「Lingerie」
「義之、義之……」
耳元でくすぐったい声が響く。
その声は夢の中に沈んでいた義之の意識を刺激した。
「ん……むにゃ」
義之の口から発せられるのは意味をなさない声。夢の世界の中から現実の世界へと意識を浮上させるには後一歩足りない。
「義之……」
ささやかれる声がどことなく甘美な響きをおびる。
「もう。仕方がない人ね。起きないと…………キスするわよ?」
!
その一声は義之の意識を夢の世界から一気に引きずりあげた。
が。
「すー、すー……」
義之は机に突っ伏した体を動かすことがなかった。当然だ。動かす理由がない。そんな義之を先ほどからの声の主――雪村杏は少し困った風に見つめ、
「狸寝入りでしょ?」
「…………やっぱ、わかる?」
「ええ」
貴方のことはなんでもお見通しよ、と言わんばかりの声。だるそうに突っ伏した体を起こしてみればそこには杏のくすり、とした不敵な笑みがある。
いつからだろう。この笑みを愛おしいと思うようになったのは。
「ふあ〜あ……よく寝た」
今度こそ完全に目が覚めた。強張った体をほぐすため椅子に座ったままのびをするとあらためて視線を杏に戻した。
「んー、今何時だ?」
寝起き直後ということもあって頭が少しぼやけている。そう言いながら義之はいまいちはっきりしない記憶をたどった。たしか6時間目の授業を受けているところまでは記憶にある。そして今、クラスの違う杏が自分の目の前にいるということは……。
「放課後よ」
ああ、やっぱりそうか、と思った。どうやら6時間目はおろかその後のホームルームまでしっかり熟睡してしまったようだ。
「義之くん、ほんっと幸せそうな顔して寝てるんだもんね〜」
と、声をかけてきたのは義之と同じクラスの白河ななかだ。付属時代は彼女と同じクラスになる機会に恵まれなかったが、本校一年になった今はクラスメイトの立場にある。
ななかの言に「そうか?」と返しながらも義之は席を立つ。杏がここまで自分を迎えに来たということは一緒に帰ろうということなのだろう。義之の家と杏の家の方向は逆だが、帰り途中に商店街に寄ってみたり、どちらかの家に遊びに行ったりやれることは沢山ある。なら、教室の中で時間を潰しておくのは勿体ない。一刻も早く杏とふたりっきりになりたい。
「それにしてもわざわざこっちの教室にまで迎えに来るなんて義之くんたち相変わらずラッブラブだね♪」
ななかがからかうような口調で言う。
「別に、これくらいは普通だろ」
「そうね。私たちにとってはこれくらいのことは当たり前のことよ」
義之の言葉は若干の照れ隠しを含んだものだったが杏の言葉の真意はわからない。とはいえ、クラスが違う以上、一緒に帰路につこうと思えばどこかで合流する必要がある。一方がもう一方の教室まで迎えに行くことはそう不自然なことではないはずだ。……まぁ、昇降口や正門で待ち合わせをする方が自然な行為なのかもしれないが。
義之がそんなことを思っていると、
「それに、ラブラブっていうのはこういうことを言うのよ」
杏が義之の左腕に自分の両腕を絡めてきた。体ごともたれかかるように義之にその身を寄せる。わ、とななかが声をもらす。突然のことに義之も困惑し「おい、杏」と声が出る。こうしてくっつくことなんてこれまで幾度となくやってきたことではあるが、それが教室の中となると話が違う。ななか以外にも他のクラスメイトの視線が自分たちに集中することを義之は感じた。
だが、当の杏は別段何も気にした様子はなくいつもの不敵な笑みを浮かべている。
「ふふふ……ねぇ、義之」
「なんだよ?」
「キスして、いい?」
甘い声でそんなことをささやく。
「起きないとキスするんだろ? 俺はもう起きてるぞ」
先ほど、義之の意識がまだ夢の中にあった時に言われた言葉を思い出す。あの時は意識も半分眠っているようなもので杏がキスしてくれる、ということを単純に嬉しいと思いキスしてほしいと思ったが、完全に意識が覚醒している今となっては話が違う。
ただでさえ教室中の注目を集めているのにこの上でキスなんてしたらどうなることやら。
「それなら起きたご褒美ってことで」
「勘弁してくれ……」
義之が辟易していると杏は再びくすり、と笑い、
「それじゃあここでのキスは我慢してあげるその代わり……」
「その代わり……?」
いったい何を言い出されるんだろう。こういう時の杏は何かとんでもないことを言い出しそうでおそろしい。
しかし、そんな義之の心配とは裏腹に杏の口から出たのはありふれたことだった。
「帰り道、買いたいものがあるの。ちょっと買い物につきあってちょうだい」
「買い物? それだけでいいのか?」
「ええ」
拍子抜けする。どんなことを交換条件に持ってくるのかと思ったら一緒に買い物だなんて。そんなことこれまでの学園帰りやデートの時に何度もしてきたことだ。
「オッケー、それくらいならいくらでも付き合うぜ」
「ええ。……それとここではキスしないけど、帰り道でするから」
「はは、そっちもオッケーだ」
杏の笑顔に義之もまた笑顔を返す。
「あーあ、ごちそうさま、ごちそうさま。全く見せつけてくれちゃって、ほんとにラブラブなんだから……」
そんな二人を前にななかが呆れるようにそう呟いた。

いつもと変わらないただの買い物。
何の変哲もないただの買い物。
気楽なただの買い物。
そう思っていた義之は自分の考えが甘かったことを痛感していた。
あれから二人そろって教室を出て学園の外で軽い口付け(勿論、周囲に人気がないのを確認してから)をした後、商店街までやってきたはいいが、そこから杏に先導されてたどり着いた場所は義之の予想の範疇外の場所だった。
店内は明るい色調で統一されている。
暖色系のカラーで塗られた壁。天井からつり下げられた電灯に照らされる商品もまた色とりどりのカラフルな姿を見せている。あるものは青、あるものは赤、あるものは緑。形状はほとんど変わらないものの色合いの違いが商品によって全く違った印象を与えてくる。その中の一つを手に取った杏はんー、と少し悩むような仕草を見せた。
「義之、これ私に似合うと思う?」
「……わかるか、そんなもん」
杏が手にしているモノ。ピンクのブラジャーを前に義之は唸ることしかできなかった。
義之の答えにそう、と杏は平坦な声で呟き次の商品を物色し始める。
そう。
店の中に置かれているのは色合いやデザインの違いこそあれどすべてが女性用下着――ブラジャーやパンティーだ。
ランジェリーショップ。
この店を分類するのなら十人中十人がそう言うだろう。
杏が言った買いたい物。こともあろうにそれは下着であった。
途上、義之が杏に「何を買うんだ?」とたずねても杏は言葉を濁すばかりだったので、実際にこの店の前まで来た時点で初めて知ったことであるが。
何故、よりにもよって下着なのか。何故、そんな買い物に男の自分を付き合わせるのか。
焦り混じりに義之が杏に問いかけると平然とした顔で「義之は私の彼氏なんだからこれくらい当然でしょ」と返されてしまった。
男の自分がランジェリーショップに入るなんて冗談じゃない。そう義之は拒否したのだが、「私の買い物に付き合うって言ったのは嘘だったの?」と言われれば返す言葉もなく、結局こうして杏に付き合って店の中まで入ってきてしまっている。
「………………」
正直なところ所在ないにも程があった。
視界はブラジャーやキャミソール、ショーツといった女性用下着で埋め尽くされている。そんな中で明らかに場違いな男がいるのだ。杏が連れでいるとはいえ、気まずいにも程がある。店員や他の客(当然、女性だ)から向けられる視線もどこか痛々しい。杏は適当な下着を手にとっては自分に感想を求めるが、そう言われても女性用下着の感想なんて何を言えばいいのかわからない。
「義之、これはどう?」
「だからわからないって」
「もう。さっきから義之、そればっかりね」
杏はいつも通りのポーカーフェイスだったが、どことなく不機嫌なように義之には思えた。
「俺にブラやパンツのことなんてわかるわけないだろ。意見を聞きたければ茜やななかと一緒に来てくれ」
義之が肩をすくめると、
「私は義之の意見が聞きたくて義之を連れてきたのよ」
すねるように杏が言う。
「そうは言うがなぁ」
辺りを見渡す。ランジェリーショップ。ここは義之にとって全くの未知の世界、未知の領域。的確なアドバイスなんてできるわけがない。
その趣旨の言葉を義之が杏に告げると、
「いいのよ的確でなくても。私は義之好みの下着を調達したくて今日、ここに来たんだから」
「俺好み、ねぇ……」
そう言われても流石に下着にまで干渉する程、恋人のことを思い通りにしたいとは思わない。
「だいたい下着なんてそうそう人様に見せるもんでもないだろうに、わざわざ選ぶっていうのがわからん」
下着が自分以外の人の目に触れる時なんて体育の授業とかで着替えてる時くらいだろう。少なくとも特売のトランクスをはいている身としては。この店中を埋め尽くすブラジャーやパンティーの群れは完全に理解の外だ。何故、ここまで無駄に種類が多いのだろうか?
「ふふっ、男子にとってはそうかもしれないけれど、女子にとっては下着も気をつかうものなのよ。普段見えないところだからこそ余計に、ね。……それに義之は私の下着姿も見るじゃない」
急に妖艶な声を出され、思わずどきりとする。
「それも……そうだが」
「だから、ねっ? いいでしょ、義之。選んでよ、私の下着」
次いで甘えるような声。義之としては全くもって気が進まないことだったが、どうやら自分が下着を選ばなければこの買い物は終わりそうになさそうだった。はぁ、とため息を一つ。
「……わかったよ。彼女の望みをかなえるのも彼氏の役目だ」
覚悟を決めてそう言うと義之は辺りを見た。見渡す限り、視界を埋め尽くすブラジャーとパンティー。なんだか視線を向けるだけでいかがわしいことをしているような錯覚に陥る。羞恥心に内心、身を震わせつつも、義之は一つのプラジャーに目を止めた。フリルが付いた黒色のブラだ。その色合いは大人っぽい印象だが各所についたフリルがそれを相殺し、どことなく子供っぽくもある。よくわからないがこれなら、杏が普段着ているゴスロリ衣装ともあうような気がする。
羞恥に耐えながら手をのばし、そのブラを取る。
「これなんかどうだ?」
「…………」
しかし、杏の反応は乏しいものだった。いつも通りのポーカーフェイス。しかし、どこか不機嫌なような……。
どうしたというのだろう。そんなにこのデザインが気に入らなかったのか。義之が戸惑っていると、
「義之」
杏の声。それは呆れているような、怒っているような。
「貴方って巨乳が好み?」
「は?」
よくわからない返しをされ義之は困惑した。しかし、杏の取った態度の理由はすぐにわかることになった。
「こんな大きなサイズのブラ。私の胸にあうわけないでしょ」
「あ……」
言われてみればたしかに。義之が手にしているブラのサイズは大きめで、杏の小さな胸にあうとは到底思えなかった。
「こんなブラ。つけてもスカスカで胸が丸見えになるわ。それとも、義之はスカスカのブラを身につけた私が好み?」
「い、いや……そういうわけじゃなくてだな」
「それじゃあ、胸が小さい私に対する嫌味?」
「そういうわけでも……」
そうだった。ブラジャーと一概に言ってもどれもが同じサイズなわけがない。茜のように豊満な胸を持っている人にあうものもあれば杏のように控えめなサイズの胸にあうブラもあるだろう。デザインばかり気にするあまり、そのことをすっかり失念していた。
手にしたブラを元の場所に戻すと、義之はため息をついた。
「はぁ〜……どう選べばいいんだよ。杏の胸のサイズなんて俺は知らないぞ」
「彼氏失格ね」
「いや……普通、彼氏でも彼女の胸のサイズなんて知らないだろ……」
多分。
世の中には彼女の胸のことまで知っている彼氏がいるのかもしれないが少なくとも義之は杏の胸のサイズに関しては『小さい』以上の情報は持っていなかった。
「全く。仕方がないわね。じゃあ、選んで……とは言わないからちゃんと感想言ってよね」
「……っていうかなんで俺に選ばせたんだよ。杏の胸のサイズもブラにどんなサイズがあるのかもしらないのにわかるわけないだろ?」
「面白そうだったからよ」
「…………」
杏は平然とそんなことを言ってのける。これが杏だ。自分の彼女なんだ、ということをわかりつつもどこか釈然としない義之だった。
結局、買い物は元通り杏自身が気になったものを手に取り、義之がそれに対して感想を述べるという形になった。
杏は色々、物色した後、赤いブラを右手に淡い水色のブラを左手に持ち、義之を見た。
「義之、どっちが好み?」
「んー、そうだなぁ」
自分の意見を述べなければこの場所から出られそうにないということを悟った義之はこれまでとは違い真剣に考えてみた。
「……どちらかと言うと水色の方かなぁ。杏には派手な色合いより寒色系の方が似合うと思う」
「あら、それは私が暗い女ってことかしら?」
「いや、そうじゃないけど。なんつーか、ほら、物静かなイメージがあるし。クールっていうか」
黙っていれば、の話で実際に口を開けば毒舌セクハラ発言のオンパレードなのだが。
「そっちのブラなら杏のイメージにもあうし似合うと思うぜ。まぁ、フリルとかはついてないからゴスロリ調とはちょっと違うけど」
「そうね……」
杏は水色のブラを興味深そうに眺め、
「決めた。これにするわ」
「いいのか?」
「ええ」
義之の問いに杏は頷く。
「言ったでしょ。私は義之好みの下着を調達したいの。義之が似合うと思うって言ってくれたんだもの、これにしない手はないわ」
「んじゃ、早速会計に行くか」
義之は言った。一刻も早くこの空間から外に出たい。
「待って、サイズの問題はないと思うんだけど、一応、試着してからにするわ」
「試着?」
「ええ。あわないブラ程つけていて不愉快なものはないもの。男子にはわからないと思うけどこすれて大変よ?」
そういうものなんだろうか。杏にも言われたことだが、男子にはよくわからない。
「それじゃあ、これから試着室に行くけど……覗いてもいいから」
「……お前ね、そこは覗かないで、って言うところだろ」
「ふふ……私は義之にならどんな姿を見られてもいいのよ」
杏は笑うとブラと、セットになってるショーツを持って試着室へと消えていった。

所変わって雪村邸。
サイズの問題はなかったようで下着の買い物を無事に終え、それからは喫茶店に寄ったりと放課後のデートを堪能し、その足で夕食の買い物も済ませ義之と杏は雪村邸に帰ってきた。杏と付き合うようになってからというものの、どちらかの家で一緒に夕食を取ることは多い。今日は杏が買った下着を家に置きたいということで、わざわざ杏の家に行った後、義之の家に向かうのも面倒なので杏の家で夕食も食べることにした次第だ。音姫や由夢にはメールでそのことは伝えてある。
勝手知ったる恋人の家。義之は雪村邸の台所で夕食を作っていた。鮭が安く売っていたので今晩は鮭のムニエルにする予定だ。杏はというと帰ってきてから何故か自分の部屋に引っ込んでいってしまい、姿を見ていない。まぁ、料理ができる頃には姿を見せるだろうし、そうでなければ呼びにいけばいい。そんなことを義之が思いながら焼き上がった鮭をフライパンからお皿に移していると、
「義之……」
杏の声。
手元の鮭から視線を上げ、振り向く。
何をやっていたんだ? 振り返りざまにそう言おうとした義之の口は、しかし、何の言葉も発することができず硬直した。否、静止したのは口だけではない。体全体が硬直し、義之は振り向いた姿勢のままその場に立ち尽くした。
視線の先には杏がいる。
その小柄な体。真っ白い肌が目に眩しい。あらわになった肩口から首筋までの肌は艶やかな雰囲気をかもしだし、腰のくびれはなめらかなウエストラインを形成し、そこから足にかけてはこれまた綺麗なラインが伸びている。雪村杏という小柄な少女の肉体からなる可憐なプロポーション。
その体を下着だけが包んでいる。
「お、お、お、お……お前っ!?」
ようやっとのことで義之の口から声が出る。体の硬直は解け、杏と正面から向き合うかたちになる。
杏は下着姿だった。淡い水色のブラとショーツ。ランジェリーショップでついさっき買ったばかりの商品だ。それだけを身に纏い杏は義之の前に立っている。帰宅してから部屋に戻ったのもこの下着に着替えるためだったのだろう。
「な、なんて格好をしてるんだっ!」
しかし、だ。
これから夕食をとろうという時に普通、下着姿で出てくるか? とても直視していられない。杏の全身から発せられる艶めかしさに思わず目線をそらしながら義之は言った。
そんな動揺も何のその、杏はくすり、といつものように不敵に笑うと、
「義之が見繕ってくれた下着。似合ってるかたしかめてほしくて」
そんなことを言う。
「今更、下着姿くらいで動揺することないじゃない。ほら、義之……しっかり見てよ。この下着、私に似合ってる?」
一歩、杏が距離を詰めてくる。義之が後ずさりすると、杏は不満そうに眉をしかめた。
「どうして逃げるのよ?」
「どうしてって……」
不満げに言われても答えに困る。
「ねっ、義之。私の下着姿、どう?」
唇に指を当てて、妖艶な声で再度、問われる。
「に、似合ってる……いいんじゃないか」
「顔をそらしながら言っても説得力がないわね」
「くっ……」
こうなっては仕方がない。下着なんて水着と同じようなものだ。意識さえしなければ特にどうってことはないもののはず……。
義之は自らにそう言い聞かせると、覚悟を決めて正面を――杏を見た。
「…………」
「どう?」
「……ああ、やっぱりすごくよく似合ってる、と思う。月並みな言葉だけど……」
義之の言葉に杏は満足げに「そう」と呟いた。
「安心したわ」
「そ、それならさっさと服を着てくれ。いつまでもそんな格好じゃ……」
義之の声を遮るようにピンポーン、とチャイムの音が雪村邸に響き渡った。
「こ、こんな時間に誰だ、一体?」
夕食を作るにしては少し早い時間とはいえ、もう夕方を過ぎている。義之は玄関まで行こうとし、途中で足を止めた。
「杏は出てくるなよ、そんな格好なんだから」
「ええ、わかっているわよ」
一応の注意を残し、再び足を進める。そうして玄関、扉を開くと、
「杏先輩! 来たぞ〜!」
「杏ちゃん、義之くん、やっほ〜」
「えへへ、弟くん。こんばんは」
「どうも、兄さん、雪村先輩」
そこにいたのは美夏に茜、そして朝倉姉妹だった。
「なっ、お前ら……」
思わず絶句する。この家を訪れる人間はそう多くはないとはいえ、これだけの人数が一斉に来るというのは予想外だった。
「私と由夢ちゃんは弟くんからメールをもらってそれなら私たちも雪村さんのおうちにお邪魔させてもらおうかな、って思って」
「お二人の邪魔をするのは恐縮に思ったんですが、みんなで晩ご飯を食べようと思いまして……一応、メール送っておいたんですけど、見てなかったですか?」
どうして、という声が気付かぬ内に口からもれていたようだ。朝倉姉妹が説明をする。
言われてポケットから携帯を取り出して確認する。たしかに由夢からのメールが届いていたがマナーモードにしていたので気付いていなかった。
「私と天枷さんは単純に久しぶりに杏ちゃんの家に遊びに行こうって思ってね」
「夕食の時間にお邪魔するのはどうかと思ったが……美夏たちも由夢と同様、みんなで食べるのもいいかな、と思ってな!」
茜と美夏も続けて説明をする。「そうしたらそこのところで花咲さんと天枷さんとばったり会ってね」と音姫が続けた。
「それで四人一緒に来たってわけ」
四人の言葉を義之は呆然として聞いていた。そんな義之の態度をどう思ったのか、
「あ、晩ご飯の食材なら大丈夫ですよ。ここに来る前に商店街で買ってきましたから。多分、人数分足りると思います」
と、由夢が手に持ったビニール袋を示して笑う。
「杏先輩はどうしたんだ?」
無垢な表情で言った美夏の言葉に義之はぎくりとした。今の杏の姿を見られるわけにはいかない。どんな誤解を受けるか、知れたものじゃない。「あ、杏は……」としどろもどろに声が出る。
「まぁいい。あがらせてもらうぞ」
しかし、そんな義之の不自然な様子を無視して美夏は靴を脱ぐ。他の面々もそれに続いた。
「ま、待て、今行っちゃだめだ!」
必死の声。だが、それにも来訪者たちは首を傾げるばかりでその歩みを止めることはできない。
「どうしたんですか? 兄さん。そんなに慌てて……」
当たり前だ。どう考えても今の自分は不自然だ。疑問に思うことはあってもその言葉に従うことはないだろう。義之の訴えを無視し、一行はぞろぞろと廊下を進み、そして、
「杏せんぱ〜い! ……なっ!?」
「どうしたの天枷さん。そんな声出……し……て……えっ!?」
真っ先に居間までたどり着いた美夏が驚愕の声をあげ、それに茜も続く。
「ゆ、雪村さん……!?」
「雪村先輩……!?」
次いで、朝倉姉妹。皆、杏の姿を前に驚愕の声をあげ、そして、言葉を失った。皆がそろって石化したかのように固まる中、当の杏本人はなんてこともなさげに「ごめん義之。見られちゃった」と悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「な……な……な……! 杏先輩! どうしたんだ、その格好は!?」
美夏が口をぱくぱくさせて杏に問う。それに応えるように杏の口許が不敵に歪められ、
「ふふっ、この格好? これはね、義之が私に『俺の前では下着姿でいてほしい』って言うから……」
「ちがーーーうっ!!!」
その口から飛び出したのはとんでもない言葉だった。というよりも杏は完全にこの状況を楽しんでる。
杏の言葉を聞いた美夏は「やはり、桜内の仕業か!」といきり立つと義之を思いっきり睨んだ。
「桜内、貴様! 杏先輩になんて格好をさせているんだーーーーー!!」
怒声。諦めに似た思いを胸中で抱きながらも義之は弁明の言葉を発した。
「違う! 俺じゃない! これは杏が勝手に……」
「どうしても杏の下着姿を見ながら食事をしたいんだ。頼む! ……って土下座までして頼まれたら私も彼女として断り切れなくて……」
「してねえよ!」
再び誤解を煽る言葉。土下座なんてした覚え一切ない。しかし、義之の必死の弁明も虚しく事態はどんどん悪い方向へと進んでいるようだった。
「に、兄さん……」
「弟くん……」
「いや、そんな目で俺を見ないで! 違うから!」
朝倉姉妹は完全に引いていた。信じられないようなものを見るような視線を義之に浴びせる。
「義之くんがそんなニッチな趣向の持ち主だったなんて……いやはや予想外だったなぁ」
茜は口許に人差し指を当て、分析するように義之を見る。
「……兄さん、不潔です」
「弟くん! 恋人同士のことにあまり口出しするのもどうかとは思うんだけど、お姉ちゃんはいくら恋人同士でも、もうちょっと常識をわきまえてほしいかな!」
「夕食の時に彼女にこんな格好させてるなんて……」
「立派な変態だぞ! 桜内!」
「だから違うって〜〜!」
義之の悲鳴が虚しく雪村邸に響き渡る。
「ふふふ……」
そんな義之を見て、杏は楽しげに微笑を浮かべる。
この誤解を解くにはもうしばらくの時間が必要そうだった。
