12月28日(火)「年越しは補習合宿で」
「フッ、実に優雅な昼下がりだな」
カフェ『ムーンライト』の店内、紅茶を一口、口に含んだ杉並は満足そうな顔でそう言った。
「全っ然優雅じゃねえよ!」
と、渉が吠える。
「なんだ板橋。貴様にはこの紅茶の香りとコクがわからんというのか?」
「誰も紅茶の話なんてしてねえ!」
杉並がムッとした顔をしたのに対し、渉はやはり怒鳴り声に近い声を返す。まぁ、そもそも渉の注文したのは炭酸なので紅茶の味なんてわかるはずもないのだが。
冬休みの昼下がり。義之たちは杏からの連絡を受けてこの喫茶店『ムーンライト』に集まっていた。メンツは義之、小恋、杏、茜、渉、杉並。いつものメンツだ。
「渉、声が大きい」
杏がそう言って渉をたしなめるが、それで止まる渉ではない。
「そうは言うけどなぁ、優雅な気分なんかでいられるかってんだ畜生!」
渉の怒声に店中の注目が一瞬、集まる。
「明後日から補習なんだぞ、補習! 何が悲しくて冬休み中に学園なんかに出向かないといけないんだ!」
しかし、周りの視線も何のその渉はそう叫ぶと、がっくりとこうべをたれた。
「まぁ、たしかに渉の気持ちもわからんでもない……」
義之はそんな悪友に同意の意を示すと、渉はがばっと顔をあげて「だよね、そうだよね! 俺、何も間違ったこと言ってないよね!」とまくしたてる。補習、そう、補習だ。
付属3年3組が今年のクリパで行ったSSPは客には大好評だった反面、各方面から多大なる
「まぁ、仕方がないわね。園長先生も乗り気だったし……」
杏が言う。そう、この処分を決めたのは他ならぬ学園長の芳乃さくらだというのだ。
といっても別にさくらに悪意があったわけではない。本来ならばもっと重い処分が下されるところを間にさくらが割って入って補習授業という比較的軽い処分を提案してくれたというのが事の真相のようだ。
しかし、そんなこと義之はさくらから一切聞いていなかった、義之がこの補習授業のことを知ったのは今日。この喫茶店に集まってからだ。クリパが終わって以降もさくらの仕事は多忙を極めたようで家に帰ってこない日々が続き聞くタイミングがなかったということもあるが、昨日書類を届けに行った時に話してくれればよかったのに、と思わないことはない。
「そりゃあさくら先生がいなきゃ、もっと重い処分になっていたんだろう、ってことはわかるけどよぉ。だからって納得しろってのも到底無理な話だぜ」
渉が頭をかきながら言う。それに茜も「そうだね」と続いた。
「それも12月30日から1月2日まで。見事にスキー旅行の予定と丸かぶりなんて……」
「残念だよね〜」
茜と小恋がそろってため息を吐く。
そう。これも義之は今日初めて聞いた事だがこの面々で冬休みにスキー旅行に行く計画をたてていたというのだ。いや、たてていたどころかすでに予約まで済ませていたらしい。しかし、それも今回の補習合宿で見事に潰れてしまった。
「義之にスキー教えてもらうの楽しみにしてたのに〜」
「私も〜。義之くんにスキー、手取足取、みっちり教えてもらおうと思ってたのに」
がっくりと小恋と茜がこうべを垂らした。その言葉を聞いて少し納得がいかないものを覚えた義之は「ちょっと待て」と声を出した。
「俺は誘われてないだろ?」
なんせスキー旅行の企画自体、今日初めて聞いたのだ。誘われた覚えなんてあるはずがない。
しかし、そんな義之の困惑の声に杏はにやり、と笑うと、
「どうせ義之も来ると思って、義之の分も含めて予約しておいたのよ」
「マジか……」
「このメンツで旅行に行くのに義之くんだけハブにするわけないじゃない」
何、当然のことを言っているのよ、とでも言いたげに茜が笑う。「あ、ちなみに料金は私が立て替えておいたから」と杏が頼んでもいないことを恩着せがましく言う。
「……というわけで義之。キャンセル料との差分、払ってね」
「は?」
そして、とんでもないことを言った。
「どういうことだ?」
「言ったでしょ? 私が義之の分の料金を立て替えておいたって。お金は返ってくるけどキャンセル料が差し引かれちゃうからその差分を払ってほしいって言ってるの」
ちょっと待て。キャンセル料との差分を払え? 頼んでもいないことを勝手にやったのに? 俺はスキー旅行の話なんて知りもしなかったのに?
何を言っているんだ、と義之が思っていると周りはさらなる落胆ムードに包まれた。
「はぁ、旅行に行けないのに金はとられるのか……ちくしょお」
「勿体ないよねえ」
渉と茜の言葉には同意見だが、しかし、
「いや、だから俺はそんな話聞いてないって」
「何よ、払うのが嫌だって言うの?」
「いや……そういうわけでもないけど……」
否、そういうことだ。知りもしなかったスキー旅行。勝手に予約されていてそれがパーになったからお金を払えというのはさすがに納得しかねる。
「でも義之、誘ったら来たでしょ?」
「それは、まぁ、そうだけど……」
気の置けないこのいつものメンバーでのスキー旅行だ。誘われれば一も二もなくオーケーを出しただろう。しかし、それとこれとは話が別だ。
「義之くぅん、こういう時は一蓮托生だぜ?」
「フッ、同志桜内よ。覚悟を決めるのだな」
渉と杉並の言葉。ふと、気付けばこの場にいる義之以外の全員の視線が義之の方を向いている。
きまずい。この場で払うのは嫌だ、と拒否することが何かとんでもなく申し訳ないことのように思えてくる。
義之はやけくその思いで息を吐いた。
「わーったよ、払えばいいんだろ、払えば……」
年末年始の寒い懐事情がさらに寒くなるな。そう思った。

『ムーンライト』でみんなと別れ、義之は一人、商店街を歩いていた。
昨日、偶然知り合った異国の少女――アイシア。彼女はこの商店街でお店を出していると言った。せっかく商店街にいるんだし予定もない。ならば彼女の店に顔を出してみるのも悪くないかな、そう思っての行動だ。
とは言ったものの。
「具体的な場所くらい聞いておけばよかったかな……」
そう。義之はアイシアから商店街でお店を出しているということを聞いたが、逆に言えばそれ以上の情報は何も知らない。この商店街はそこまで広くはないとはいえ見つけるのには手間が――。
そう思った時、
「あ」
つい声が出る。
義之の視線の先。路上にシートが広げられていてそのシートの上には様々な木のおもちゃが並んでいる。そして木のおもちゃたちに囲まれるようにして座っているのが、
「アイシア」
一度見たら忘れるはずもない。アッシュブロンドの髪にルビーの瞳、そして真っ白な肌。お人形さんのような美貌の小柄な少女がそこにはいた。
義之がアイシアに気付いたのと時同じくして向こうも義之のことに気付いたようだった。あ、とルビーの瞳が丸くなる。
義之がそばに寄るとアイシアは笑顔で「いらっしゃいませ〜♪」と出迎えてくれた。
「よっ、アイシア」
「うん。こんにちは、義之くん♪」
どことなくあの人を連想させる無垢な微笑み。義之は胸の中に何かあたたかいものが宿ったような気分で言葉を続けた。
「ここがアイシアのお店なんだ」
「うん、そうだよ♪」
楽しげなアイシアの言葉。しかし。
「…………」
広げられたシートに、明らかに手作りのものとわかる木のおもちゃの大群。その様はお店というよりもどちらかといえば、
「フリーマーケット?」
義之は思った通りの感想を口にした。
すると、アイシアは怒ったように頬をふくらませた。
「え、違うよ〜、ちゃんとしたお店だってば!」
むー、と見るからに不機嫌そうになったアイシア。ごめんごめん、と義之はそんな彼女をなだめた。
「でも、びっくりだな。義之くんがあたしのお店に来てくれるなんて」
「何を言う。必ず行く、って言ったろ。昨日の今日なのにもう忘れちまったのか?」
義之がそう言うとアイシアは「そうだね」と笑顔になった。
「忘れないでいてくれたんだね」
その言葉には妙な含みがあるように義之は感じたが、そんな些細な違和感は口に出さないでおいた。
義之は視線をアイシアからシートの上に置かれたおもちゃ群に移すとその内の1つ車のおもちゃを手にとった。
「よくできてる」
そうして素直な感想を口にする。タイヤはちゃんと回るし、全体的に精巧な作りだ。それでいて木製ということもあるのだろう。どことなくあたたかい感じを受ける。
ふと、そんな義之をアイシアが見つめていた。
「それ、気に入った?」
「ああ、まぁ」
「じゃあさ、それ、買ってよ!」
にこやかな笑顔でそう言われる。商売上手な、と思ったがこの笑顔を前にしては断ることもなんだか気まずい。それに、そう、高い買い物でもないだろう。
「わかった。いくら?」
「えへへ〜、300円になります」
義之はポケットから財布を取り出すと100円硬貨を3枚だし、アイシアに手渡す。
「毎度あり〜、大事にしてね〜♪」
アイシアの満面の笑顔に、この笑顔が見れるのなら300円くらい安い買い物だったかな、と義之は思った。
「そういえばさ、義之くん」
義之がつい先ほど購入したばかりの車のおもちゃを手でいじっていると不意にアイシアが口を開いた。
「もうすぐ年越しだけど、義之くんは何か予定とかあるのかな」
「あー」
痛いところをつかれた。予定はあるには、ある。しかし、あまり嬉しい予定でもない。
「補習」
「へっ?」
「だから補習」
わけがわからない、という顔になったアイシアに続けて言う。年越しに補習。自分でもやっぱりわけがわからない。
「クリパでうちのクラス、ちょっと羽目を外し過ぎちゃってさ。その罰で年末年始は学園に泊まり込んで補習授業なんだ」
「ああ……」
アイシアの口から同情とも困惑ともとれる声がもれる。
「杏が言うにはさくらさんもなんかこの補習合宿にノリノリだったって言うし、全くわけがわからないよ」
「さくら……さん?」
何故か義之の言葉にアイシアは目を見開いた。
「ん、ああ、悪い杏ってのは俺のクラスメイトでさくらさんって言うのは風見学園の学園長で俺の保護者みたいな人なんだ」
「へ、へぇ〜、そうなんだ」
「ああ。そのさくらさんが今回の補習合宿の間、俺たちの監督をしてくれるらしいんだけど……」
そこまで話して、ふと気付いた。アイシアは義之の言葉をほとんど聞いていないように思えた。不意に「ねぇ」と口を開く。
「唐突に変なこと聞くようで悪いんだけどさ。その『さくらさん』って人、名字は何かな?」
「?」
たしかに唐突だし、変なことだ。しかし、答えない理由もない。「芳乃だよ、芳乃さくらさん」と義之は答えた。
「芳乃……さくら……」
アイシアはその名前を噛み締めるように呟くと複雑そうな顔をした。そこにあるのは嬉しさと懐かしさと、痛み、だろうか?
「あれ、ひょっとして知り合いだった?」
「ううん! 別にそういうわけじゃないんだ」
ぶんぶん、とアイシアは首を横に振る。そして「変なこと聞いてごめんね」と続けた。
「じゃあ、その『さくらさん』の監督の下での補習合宿、頑張らないとね」
「ああ。さくらさんが監督してるとなるとさすがにさぼるわけにはいかないからなぁ」
これが他の教師が担当なら、渉や杉並と同様、さぼることを第一に考えたのだが、さくらさんとなれば話は別だ。柄にもないが、今回の補習合宿は真面目に受けるか。
「と、それじゃあ、俺、そろそろ」
義之の言葉に「あ、うん」とアイシアが頷く。
「補習合宿中は顔を見せられないと思うけど、年が明けたらまた来るよ」
「うん♪ またのご来店、お待ちしておりまーす♪」
アイシアの笑顔に見送られ、その場を後にする。
「………………君があたしのことを覚えていたらね」
だから義之はアイシアのそんな小さな呟きを聞き取ることができなかった。

「よしっ、こんなもんかな」
芳乃家の台所。1つのお弁当箱を前にして義之は満足げに呟いた。
お弁当箱の中は鮭入りおにぎりが二個に豚肉のしょうが焼き、アスパラガスのベーコン巻き数個、ふっくらとした卵焼き、きんぴらごぼうにサラダが詰まっている。
夕食の準備を前にして作っていたのだ。
その理由は――。
「あとはこれをさくらさんに届けるだけだな」
そう。
今日は学園に泊まり込むらしい保護者の芳乃さくら。
聞くところによるとそういう日は多忙さゆえに食事はインスタント食品で済ますことが多いらしい。
前々から義之や音姫が健康面で心配していたことだ。
そこで今日は義之がお弁当を作ってあげようと思った次第だ。
自分の腕を過大評価するつもりはないが、インスタント食品よりはよほどいいと思う。
お弁当箱を風呂敷で包み、さあ、出発しよう、と思ったその時、玄関の方から物音と「お邪魔しまーす」という声が響いた。
「えへへ、弟くん、こんばんはー」
「どうも、兄さん」
隣家の朝倉姉妹だ。時計を見ると夕食の準備にはちょうどいい時間になっていた。おそらくはいつも通り夕食を一緒に食べるために来たのだろう。「ああ、いらっしゃい」と義之はそんな二人を歓迎した。
「あれ、兄さん。どこかにでかけるところでしたか?」
コートを羽織り、そして、風呂敷を手にぶら下げた義之の姿を見て由夢が言う。
「まぁな、さくらさんにお弁当を届けてあげようと思って」
義之は手に持つ風呂敷に包まれたお弁当箱を示した。わあ、と音姫の顔が輝いた。
「それはいいね〜。さくらさんきっと今日もご飯はインスタントで済ますつもりだろうし」
「ああ。俺もそう思って作ったんだ。インスタント食品よりはいいだろう、って思ってな」
「うんうん〜♪ 弟くんのお弁当ならきっとさくらさんも喜ぶよ〜」
我が事のように姉は喜びの言葉を口にする。
「お夕飯のしたくは私がしておくから安心してね」
「ああ、悪いな音姉」
「別にいいよ〜」
気にしなくても。そう言って姉は笑った。相変わらずしっかり者の姉に義之は頭の下がる思いだった。
「それじゃあ兄さん気をつけて」
「おう。お前もたまには料理を手伝……いや、なんでもない」
そんな姉とは対照的にコタツでまるまってご飯ができるのを待っているだけであろう妹に言葉をかけようとして、その殺人的な料理の腕前を思いだしすんでのところで言葉を飲み込んだ。「どういう意味ですか」と妹は笑顔のまま、しかし、怒りの感情を伝えてくる。
「なんでもないって。それじゃ、行ってきます」
「あ、兄さん!」
「弟くん、行ってらっしゃ〜い」
そうして義之は逃げるように芳乃家を飛び出した。

夜の学園は森閑とした静けさに包まれていた。
冬休み中でも休まずに学園に来ている生徒会も部活動の生徒もこの時間帯では全員が家に帰っている。学園は文字通り人っ子一人いやしない。普段、人が溢れている場所に全く人がいないというのは否応なしに恐怖感がこみ上げてくる。
コツコツ、と廊下を歩く自分の足音がやけに大きく聞こえる。
「こんな場所で仕事をしているのか……」
思わずそんなことを口にしてしまう。
学園に誰も訪れなくなっても、さくらさんは一人、そんな場所で仕事をしている。
自分以外は誰もいない。このただっぴろい空間で。独り、仕事に明け暮れている。
つらくないはずはないだろう。さびしくないはずはないだろう。
そのことに感謝と寂しさを覚える。
「ええい、こんなんじゃだめだ!」
自分の頬にあいてる手でビンタをして気合いを入れ直す。
そうだ。こんなさびしい場所で仕事してるからこそ、自分は笑顔であの人に会いに行かなければならない。自分まで辛気くさい顔をしていると余計にあの人をさみしくしてしまう。自分が原因であの人が気落ちする。それだけはあってはならないことだ。笑顔、笑顔……。
「よっし、オーケー」
多分、うまく笑顔を作れたと思う。
義之はそのことを自認すると、学園長室への道を進む。
電気は落とされ真っ暗な学園内。そんな中で唯一明かりの灯っている部屋が見えてくる。
学園長室。
その扉をコンコン、とノックする。
「さくらさん、義之です」
声をかけて数秒の後、返事が来る。
「うにゃ!? 義之くん?」
顔は見えないが、声音からは困惑の色が読み取れる。まぁ、それも当然か。昨日、書類を届けに行った時と違い今日は彼女から来てくれ、と連絡を受けたわけでも、これから行くと連絡した訳でもない。
「入りますよ」
義之はそう言うと学園長室の扉を開け、中に足を踏み入れる。
「いらっしゃい、義之くん。でも、どうしたの? こんな時間に?」
さくらは困惑した様子で、それでも、義之を笑顔で出迎えてくれた。相変わらず。見ているとなんだか安心するその笑顔。義之は「それなんですけどね……」と手に持つ風呂敷を差し出した。
「さくらさんにこれをお届けにきました」
「うにゃ?」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、さくらが義之の方へと寄ってくる。義之は風呂敷をほどくと中をさくらに見せた。
「そろそろ夕食の時間だろうと思って、……お弁当です」
さくらは一瞬、ぽかんとした顔になり、しかし、すぐに笑顔を浮かべた。
「うわ〜♪ やったぁ! 義之くんのお弁当だ〜♪」
こっちまで嬉しくなってくるような満面の笑みで喜びを表現するさくら。なんだか照れ臭くなって義之は「そんなに大したものじゃないですけど……」と言葉を濁した。
「ううん、大したことあるよ。今日もインスタント食品で済まそうと思っていたからね。それを思えば義之くんの愛情の詰まったお弁当を食べられるなんて雲泥の差だよ」
本当に嬉しそうに。さくらはそう口にする。
大したことある、と言われても自分ではやはり大したことのないお弁当だと思うが、それでこの人を喜ばせることができたのなら、これ以上の対価はない。義之はやはり照れくささを覚えつつも、満足していた。
「それじゃ、ここに置いときますね」
「うん♪ 後でいただくね」
義之がコタツの上にお弁当箱を置くとさくらは笑顔で頷く。これで役目は果たした。このまま帰ってもいいのだが……。
「そういえばさくらさん」
義之の口は言葉を紡いでいた。
「うにゃ? 何かな?」
「杏たちから聞きましたよ、補習合宿のこと」
義之が言うとさくらはあー、と誤魔化すように笑った。
「そっか、杏ちゃんから聞いちゃったかー」
「聞きましたよ。隠してるなんて酷いじゃないですか」
「にゃはは、ごめんね、隠してるつもりはなかったんだけどね。言うタイミングがなくて」
意図せずさくらを責めるような口調になってしまったものの、さくらは気にした様子もなく笑う。
「ほら、ボク、年末年始はここに泊まり込むことになるでしょ? ボク一人だとさびしいからね」
「それが補習合宿を提案した動機ですか?」
「にゃはは、そうだね。義之くんたちにとっては面倒くさいと思うけど……」
ごめんね、とさくらは言う。その顔は本当に申し訳なさそうで、この人にこんな顔をさせてしまったことに義之は罪悪感を覚え、「いえ」と思わず口に出していた。
「まぁ、たしかに面倒といえば面倒ですけど、さくらさんと一緒に年越しができるっていうのなら、そこまで悪い話じゃないと思います」
「本当に?」
ええ、と頷く。
「それに補習とはいえみんな一緒の合宿ですからね。ほら、修学旅行みたいなノリでみんなで一緒にご飯を食べて、寝る前は大貧民のトランプパーティー。それはそこまで悪いもんじゃないですよ」
「にゃはは、でも、補習授業はちゃんと受けないとダメだよ? ボランティアもね」
「ボランティア?」
それは初耳だった。
「あれ? 聞いてない? 午前中は学園で補習授業を受けてもらうけど、午後はボランティア活動をしてもらう予定になってるんだ」
「ああ、そうなんですか」
義之は頷いた。
「ボランティアって具体的にはどんなことをするんですか?」
「んーと、ね〜。それは〜」
さくらは少し考え込むそぶりを見せ、かと思えば悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「な・い・しょ! その方が楽しみでいいでしょ?」
そう言われても義之には「はぁ」と生返事をするしかない。ボランティアに楽しみも何もない。正直なところ面倒だ、と思う気持ちが強くある。しかし、さくらの手前それを顔に出すこともできないでいると、そんな義之に追い打ちをかけるように、
「ボクが頼み込んでボランティアをやらせてもらったからね。ボクの顔を立てると思って頑張ってね」
さくらはそう言った。そう言われてしまってはさぼるわけにもいかない。面倒だが、頑張るか。
「が、頑張ります」
「うん♪ お弁当、本当にありがとうね」
「いえ、さくらさんもお仕事頑張ってください」
そう言い、義之が学園長室から出ようとした時、さくらがいきなり義之に飛びついてきた。がしっと思いっきり抱きつかれる。
「さ、さくらさんっ!?」
思わず上擦った声が出る。さくらは義之をグッと抱きしめると、「にゃはは、充電充電〜♪」と楽しげな声を出す。
「や、やめてくださいよ……」
「大丈夫♪ 誰も見てないよ♪」
「そういう問題じゃ……」
そういう問題ではない。いきなりのハグに困惑する義之に構わずさくらは『充電』を続ける。義之の胸がバクバクと震える。何故だろう、とふと妙に冷静に思った。さくらさんが抱きついてくることはこれまでにもあった。しかし、これまでここまで動揺したことがあっただろうか? ここまで胸の高鳴りを覚えたことがあっただろうか?
自分の反応に義之が困惑している内にさくらは「うん、充電完了♪」と言うと義之から離れる。
「それじゃあ、義之くん。帰り道気をつけてね〜」
「…………」
「義之くん?」
不思議そうに碧い瞳で見られる。義之はハッとした。
「あっ、はっ、はい。気をつけます!」
思わず背筋をぴしりと伸ばして答える。そんな義之の様子をいぶかしむようにさくらは碧い瞳で義之の頭の上から足のつま先までを凝視すると、
「にゃはは、ひょっとしてボクに抱きつかれてドキドキしちゃった?」
そんなことを口にした。
「い、いえっ、別にそんなことはないですよっ!」
「そうかな〜? そう言う割には挙動不審だけど?」
「全っ然、挙動不審じゃないです。いつも通りです」
楽しむように指先を自分の唇に当てたさくらは笑う。義之は自分の保護者の妙な勘の良さに内心嘆息しつつも否定の言葉を続けた。
だって、認められるわけがない。
さくらさんに抱きつかれて、ドキドキしちゃったなんて。
自分の保護者であるこの人に胸が高鳴ったなんて。
そんなこと、あってはならないことなんだから。

そうして、さくらと別れ帰路を歩きながら、義之は自分の胸に手を当ててみた。胸の鼓動はおさまっている。あの人に抱きつかれた時のような胸の高鳴りはもう、ない。
「どうしちまったのかねぇ、俺は」
明らかに今の自分はおかしい。あの人に対してこんな感情を抱くなんて。これまでになかったことだ。あの人――芳乃さくらはあくまで自分の保護者。それ以上でもそれ以下でもない。大切な家族であるのはたしかだが、それ以上の感情を抱いたことなんてこれまでなかった。それが、どうだ。ここ最近は。昨日、書類を届けに行った時もそうだった。あの人の寝顔に自分は見惚れした。あの人の笑顔に胸が跳ねた。今日もあの人に抱きつかれてドキドキしている自分がいる。それらの全ては――。
「クリパから、だな」
そう、クリパだ。
クリパをあの人と一緒に回ってからというものの、あの人のことが気になって仕方がない。
「ダメだダメだ。何を考えている桜内義之」
さくらさんは家族だ。そんな人に特別な感情を抱くなんてあってはならないことだ。
――――そうだ、あってはならないことなんだ。
義之は自分にそう言い聞かせると帰路を急いだ。