともちぐはぐなことをするハメになっていた。

(そりゃ俺もこういったシチュエーションに憧れないことはないけど)

 変わらぬ青を示し続ける空を見飽きて、視線を落とす。すると、義之の耳に聞き慣れた声が響いた。

「ごめんね、兄さん。待った?」

 視線を向けると、息を切らせた由夢がそこにはいた。たしかに自分より遅くには到着したが、それでも約束の時間まではまだ余裕がある。別に走る程のことでもないだろう、と思うが、それだけこのデートを楽しみにしていたのだろう。

「別に待ってないさ」

 義之が気楽な口調で返すと「ならいいんだけど……」と由夢は気まずさを引っ込めて笑みを浮かべた。
 そうして由夢が義之の隣に並ぶ。義之の右側に立った由夢は体をさらに密着させて、義之の右腕に自分の腕をからめて胸元に引っ張ってくる。腕が感じ取るやわらかくてふんわりとした胸の感触。兄妹ではない恋人同士の距離。
 義之としては少し気恥ずかしい。しかし、由夢はこの体勢が好きなのようで、ふたりきりとあれば常にこの状態でいようとする。それがたとえ学園の帰り道で同級生達に見られる可能性がある場所であっても変わらないのは義之にとっては少し悩み所だった。
 「それじゃ、行くか」と義之は促すように呟くと、由夢が苦にならないように自分ひとりの時より少し速度を落として歩き出す。由夢と一緒に歩く時の、いつもの速度。

「買い物っていうけど、何か欲しい物とかあるのか?」

 義之の問いに由夢は一瞬、言葉に詰まり、

「えっと……特にそういったものはないんだよね」

 少しだけ気まずそうに告げた。

「これといって欲しいなー、って思うものはないんだけど、あちこち回ってみて、良さそうなものがあったら買っちゃおうかなぁ、って」
「なるほど」

 義之は相槌を打った。目的は特になし。強いてあげるならば愛しい人とふたりきりで色んなところを出回りたい、ということか。それならば。

「オッケー。それじゃあちこち見て回ろうぜ。ゆったり、まったり、な」

 笑みを浮かべて義之が言うと由夢もまた満面の笑みで「はい、兄さん」と頷いた。



 それからは2人で商店街を散策した。
 残暑の熱もいい加減なりをひそめ、秋の訪れを感じさせる冷たい風が吹き抜ける。微かに肌寒い感じはあるものの、お日様が高い位置にある今の時間帯は気温は寒すぎるということもなく、秋の一日の心地の良い気候の中。特に目的もなく、他愛もない話をしながらあちこちをぶらぶら回るのもなかなか楽しいものだった。
 主に服屋を中心にした色んな店に入り、店内やショーウィンドゥに飾られている商品を見て「わ〜」だの「これもいい感じ」などとはしゃいで一々反応する由夢だったが、サイフに手を伸ばすことはなく、どの店も見るだけか、少し手に取る限りで終わってしまう。
 ウィンドゥショッピングとはこういうものだ、ということはわかっているが相変わらず義之にはいまいち慣れることができない。が、楽しそうに店から店へと渡り歩く由夢を見ているとそんな思いを外に出す気にはならなかった。
 ――まぁ、由夢が楽しそうだからいいか。そう思うと納得できてしまう自分がいて、我ながら単純だと思う。
 そして何件目かの店。そこにある服を見つけて、由夢の顔色が変わった。

「あ……」

 彼女の視線がそそがれているのはお洒落な英国風のトレンチコートだった。膝の下まで裾がのびた長外套。カラーは雪のようなホワイトで、シックな装いを見せている。これからどんどん寒くなってくるであろう時期にぴったりの代物だ。

「ねっ、兄さん。あれいい感じじゃない?」

 同意を求める視線がこちらを向く。義之は「そうだなぁ」と相槌を打った。
 義之としてはこれもウィンドゥショッピングの一環。いい感じだ、綺麗だ、と言いながらも結局、購入するまでは至らないパターンだと思っていた。しかし、その予想は外れることになる。
 コートを眺めながら「試着してみようかな」と由夢が言い出したからだ。

「ちょっとだけ待ってもらっていいかな?」

 かけられていたコートを手に取りながら、由夢がそう言う。彼女と連れ立って買い物をしている彼氏としては断るはずもなく、「おう」と軽い調子で返事をした。
 そうして、そのコートを手に、試着室の中に入ってからしばらく。カーテンを開いて、姿を見せた由夢はいつもとは一味違う魅力に包まれていた。

「おお……」

 思わず口から声がもれる。
 由夢は少しだけ気恥ずかしそうに頬を赤らめた後、「ど、どうかな……?」と訊ねてくる。義之は思った通りのことを口にした。

「よく似合ってるぞ、由夢」
「本当?」
「本当だって。なんていうか、その、すごく大人っぽく見える」

 恋人、という立場にありながらも今だ義之の中では由夢は妹、子供という印象が強くぬぐえないでいたのだが、シックなトレンチコートで身をかためた由夢の姿は落ち着いた魅力を身にまとっており、とても大人びて見えた。

「私、大人っぽい?」
「ああ。なんつーか、見違えたな」
「えへへ……そっか」

 由夢は照れくさそうに笑みを浮かべた。

「それじゃあ、これ買っちゃおうかな」
「いいのか? もうちょっと色々吟味しなくても?」

 値札は見ていないがおそらくあまり安いものでもないだろう、そんなに簡単に決めてしまっていいのだろうか。義之が口にすると、由夢は視線をこちらに振り向け、

「兄さんのお墨付きがもらえたのなら、私にとってはそれだけで充分だよ」

 笑顔でそう言った。



 店員からのありがとうございました、の声を背中に受けながら二人して店外へ出る。相当、満足のいく買い物だったのだろう。由夢は見るからにご機嫌そうだった。

「〜〜〜♪」

 スキップするように軽快な足取りで先を進む由夢の後ろ姿を微笑ましく見つめる。
 ちなみに件のコートが入った買い物袋は義之の腕につるされている。恋人の関係になる前から彼女の買い物に付き合わされた時にはこうして荷物持ちをしていたのだから、正式に付き合い出すようになった今、荷物持ちをするのもある意味必然の流れだった。

「んで、次はどこに行くよ?」

 義之が言うと、由夢はこちらを振り向いた。

「ん〜、どこへ行くって言われても私の買い物はもう終わっちゃったし……兄さんの好きなところでいいよ」
「俺の好きなところ?」
「うん」

 由夢は頷くと、とてとてと義之の側までやって来て再び腕を――袋を持っているのとは別の方に――からめてくる。義之は考えた。俺の好きなところ、ね。

「そう言われてもなぁ」

 元より無趣味の身である。そう言われてパッと思いつくはずもない。どうしたものかと悩み、どこかいいところはないものかと辺りを見渡した時、「兄さん」と声が耳朶を打つ。

「どうした?」
「…………」

 問いかけるも、由夢は答えず、なんだろう? と義之が首を傾げかけた時、つい、と彼女の指がどこかを指していた。彼女の指先を視線で追うと、そこには一軒のゲームセンターがあった。
 そのゲームセンターは巨大なもので四階建ての構成をしている。各階層ごとに置かれているゲームの種類が違って主に男性向けの格闘ゲームやシューティングゲームの類が並んでいるフロアもあれば、ぬいぐるみなどが大量に置かれたクレーンゲーム等が並んでいる階層もある。健全な男子学生である義之としては学園の帰り道などに渉たちと一緒に行くこともよくあり、通い慣れた場所である。
 しかし、義之にとっては通い慣れた場所でも、由夢とってはどうか。由夢とゲームセンターという2つの単語がいまいち結びつかず義之は少し困惑した。

「ゲーセン? お前、ゲームとかやるの?」
「や、そういうわけじゃないけど……」

 義之の言葉に由夢は少し慌てて首を振った挙げ句、「……こういうところにはあるんでしょ?」と絞り出すように小さな言った。

「何が?」

 主語が不明瞭なその言葉に義之としてはこう返すしかない。そんな義之の返事に由夢は「もう」と少し不機嫌そうに呟く。

「いいから、いこうよ。ほらっ」
「お、おう」

 そうして由夢に引っ張られるような形で義之はゲームセンターの中に足を踏み入れた。
自動ドアをくぐると雑多な喧騒が義之達を出迎える。それぞれのゲーム機が発するBGMやSE、そこにいる人々の談笑の声。そういったものが何重にも重なりあってゲーセン独自の空気を形成している。

「すごい……賑やかだね」

 由夢は半ば呆然として呟く。自分から入った癖に明らかに圧倒された様子の由夢に「ゲーセンだからな」と義之は返した。

「それで、どうするんだ? 対戦ゲームでもすんの?」

 渉とならともかく、由夢と2人でゲームで対戦というのは全くイメージできないことだった。しかし、義之の声など聞こえていないかのように由夢はきょろきょろとゲーセンの中を見回している。それは何かを探しているようにも見えた。

「ん? 何を探して……」

 そこまできて、そうやく義之にも由夢が何を求めてここに来たのか察することができた。ゲーセンにあるもので、それでいて、恋人の関係にある2人にふさわしいもの。
 義之がそのことに気付いたのとほぼ同じタイミングで由夢も目当てのものを見つけたらしく明るい声が響いた。

「兄さん、2階だって。いこうよっ」

 由夢の指差した先には階層ごとに置かれたゲーム機のラインナップが書かれており、その2階のところにお目当ての機器の名前があった。
 ――2階、ビデオゲームコーナー&プリクラコーナー。



 そこは渉と2人で遊びに来る分には到底、立ち寄るはずもない場所だった。
 男2人で顔寄せ合ってプリクラ、なんてことは想像するだけで身の毛もよだつ行為だし、何より、このゲーセンのプリクラコーナーは基本男子禁制なのである。
 義之や渉がよく利用する格闘ゲームなどが並んだコーナーとは同じ階層にありながらもきっちり区切られ、『女性同伴以外での男性の方の入場はお断りします』とご丁寧に立て看板に書いてあるのだ。
 つまるところここは女子の仲良しグループたちか、あるいは。

「…………」
「…………」

 自分たちのようなカップル専用の場所ということになる。
 成る程。ターゲットがターゲットだけあり、このエリアはゲーセンの中でも特にきらびやかで、派手派手な装飾だった。女子好みしようなピンク系統の彩色が施され、その場にいるだけでくらくらしてきそうだ。
 このエリアに足を踏み入れてから由夢の口数は妙に少なかった。

「お前、こういったところあまり来たことねえの?」

 水を向ける目的で問いかけると、こくり、と由夢が微かに頭を動かして返事する。

「友達と一緒にとかでも?」
「……うん。私はあんまりこういったところは好きじゃないから」

 まぁ、たしかにここまで派手派手したところはあまり好きではなさそうだ。
 学園では猫を被って優等生を演じている分、こういうところに誘われる機会自体もあまりなかったのだろう。

「で、でも……恋人同士だと普通はこういうところにも来るんだよね?」

 頬を赤らめながらの由夢の言葉に義之もまた自分の頬がカッと赤くなることを感じた。

「そ、そうだなっ、多分」

 声が上擦る。普通は、なんて聞かれても、自分が女性と交際関係になったのは今回が初めてだ。なにが普通で、普通じゃないのか、なんて判断を任されても困るが、一般的なイメージとして恋人同士でプリクラというのはそこまでおかしいことだとも思わなかった。

「ま、まぁ……来たからにはさっさと撮っちまおうぜ。……どれにする?」

 義之はコーナーの中に立ち並ぶプリクラ機の数々を示した。色々種類があるみたいだが、正直なところ義之には全部一緒に見える。機種ごとにどういう違いがあるのか、さっぱりわからない。どの機種にするかの選択を由夢に任せた理由もそれだった。
 が、困惑したのは由夢も同じだったようだ。視線を右往左往させた挙げ句、

「そ、それじゃあアレで……」

 ゆっくりと指を向ける。その先にはやはり他との違いがよくわからないプリクラ台が――とそこまで考えてはたと気付く。その台には他と比べて1つだけ、こういったことに疎い義之でもハッキリと見出せる違いがあった。
 そのプリクラ台にはこんな一文が書かれてあった。

『カップル様専用』

 ゆるゆるの字体で書かれたその恥ずかしい一文の周りには小さなハートマークがいっぱい踊っている。
 義之は一瞬、息が詰まったように沈黙し、

「…………カップル専用って他の台とどう違うんだろうなぁ」

 ごく当たり前の疑問を口にした。一見したところ周りの普通のプリクラ台との違いを見出すことはできない。

「そ、そんなこと私に言われてもわからないよ!」

 由夢もさっぱりなのだろう。それでいてあんな文字が書かれたところに入るということがどういうことかは自覚しているのか恥ずかしげな声が返ってくる。

「で、でも、私と兄さんは、ほら……付き合ってるんだし。それなら……あそこかなぁって」

 カップル専用台を目線で示しながら由夢が言う。義之は「まぁ」と頷いた。『カップル専用』。その台を使うに相応しい資格は自分たちにはある。だからといって身に宿る羞恥心と折り合いをつけられるかはまた別の問題ではあるのだが。

「…………」

 義之は注意深く辺りを見渡した。『カップル様専用』なんて銘打たれたところに入っていくのを学園の連中に見られでもしたらなんてからかわれるかわかったものではない。基本、男子禁制だから渉や杉並は大丈夫として杏や茜、ななかの姿は――――。

「……よし。いないな」
「兄さん? どうしたの?」

 不思議そうに首を傾げた由夢に「いや、別に」と返す。自分の見る限り、このあたりに知り合いの姿はない。大丈夫だ。

「んじゃ、行くか」
「……うん」

 まだプリクラ機の中に入る前だというのに、既に2人して頬は真っ赤だった。
 やがて、どちらともなく、のれんをくぐって中に入る。内装は一見してみると証明写真などを撮る機械と似通っていたがフレームの中に収まる人数を考慮してか間取りはやや大きい。

「えっと、まずはお金を入れて、と」

 コインを投入する。これですぐに撮影がはじまるのかと思ったのだが、

「ん? なんだこりゃ」
「フレームを選ぶみたいですね」

 由夢の言葉通り、画面には様々な種類のフレームが並んでいた。好きな枠で写真を撮れる、というわけか。
 画面に並んでいるのはユーザー層を考慮してか、どれもファンシーなフレームで無骨なものはない。多種多様なフレームを前にどれにしようかと義之は迷った。

「由夢、どれがいい?」

 結局、再び由夢に決断をパスする。

「…………」

 由夢は恥ずかしげにうつむきながらも、画面を操作して、

「ハ、ハートマークッ!?」

 ファンシーなフレームの中でも一際異彩を放っているハートマークを象ったフレームにあわせてボタンを押した。義之の上擦った声に由夢がびくり、と反応する。

「だ、だめかな?」
「い、いや……だめってことはないけど……」

 少しばかり恥ずかしすぎるような。

「これがいいのか?」
「う、うん……」

 義之の問いかけに由夢はしおらしく頷く。そんな態度を取られたら何も言えなくなってしまう。

「ほ、ほら、兄さん……撮影はじまるよ」

 気付いてみれば画面の中では撮影までのカウントダウンを開始している。

「あ、ああ」

 由夢の声に頷く。こうなっては仕方がない。ハートのフレームで自分たちを撮影しようとしているカメラに自分たちの仲の良さ――ラブラブぶりを見せつけてやる。そう思い、カメラの前、由夢との距離を詰める。

「それじゃ、由夢、撮るぞ」
「はい……兄さん」

 そうしてふたりして顔をくっつけ合う。相変わらずこいつ、いい匂いしてるな。そんなことを義之が思った瞬間、一瞬の閃光と共にぱしゃり、という小気味の良い音がプリクラ台の中にこだました。




「……こいつら、バカップルだ」

 思わずそう呟いてしまう程、ハートマークに囲まれて写っているふたりの男女は本当に幸せそうな笑顔を浮かべていた。

「こいつらって……自分たちだよ、それ」

 苦笑している由夢の頬もまた微かに赤らんでいる。その手には義之の手元にあるものと同じプリクラ。排出された分を備え付けられていたハサミで半分こにしたのだ。

「こんなもん杏たちに見つかった日にはなんて言われることやら」

 ひらひら、とプリクラを振りながら義之もまた苦笑を返事にした。
 ゲームセンターを出てから場所を移し、現在地は桜公園。学園の帰りなど、由夢とふたりきりの時はよく来る定番の場所だ。

「だからって捨てちゃったりしないよね?」

 隣を歩く由夢が少しだけ不安げな視線を寄越す。

「バカ言え、誰が捨てるかっての」

 こいつはおそろしく恥ずかしいものだが、だからといってゴミ箱になど到底送れる代物ではない。

「大切に保管させてもらうさ」
「うん。私も大切にする」

 義之の言葉に由夢は、はにかんだ笑みを浮かべる。それはプリクラの中と同じ、いやそれ以上に幸せそうな微笑み。彼女のそんな微笑みを見ては、悪い気分になるはずもなく、自然と義之の口許も笑みの形に変わっていた。

「それにしても早くもっと寒くならないかなぁ」
「なんでだ?」
「だって、寒くなったらコートが着れるでしょ?」

 由夢の手が絡まっていない方の義之の腕につり下げられた紙袋を視線で示しながら由夢が言う。

「兄さんのお墨付きがもらえたコートなんだもん。早く着てみたいんだ」
「ああ、そういうことか」
「うんっ。寒くなったら毎日だって着ちゃうよ」

 そんな風にふたりして他愛のない話をしながら桜公園を適当に遊歩する。少し歩き疲れた頃、適当なベンチを見つけてはそこにふたりで座った。肩を並べて同じ景色を眺める。
 枯れない桜が枯れてしまってからこの公園のシンボルであった満開の桜の花は春にしか見られなくなってしまったが、だからといってこの公園の魅力が全て消えて無くなってしまったわけではない。春夏秋冬、変わりゆく自然を愛でるのもまた一興というものだった。

「兄さん」
「なんだ?」
「少し、肩貸してもらってもいいかな?」

 勿論、と頷く。由夢はその頭を義之の肩に寄りかからせてきた。自然と義之もまた由夢の後ろに自分の腕をまわして彼女を抱き寄せる。こうしていれば、時折吹き抜ける冷たい秋風も気にならない。

「……兄さん」
「ん?」

 さっきのプリクラを撮った時以上に密着したふたりの距離。お互いの息づかいはおろか、鼓動までもが聞こえてくるかのよう。大切な人が側に居る。こうしてお互いの存在をぬくもりを感じあうことができる。それはとても――。

「私、こうして兄さんの側にいると、幸せだなーって思うんだ」
「……ああ。俺もお前の側にいると幸せだって思うよ」

 沈み行く太陽によって赤く染められた秋の空にふたりの声が響いた。




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